大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

使徒言行録15章1~21節

2020-11-08 16:11:39 | 使徒言行録

す。それはユダヤから下ってきた人々でした。その人々は生まれた時からユダヤ人であって、当然のように生後八日目に割礼を施されていた人々でした。その人々がアンティオキアにやってきて、多くの異邦人の信徒を見て、割礼を受けていない彼らは神の民ではないと批判したのです。現在の私たちから見たら、割礼の有無などということはナンセンスな問題のように感じます。 

 しかしこれはある意味、根の深い問題なのです。私たちは洗礼によって神の民とされています。しかし、洗礼を受けて、体のどこかに受洗者であるというようなしるしが現れるわけではありません。肉体的にはなんら洗礼を受けても変わらないのです。教派によっては洗礼証明書を発行する教会があります。その洗礼証明書を持っていたら、神の民と言えるでしょうか。しかしそのような紙切れ一枚で神の民という証明はできないでしょう。神の民とされるということはあくまでも信仰の問題なのです。聖霊によって私たちは神の民とされるのです。聖霊によって神の民とされた、聖なる者とされたということははたからは分かりにくいことなのです。いえ自分自身でさえ実感を持ちにくいことなのです。たとえば、未受洗者に聖餐の配餐をするということも、神の民とされている、ということの捉え方の違いからくるのです。神による信仰の事柄を、人間的な差別の問題と混同していることに根源があり、その根っこには割礼の有無を問題とするような信仰認識の欠落があります。 

<公の会議> 

 これは重要なことでしたから、アンティオキアの教会だけで判断をするのではなく、全体教会での正式な判断を求めたのです。教会としてよるべき普遍的な判断を求めたのです。パウロがこういったからとか、アンティオキアの教会の方針ということではなく、信仰の根本的な筋道として検討をするということです。これはのちに公の会議が持たれるようになったことの起源になりました。教会は信仰の根幹に関わる議論、を特に4世紀ごろ、公の会議によって決議をしています。私たちはその教会の資産を現代においてもいただいています。 

 さて、パウロとバルナバはエルサレムの教会に向かいました。エルサレムで彼らに立ちはだかったのがファリサイ派から信者になった人々でした。「異邦人にもモーセの律法を守らせるべきだ」と彼らはいうのです。律法を守らせるべきということも、割礼と同じく、信じることによって義とされるというキリスト教の信仰の根本にかかわることです。彼らはイエス・キリストを救い主と信じてはいたのでしょうが、それだけでは足りないと考えていたのです。律法というと私たちには縁のない話のように感じますが、私たちもまた、信じるだけでは足りないと考える傾向はあります。良い人間にならねばならない、クリスチャンらしく生きなければならない、奉仕をたくさんしないといけない、そういうプラスアルファを自分に課す傾向があります。プラスアルファはさらにプラスアルファを求めるのです。もっと頑張らなくては、もっと熱心ならねばと心が急かされるのです。そして徐々に信仰自体に疲れてくるのです。こんな自分は神の国にはいれるのかどうか不安になってくるのです。本来は信じて救われたはずなのに、救われた確信が薄れていくのです。 

 「そこで、使徒たちと長老たちは、この問題について協議するために集まった。議論を重ねた後」とあります。エルサレムの教会では慎重に議論を重ねました。使徒たちと長老が、とあるのは、皆でわーわー議論したのではないのです。教会の組織としてしかるべき人々が代表して話し合ったのです。これは今日の教会においても同様です。教会の会議は無秩序なものではなく、定められたところに従って行われます。これは堅苦しい決まりというのではないのです。組織や決まりというのは人間の恣意的な考えを廃止神の心を聞きとるためのものです。なんでもありにして、人間の思いを通していくのではなく、混沌から秩序を造られた神の御心を、秩序のもとに聞きとるのが教会における会議だからです。そこで当然人々はそれぞれの意見を言います。議論をします。しかしそれは、民主主義における議論ではありません。議論を重ねることはあくまでも神の御心を求めていくプロセスなのです。エルサレムの教会の会議でも十分に議論が重ねられました。御心を問うたのです。十分に御心をとうたのち、会議としての最後のとりまとめをします。 

<愛に基づく言葉> 

 そこで口火を切ったのはペトロでした。ペトロ自身、使徒言行録第10章でコルネリウスという異邦人が聖霊を注がれ信仰に入ったことを体験しています。ペトロ自身、ユダヤ人であり、律法を大事にして生きて来たのです。ですからもともと異邦人と交わること自体、抵抗がありました。そのペトロが神の導きによって変えられました。「神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ(使徒11:18)」という確信を持つようになったのです。 

 ペトロは語ります。「人の心をお見通しになる神は、わたしたちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです。また、彼らの心を信仰によって清め、わたしたちと彼らとの間に何の差別をもなさいませんでした。」神は、悔い改める心を、それがユダヤ人であれ異邦人であれ受け入れてくださるとペトロは語りました。むしろ差別は人間の側にあるのです。ペトロはさらに言います。「それなのに、なぜ今あなたがたは、先祖もわたしたちも負いきれなかった軛を、あの弟子たちの首に懸けて、神を試みようとするのですか。」ユダヤの人々はたしかに神い特別に選ばれた民でした。律法を受けた民でした。それは彼らの誇りであり、歴史でした。しかしまた。せっかく受けた律法を守られなかったのがユダヤの歴史ではなかったのか?動物たちが農作業する時に首に懸けさせる軛のように、律法はありました。人間はそれを負いきれなかったのです。律法を守れなかった人間を罰するのではなく、神は愛を注がれました。神の愛と憐れみと恵みによって、いまやその軛を軽くしてくださる方、イエス・キリストが来られました。「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽い」そう主イエスはおっしゃいました。にもかかわらず、あなたたちは異邦人に律法の重い軛を負わせるのかとペトロは語ったのです。 

