わたしの、一番ちいさなお友達は、二歳。
チワワのメスです。
お友達の愛犬。
名前は、エルモちゃん。
家族の一員として、とても大切にされています。
時々、わたしのところへも遊びに来てくれます。
エルモちゃんと仲良くなってから、驚いたことがあります。
エルモちゃんは、人間のように、いいえ、もしかしたら人間よりも、感受性が強く、感情表現が豊かなのです。
わたしも、実家で犬と暮らしていましたので、犬の天真爛漫さや、愛情深さ、忠誠心など、ひととおりわかっていたつもりでしたが、
エルモちゃんの感情表現は、わたしの認識を超えるものでした。
エルモちゃんと戯れながら、わたしと飼い主さんとがおしゃべりをします。
それが、エルモちゃんのお家での姿や、ちょっと恥ずかしいような様子の話題になると、このエルモちゃんは、尻尾を落とし、しょんぼりして、わたしと目を合わせないで、うつむいているのです。
“その話題は困るわ。体面がたもてなくなるじゃないの。”
とでも、言いたそうです。
久しぶりに会えた時、エルモちゃんは、わたしの胸に飛び込んできて、鯉のように跳ね回り、やがて落ち着いて、わたしの膝の上で丸くなります。
しばらく撫でていると、そのちいさな目から、涙がポロポロとこぼれ落ちます。
“うれし涙だね。”
飼い主さんが言うのです。
つい先日も、久しぶりにエルモちゃんが来てくれて、飼い主さんたちと、わたしの転居のことを話していました。
そうしたら、エルモちゃんは、それまでは嬉しそうに動き廻っていたのですが、急に静かになり、わたしの膝のところに来て、下を向いて額をこすりつけました。
そのままじっとしています。
全く動きません。
みんなでエルモちゃんの顔をのぞきこむと、ちいさな目から、涙がこぼれています。
しばらくの間、そうしていました。
エルモちゃんは、赤ちゃんの頃から、ほとんど声を出さない犬でした。
よほどでないと吠えませんし、吠えたとしても、その声は、とても小さいのです。
そして、体が弱く、とても敏感でした。
そんな風に生まれたエルモちゃんだからこそ、とても豊かで激しいほどの感情表現を備えていたのでしょう。
エルモちゃんが、わたしのためにこぼしてくれた涙は、ゴマ粒ほどの小さなものでしたが、
なんという尊さ、美しさでしょう。
言葉よりも声よりも、強く強く、想いが伝わってきました。
地面におちて、もう見えなくなってしまった、小さな小さな涙。
小さな体いっぱいに、感じてくれた気持ち。
忘れないわ。
わたしの、一番小さなともだち。
エルモちゃんのくれた愛情ほどのものを、わたしは何にもあげられていない。
でも、あのきれいな涙に恥ずかしくないように、これからのわたしを、生きていきたい。