大阪東教会礼拝説教ブログ

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使徒言行録第17章1~28節

2021-01-17 14:01:54 | 使徒言行録

2021年1月17日大阪東教会主日礼拝説教「知られざる神」吉浦玲子

【聖書】

パウロとシラスは、アンフィポリスとアポロニアを経てテサロニケに着いた。ここにはユダヤ人の会堂があった。パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と、また、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」と説明し、論証した。それで、彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスに従った。神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った。しかし、ユダヤ人たちはそれをねたみ、広場にたむろしているならず者を何人か抱き込んで暴動を起こし、町を混乱させ、ヤソンの家を襲い、二人を民衆の前に引き出そうとして捜した。しかし、二人が見つからなかったので、ヤソンと数人の兄弟を町の当局者たちのところへ引き立てて行って、大声で言った。「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。ヤソンは彼らをかくまっているのです。彼らは皇帝の勅令に背いて、『イエスという別の王がいる』と言っています。」これを聞いた群衆と町の当局者たちは動揺した。当局者たちは、ヤソンやほかの者たちから保証金を取ったうえで彼らを釈放した。

兄弟たちは、直ちに夜のうちにパウロとシラスをベレアへ送り出した。二人はそこへ到着すると、ユダヤ人の会堂に入った。ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた。そこで、そのうちの多くの人が信じ、ギリシア人の上流婦人や男たちも少なからず信仰に入った。ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、ベレアでもパウロによって神の言葉が宣べ伝えられていることを知ると、そこへも押しかけて来て、群衆を扇動し騒がせた。

それで、兄弟たちは直ちにパウロを送り出して、海岸の地方へ行かせたが、シラスとテモテはベレアに残った。パウロに付き添った人々は、彼をアテネまで連れて行った。そしてできるだけ早く来るようにという、シラスとテモテに対するパウロの指示を受けて帰って行った。

パウロはアテネで二人を待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した。それで、会堂ではユダヤ人や神をあがめる人々と論じ、また、広場では居合わせた人々と毎日論じ合っていた。また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者もパウロと討論したが、その中には、「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」と言う者もいれば、「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」と言う者もいた。パウロが、イエスと復活について福音を告げ知らせていたからである。そこで、彼らはパウロをアレオパゴスに連れて行き、こう言った。「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。

奇妙なことをわたしたちに聞かせているが、それがどんな意味なのか知りたいのだ。」

すべてのアテネ人やそこに在留する外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていたのである。

パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。皆さんのうちのある詩人たちも、/『我らは神の中に生き、動き、存在する』/『我らもその子孫である』と、/言っているとおりです。

【説教】

<次から次に騒動が起こる>

 今日の聖書箇所に「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。」という言葉があります。これはテサロニケでパウロたちに反対するユダヤ人たちが、パウロたちを捕らえようとして当局に訴えた言葉です。「世界中を騒がせてきた連中」というのはひどい言い方です。しかし実際、これまで使徒言行録を読んできて、たしかにパウロたちの行く所行く所、騒動が起こった事実があることを私たちは知っています。たしかにパウロたちはあちこちを騒がせてきたのです。もちろんパウロたちが好き好んで騒ぎを起こしたわけではありません。しかし、結果的に騒動が起こるのです。私たちは主イエス・キリストを信じ、救いを得、平安の内に歩みたいと願っています。ですから、使徒言行録を読む時、このように騒動ばかり起こることに少し戸惑いも感じます。主イエスは私は柔和で寛容な者だとおっしゃいました。しかし、その弟子たちは争いばかりしているようにも見えます。それはどういうことなのか、一緒に今日の聖書箇所から読んでみたいと思います。

 パウロたちのヨーロッパ伝道はフィリピで祝福に満ちたスタートを与えられました。とはいえ、占いの霊に支配された女奴隷のことで奴隷の主人から恨みを買い、投獄されてしまうということがありました。しかし、牢獄の看守が信仰に導かれるという神の恵みがあり、また幸い、一晩でパウロたちは釈放されました。そしてさらに彼らの宣教の旅は続きます。今日お読みした箇所は、フィリピからバルカン半島を西へと向かう経路になります。まず、ギリシャの大きな町であるテサロニケで宣教をしました。ここはフィリピと違って、ユダヤ人の集会所がありました。つまりユダヤ人が比較的多くいたところです。ユダヤ人が多いということは、主イエスが十字架から復活された救い主であることを頑として信じないユダヤ教徒が多いということでもあります。実際、テサロニケでも、これまでもそうであったように、主イエスの福音の宣教に対して、反対したのはユダヤ人たちでした。テサロニケでは、ユダヤ人たちがならず者を使って暴動を起こし、パウロたちを捕らえようとしましたが、それはうまくいきませんでした。テサロニケのユダヤ人たちは冒頭で申しました「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。」と訴えました。各地にいるユダヤ人たちのネットワークで、主イエスを伝えている困った連中がいるということが共有されていたということもあったのでしょう。

