ちいさなちいさな いのりのことば

 * にしだひろみ *

おおきな手

2019年08月31日 | Weblog
思い返せば

嫁いで以来

こんなに長く実家に暮らすのは

初めてのこと


両親に心配や負担をかけながらも

具合のいい時に

あれこれ話をしたり

ささやかな手伝いをすることが嬉しく


同時に

両親の老いを思い知り

有り難く

かなしかった



病は

たくさんの学びと贈り物をくれる


わたしは

ひとつひとつを受け取りながら

反省と感謝を重ねる


そうやって開いていく心に

見えない力が入ってきて

治癒へと

引っ張ってくれるようだ


優しく強い

おおきなおおきな手



人の力の及ばない

泣きたいほど素晴らしい

この世界の真理

スギナ

2019年07月18日 | Weblog
両手いっぱいのスギナを

薬用にと

母が持ってきてくれた


ゆっくり蒸して

タオルに包み

抱いて寝る


そうすると

みんなみんな忘れて

大地の安らぎの中に

ようやく眠ることができた


スギナよ

どんなことを成して

わたしを眠らせてくれたの


薬の作用も

様々な症状も

不安も

どうやって和らげたの


深く眠ることができた

その有り難さを

わたしはどうやって

あなたに返せるの

夕映え

2019年07月13日 | Weblog
晴れ上がった日のおわりに

窓のそばの桐の葉と一緒に

夕映えをみる


雲とわたしはあんず色に

桐の葉は緑を深めて


雲間に覗く水色に

明日の晴れを思いながら

薄紫の空になるまで


桐の葉とわたしは

とても静かに

2019年07月03日 | Weblog
一輪挿しのドクダミが

茶色く変わりはじめ

知った


あの白は

何もしていない白でなく

精一杯の白だったと


いのちを燃やし尽くし

白を失っていく花は

音もたてず


その茶色の

やわらかになった花びらを

撫でてやりたいような気がした

花を一輪

2019年06月28日 | Weblog
手のひらに乗るほどの

ちいさな空き瓶を見つけた


一輪の花がほしい

母の花畑から


白いフランス菊も

黄色いカモミールも

素晴らしいけど

もっと静かな

ささやかな花がいい


季節が合えば

菫のような


泳ぐ目が庭先にとまる

まっすぐに降る雨と

ドクダミ


小さな白と濃い緑

いまのわたしは

この他に色はいらない



一輪だけのドクダミの

その香りが部屋を清め

花びらは十字架の祈り


思い惑う心に

静謐と

一条の光

手紙

2019年06月26日 | Weblog
離れて暮らす夫に

整わない字の手紙を書いて

野良仕事に忙しい両親に

投函を頼みそびれたまま

七日


会いにきた夫に

ポストに入れてねと渡したら

それもいいねと笑われ

夫に用件が伝わるまで

十日



急用でないかぎり

このくらいのスピードがいい

速くないほうがいい

伝わるまでに

知るまでに


あんまり速いと

無くしてしまいそうで


祈る心や

信じる心

待ちながら生きるという

豊かな時間を

信じる

2019年06月15日 | Weblog
「人が生きるのは、

答をみつけるためでもないし、

だれかと、なにかと、競争するためなどでは、けっしてありえない。

ひたすらそれぞれが信じる方向にむけて、じぶんを充実させる、

そのことを、

私たちは根本のところで忘れて

走ってきたのではないだろうか。」

(須賀敦子)



「・・・しかし

あの最大の不幸と思われたることも、

今の悦びに来着くためには、

なくてはならないことだったのかもしれない・・・」

(松田瓊子)