 彼は教理の議論の中で、単に理論的にこちらが優れているということを語ったのではなかったのです。むしろ自分自身の悔い改めの思いの中で語ったのです。悔い改めの心は偏狭な差別意識や優越感を砕くのです。そして、教理というのは悔い改めの心、そして信仰のリアリティと結びついたとき生き生きとした力をものだからです。 

 その信仰のリアリティと結びついた言葉は、人々の心を打ちました。その場は静まり返ったのです。さらにバルナバとパウロが宣教旅行で体験した、異邦人たちへ神がなさったことを語りました。最後にヤコブが語りました。ヤコブは、12使徒のなかのヤコブではなく、主イエスの兄弟と言われるヤコブです。ヤコブはエルサレムの教会で指導的な立場にありました。「神が初めに心を配られ、異邦人の中からご自分の名を信じる民を選び出してくださった次第については、シメオンが話してくれました。」シメオンとはペトロのことですが、ヤコブもまた、神の民とされるのは、ユダヤ人であるとか、ユダヤの慣習に従うからということではなく、「神の心配り」によるものだと語ったのです。この心配りという言葉は、神が訪れてくださったとか、神が選ばれたと訳せる言葉です。信仰は人間の側の態度の問題ではなく、あくまでも神の恵み、神の愛の問題だと語ったのです。そして彼は旧約聖書のアモス書を引用して、異邦人の救いが預言されていたことであること根拠に判断をくだしました。 

<愛に基づく共同体> 

 その判断は、「神に立ち帰る異邦人を悩ませてはいけません。偶像に備えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血を避けるように。」ということでした。「偶像に備えて」以下の部分は少しわかりにくいものです。偶像やみだらな行いというのは特に異教社会で生きる異邦人にとって必要な戒めとも考えられますが、「絞め殺した動物の肉と、血を避けるように」というのは不思議なことです。これはやはり律法からくる規定なのです。結局ヤコブも律法の規定を部分的に異邦人に負わせようとしているのでしょうか?ある方はここをこのように解釈されていました。肉と血の問題は、ユダヤ人と異邦人が会食する場合を想定した勧めである、と。最初の偶像に備えられた肉も含めて、ヤコブの言葉は、救いの条件ではないのです。ユダヤ人たちが異邦人たちも割礼を受けなければ救われないとか、律法を守られなければ神の民ではないということとは根本的に違うのです。 

 文化や慣習の異なる者たちが共に生きる共同体において、相互に配慮してほしいということなのです。ユダヤ人たちは血を排除した肉を食べる習慣があり、そこに配慮をしてほしいということなのです。食事に関する問題は、実際のところ、ローマの信徒への手紙やコリントの信徒への手紙でもこの後、繰り返し問題となってくることです。しかし、それは救いの根本問題ではないのです。根本問題ではないにもかかわらず、繰り返し、教会が分裂するような争いになるということが起こったのです。それはばかばかしいことのようで、案外、どこの教会においても起こりうることなのです。信仰の根本問題ではないところで争いが起きるのです。習慣や文化の問題が信仰の根本の問題とすり替えられるのです。 

 以前、あるインド人の宣教師さんの話を聞いたことがあります。かつてその方の出身地で、なかなか、キリスト教の伝道が進まなかったそうです。それは、ヨーロッパ流の教会のスタイルをそのまま導入しようとしたことに原因があったそうです。その土地では、椅子に座る習慣がありませんでしたし、集会で男女が混じって座ることもなかったのです。そこで、礼拝堂を土間にして、男女が別々に座る形で礼拝をするようになったら、抵抗なく人々が集まるようになったそうです。日本においても、畳敷きの礼拝堂やキリスト教の施設があります。広島の修道院の聖堂がまさにそうだったのですが、初めて行ったときは、非常に驚きました。日本人の感性に合わせて伝道しようとした先人の努力をつくづく思いました。 

 パウロはローマの信徒への手紙の中でこう言っています。「神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです(ローマ14:17)」神の愛は文化、年齢、信仰歴の長さといったことからくる違いを越えるのです。その愛を受けた者は自由なのです。キリストによって神にかかれた律法から私たちは自由な者とされました。何を食べようと、何を着ようと、そこに信仰の根本はないのです。しかしまた信仰共同体において共に生きる時、私たちは隣人への愛に基づいて、自分の自由を制限することはあるのです。それは血抜きしない肉を嫌う人の前で、そのような肉を食べないというような、ある意味、ささいなことといえることなのです。しかしなおそのことも愛の心配りです。神に心を配られ、愛を注がれた私たちはまたその愛に基づいて、隣人への心配りをするのです。一方が一方に心を配るのではなく相互に愛に基づいて心を配るのです。そのとき、信仰共同体は豊かな多様性をもって自由な人間の集まりとして前進していくのです。その時私たち一人一人も狭い自分の思い込みや頑なさから解放されていくのです。 



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