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迷歩録  リーダー

2018-05-18 13:39:31 | 日記
  ほととぎす  伴侶求めて  鳴き競う  高隈裾野  下り坂の空



                                  ひのひら  ろくべえ




    今話題の大学アメリカンフットボール、ゲーム中のラフプレーを通して、チーム論やリーダー論まで

   発展している。

    「リーダー」とは、指導者、指揮者、先頭を行く人(広辞苑)とある。少なくともスポーツの世界では

   指導者という事を避けて通ることはできないであろう。つまり最終責任者ということも言えるのであろう。

   職場で言うなら、経営者、あるいは最高責任者ということになる。

    その者が指示して起きた事に対して、社会的問題となったら、選手が勝手にやったことという開き直り

   その責任を、曖昧にして、選手個人に問題をすり替えようとしている。日本の社会では大なり小なりよ

   くあることではないだろうか。このレベルのリーダー論でしか、持ち合わせていないのであれば、世界か

   ら失笑をかうことにもなろう。

    「リーダー」とは、その物事の最初から終わりまで、その物事にかかわる責任の所在を明らかにして指

   導するというのが「リーダー」という存在ではないだろうか。

    固定的な「リーダー」と誘導的「リーダー」とある。スポーツや、職場などは固定的「リーダー」が多

   いが、毎日チーム構成が変わる職場や、異動の多い職場などは、その時、その日で「リーダー」となる誘

   導的「リーダー」となる職業とある。

    いずれにしても「リーダー」とは、何であるかを学んでおく必要があるのだろう。「リーダー」は、自

   分の責任を、部下やチーム成員に押しつけるものではない。その点日大のアメリカンフットボールの監督

   の行動は理解に苦しむことが多いのではないだろうか。

    特にゲーム中のラフプレーを、自分は関係ないなどと、選手の責任にしてしまう監督(リーダー)その

  役割において、逃避という心理を求める者が「リーダー」という存在であることがこの国のレベルのでは

   ないだろうか。

   「リーダー」というものに対する学習を行わなければ、このような問題は次から次と雨後の筍状態であろ

   う。さらには、日常的な職場でのリーダーの在り方を学ぶ機会や法則が必要なのではないだろうか。

    部下を持つということは「リーダー」になるということ、経営者になるということは「リーダー」にな

   ることである。積極的に「リーダー」論を学び、先進国に相応しい国民となりたいものである。

    経営者や、部下を持つ物にとって「リーダー 」論は必須であることを明記した教育も必要なのでわな

   いだろうか。他者とかかわるということは、そういうことである。知らなかったでは済まされない。しっ

   かり、必要な事をチョイスして、学習を深めたいものである。