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迷歩録   ふろしき

2017-06-08 14:07:02 | 日記
  雨上がり  庭を彩る  紫陽花や  暗闇照らす  満月如し


                               ひのひら  ろくべえ



    日本文化の象徴でもある風呂敷、この風呂敷とは、もともと風呂に入る時には衣類を包んでおき、湯から上がった

   時には足元に広げ、足を拭うのに用いた布、あるいは物を包むのに用いた。(広辞苑)とある。確かに風呂敷一枚あ

   れば、様々な物に役立つ、ユニークなものとなれば、子供の頃ヒーローに憧れマントに見立て、首に巻き付け走り回

   ることではためかせたり、風呂敷を広げそのうえで花札をして遊ぶなど、様々な物に仕える万能の道具それが風呂敷

   ということになるのではないだろうか。風呂敷優れた布という事になろう。

    個の優れたぬ布、風呂敷のような人間でありたいと願わないだろうか。しかし実際には風呂敷という表現をされる

   人の印象は善くない。例えば大げさに物事を言ったり。大げさに振る舞う特に大風呂敷を広げる人、嘘つきというよ

   うな評価になるのではないだろうか。なぜそうなるのかは解らないが、風呂敷を広げるなどと揶揄される人は私の周

   りにも存在する。それがその人の表現力なので否定する必要もない、そのままその人の話として聴けばよいことなの

   だが、追求をしたがる人もいる。その追求の仕方で、トラブルとなることもある、それが人間関係なのだが、自分に

   損得関係ない話を、無理からに追求して、トラブルとなる必要もない。そこが人間関係のコツではないだろうか。な

   のに、真実追及が自分の基本的姿勢などと思い込んでいる人がいる。そんな人は、人間心理の風呂敷を認めず、相手

   を罵倒したりする。人間とは、様々な価値観を持った者同士が、助け合いながら共存しているのである。風呂敷であ

   っても、そのことを認めていく関係が大切なのではないだろうか。

    嘘つきの風呂敷でなく、様々な活躍ができる風呂敷を目指したいものである。変幻自在の風呂敷のような人間を目

   指すことも、また、対人援助職としては大切な事なのかもしれない。

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