大切にしてきた本に書かれた

これらの言葉が

わたしの心に明かりを灯してくれました


閉ざされるかのように見えたものは

そうではなくて

これまで知らなかったあたらしい道を

開こうとするものでした



そこにこそ

わたしの信じるものが

わたしを充たしていくものがあるのだと

思えるようになってきて


この病に

全てのいきさつに

静かな感謝があふれてきました

2019年05月27日 | Weblog
苺がしみじみと美味しい

と言ったら


しばらく後に

「よく見たらまだあった」と

お皿いっぱいの苺を

持ってきた母



買いに走ってくれたんだね


車に乗って

ちょっと離れた町まで



わたしも

同じようにしてあげたい


どんな未来を授かっても

その時のわたしにできる

いちばん素敵なことを

未来

2019年05月24日 | Weblog
待合室から

受付の長椅子で待つ母が見える


見たところ

年老いた親に付き添われているのは

わたしくらい


母は足腰が悪い



いつの日か

年老いた両親を助けるんだと

当たり前に考えていた


でも

そういう未来を授からない人も

いるんだな



もしもわたしに

両親を助ける未来があるなら

嬉しいだろうな


送り迎えをしたり

支えて歩いたり

家のことをしたり


そのうち ひとつでもいいから

してあげられたらな


嬉しいだろうな

療養の部屋から

2019年05月20日 | Weblog
随分更新せずにすみません


みなさんそれぞれにご連絡したいのですが

いま わたしの目は 機器の光に疲れやすく

この場をお借りして お話しさせてくださいね



わたしの右目に異変が起きたのは 連休直前のこと

何だか 余りにも眩しく 痛みがあります

気がつくと うさぎのように赤い


受診しましたら「ぶどう膜炎」という病気でした


3割は難病や細菌などからくるもので 7割は原因がわからないようです


強い目薬を数時間おきに点眼する日々がはじまりました

それでも炎症はおさまらず 痛みは増すばかりで

厚手のカーテンから漏れる光にも激痛をおぼえました


とても長い連休

急患に駆け込みました


応急処置をしていただきましたが 痛みは止まず


タイミング悪く

連休明けから主人は単身赴任につき引っ越し作業

わたしは目が開けられず身の回りのことすらできない状態でしたので

実家に移りました



連休明けにようやく 別の眼科で治療を受けることができました


炎症が強く

緑内障や失明のリスクも高いとのこと



周囲の音が何も聴こえないような心地が しばらく続きました



治療はびっくり 白目に直接注射をしたり

痛く辛いこともありますが

素晴らしい看護師さんたちがいらっしゃる眼科で

いたわり 励ましてくださるのが ありがたくて ありがたくて


ちゃんと目を開けるようになった時

車の窓から見た越後三山が あまりにも美しくて

ぽろぽろ 涙がこぼれました



治療とお薬のおかげで

炎症は和らいできています


まだ 視野にゼリー状の歪みがあり 濁り模様も映ります

でもちゃんと 見えています

空も山も 

家族の顔も 



悪化も再発も有りうる病気なので

行く先のわからない気球に乗っているような

舞い降りるのは海か陸か 

そんな気持ちで日々を過ごしています



でも

よくなっていって落ち着くことも

あるわけだから

そうだったら物凄く得難く幸運なことなんだと

遠い星を見るように

思っています



お詫びや ご連絡をしたい方がたくさんいます

携帯電話を手に取るという 何でもない行為も

僅かでも希望を持っていないと

できないことだと知りました



これから先のことは 思いはあちこちへ 際限がなく

今はまだ考えないようにと 主人にいわれていますが

考えないって 至難の技



だからわたしは

きれいな三山を

あまりにも美しい三山を

眺めて過ごしています


そして 疲れたら

目を閉じて

大好きな人たちや場所や 思い出を

心に浮かべています

なぞなぞ

2019年04月12日 | Weblog
内緒の散歩道で

よく会う犬


いつも

飼い主を引っ張って

嬉しそうに走る



初めての時

犬はわたしを

じっと見た


わたしの何かを

じっと見た


それから犬は

しっぽを振り

口を

にいっと開いた



二回目からは

犬は

わたしより先に気づいて

走ってくる


しっぽをいっぱいに振り

口を にいっと開く


あなたがもし

話せたら

何と言っているか


わからないようで

わかるようで

心楽しい



犬よ

あなたはわたしの

何を

感じているの


わたしはあなたの

何かに

かなったの



わからないままで

いいのかもしれない


小さな清らかな

なぞなぞ

お話し会はじまります

2019年04月10日 | Weblog
日付が変わり、もう、当日になってしまいましたが、

うんまんまさんでのお話し会が、今日から、スタートします。


冬期と農繁期をのぞく、月に一回、伺います。

そうしますと、5回ほどしかお伺いできないのですが、

この5回を大切にしようと、いろいろ考えていたら、もう真夜中になっていました。



静かです。

家族はもう、ぐっすり。



さて、今年のお話し会は、去年のように連続講座風にしようと思います。

「しあわせなお母さん」を目指して、お話しや、朗読や、シンボルツリー学や、あれこれ。

安心感と希望を、お届けできますよう。


シンボルツリーに関しては、5回全て参加されると、なかなかの通になられると思いますので、

行こうかな、というお母さんは、どうぞお楽しみに。



よし、それでは、わたしも眠りましょう。

家族という約束

2019年04月01日 | Weblog
出逢いやご縁の、その奥にある秘密のことを、時々考えます。



自分の心に、波風が立つような出逢いほど、もしかしたら、重要なのかもしれない。

心地いい出来事でないほど、深い理由によって、起きているのかもしれない。


何か、とても大切なことに、気づかせようとして。



例えば、すぐそばにいる人の、言動や性質が気に障る時、

たいてい自分にも、同じ要素がある。


だから、気になる。


その性質を克服しようと、生まれてきたから。



そのことを忘れたり、見ないふりをしたり、避けたりするから、

目の前にあらわれて、教えてくれる。



“あなたの挑戦は、これだよね”


そう教えてくれる。



でも、なかなか気づくことができない。

相手の人を否定して終わってしまったりする。


そうすると今度は、もうちょっとスケールの大きなお知らせがくる。

打撃もその分、大きくなる。



「この人って、どうしてこうなの?」

というところを、思いきって飛び越える。



そしたら、

「ここまでして、教えてくれて、本当にありがとう。」


という感動に、行き着ける。




いちばん、体を張って教えてくれるのは、家族。


あんなことまでして・・

あんなに痛みながら・・

ということも、少なくない。




一緒にいてくれる、いちばん近くの人たち。


生きている間はわからない、深い理由でそこにいてくれる、大事な大事な存在。



わたしたちは、いくつもの大事な約束に助けられながら、生きる。


約束を守ってくれる、かけがえのない人たちと一緒に。

淡い色

2019年03月12日 | Weblog
雪深いところに出るフキノトウは、淡い色をしている

そう教えてくださった方がいました。


たしかに、わたしの故郷のフキノトウは、淡い淡い黄緑です。


雪の毛布にくるまれて、夢見心地でいたフキノトウの赤ちゃんは、

お日さまに会えた時に、どんなに嬉しいことでしょう。


そんな風に、わたしも春を迎え、活動をはじめました。


毎年、いちばんは、長野市戸隠でのお話し会。

顔見知りのお母さんが増えてきました。


そして、4月からは「うんまんま」さんでの半年に渡るお話し会。

こちらも長いお付きあいになりました。


今年は、魚沼市にある、絵本の家「ゆきぼうし」さんでも、連続講座を企画しています。


他にも、ちらほら、楽しい企画が。



この冬、ちょっと少ない雪の中で、

わたしは、とても大切な発見をしました。

自分自身のことです。


発見の後に訪れた反省と感謝は、ゆっくりと、わたしを拓いてくれているようです。
  

春からの活動は、その穏やかな波が加わって、どんな風になっていくかな・・



フキノトウみたいに、お日さまを仰ぎ、ワクワクと考えているところです。

事柄の向こうに

2019年03月11日 | Weblog
この世界に

かなしみや苦しみがあるのは


何かがうまくいっていないため

という人もあれば

何かを学ぶため

という人もある


それは

おなじことのようだ


どうあっても

誰も

何も

悪くない


この世界にあるのは

すべての事柄の向こうには

ただ

挑戦


何かに挑み

何かを越えようとしている人がいる


という

それだけなのではないか