 パウロたちはテサロニケでの難を逃れてさらに西のベレアに到着しました。ベレアにもユダヤ人たちの集会所がありました。ベレアのユダヤ人たちは素直に御言葉を聞き、受け入れました。同時に異邦人たちもまた信仰に入りました。当初、ベレアでの宣教は平安に進むかと思われましたが、ここにテサロニケのユダヤ人たちが押し掛けてきました。テサロニケとベレアは50キロくらいの距離でした。なにもわざわざ、テサロニケからよその町まで押しかけてこなくてもいいのに、と思いますが、かつてのパウロがそうであったように、主イエスを信じることのできない熱心なユダヤ教徒にとっては、むしろ、キリスト教徒は神を冒涜する輩でありましたから、徹底的に排除すべき対象だったのです。この騒動の中、パウロはアテネに、シラスとテモテはベレアに残ることになりました。

 このようにパウロの行く所行く所騒動が起きます。神の愛と平和を伝えながら、あちらでもこちらでもトラブルだらけなのです。風変わりな新興宗教が、周囲には受け入れがたい教えをまき散らしているゆえに、周りから排斥されているようにも見える状況です。実際、私たちがこの時代、遠巻きに様子を見ていたら、それまでギリシャの文化の中で軋轢を起こすことなく、平安にユダヤ教は受容されていたのに、キリスト教は周囲に順応できず問題ばかり起こしていると見えるかもしれません。また自分の人生のなかで考える時、やってもやっても周囲との軋轢が絶え間なくあり、トラブル続きであるというとき、自分の方に何か問題があるのではないかと悩んだりします。

 しかしここで言えますことは、トラブル続き、騒動続きであったとしても、それが神から来たものであれば、やがて受け入れられ、成長する、ということです。トラブルが続き、なかなか周囲から認められないというときでも、なお御心を求めて、神に従って生きていくとき、それは必ず実を結ぶのです。フィリピに教会が立ち、テサロニケにも教会が立ちました。2000年後の私たちはそれぞれの教会の信徒へ書かれた手紙を読むことができます。そこに教会があった、という歴史的記録のみならず、その教会において養われた信仰の実りをーその教会の良いところも悪いところも含めてー私たちは味わい、学び、信仰の糧とすることができます。

 もちろん一方で、パウロの建てた教会と言えども長い歳月の中で消えていきました。では結局、パウロたちの努力は無駄だったのでしょうか。それは違います。確かにこの世界にあって形あるものは永遠ではありません。建物も組織も永遠ではありません。しかし、そこに神の御心があるならば、信仰の実りは場所や時代を越えて、受け継がれ、広がっていきます。パウロたちがテサロニケの騒動の中で命がけで伝えたものが、この大阪の地にまで伝えられてきました。ベレアで苦労したシラスとテモテの神への従順が2021年を生きる私たちに勇気を与え、新しい信仰者を生み出していきます。神が、時代を越え場所を越え、人間の業を、ご自身の計画の中で用いてくださるのです。ですから、仮に騒動続き、トラブル続きのような状況の中でも、私たちはすべてを神にゆだねて、安心して今日為すべきことを為していくことができるのです。

 そしてまた、パウロたちのように開拓伝道をするということではなくても、実際のところ、信仰生活には戦いがあります。それは私たちの内にも世界にも罪が満ちているからです。罪の心と誘惑が満ちている世界で、神に従い生きていくとき、そこには内にも外にも戦いがあります。私たちは戦いを恐れてはいけないのです。無理に騒動を起こす必要はもちろんありませんが、もめ事を起こさないように穏便に済ませようとする意識を過剰に持つことは、むしろ場合によっては罪や誘惑に迎合することになります。「世界中お騒がせてきた連中」という言葉は濡れ衣の罵りの言葉ですが、ある意味、逃げることなく果敢に戦ってきたパウロたちへの勲章のような言葉ともいえます。私たちも、罪の中の偽りの平和よりも、信仰の武具、祈りの盾を身に着けて御心のうちに闘う歩みをなすべきです。

<知られざる神>

 さて、ベレアでの騒動を逃れてパウロはアテネにやってきました。ギリシャの中心地であるアテネは、当時、ローマ帝国の中で、かつての政治的な地位は失っていましたが、文化や学問の盛んなところでした。知識人が多くいたのです。彼らは、新しい知識や文化に興味津々でした。ですから、これまで聞いたことがない奇妙な宗教のことを語るパウロに「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」と関心を示しました。パウロに興味を持った人々はパウロをアレオパゴスという場所に連れて行きました。これは、紀元前400年代から、ギリシャの議会が置かれていたところで、小高い丘でした。そこでパウロは語りました。当時の文化・学問の中心の場所でパウロは語りました。しかし、結論からいうと、アテネでは、それほど宣教はうまくいきませんでした。もちろんイエス・キリストを信じた人々も起こされたのですが、それほど多くはありませんでした。これはとても興味深いことです。よく聖書の学びなどでお話をすることですが、知的で学問が栄えていたアテネで福音があまり伝わらず、コリントのようなどちらかというと猥雑で快楽的な町の方が福音が伝わったのです。

 頭のいい人は理屈で物事を捉えるので、信仰に入りにくいという面もあるかもしれません。キリストの復活や、神のさまざまな奇跡といったことは、知的理解の及ばないところだからです。では信じる者は、知性や理性を放棄した人間なのでしょうか?それはまた違います。実際、世界で最高峰の学者でクリスチャンという人々はたくさんいるのです。というよりも、自然科学自体が神への信仰の中で発達してきた歴史があります。もちろんガリレオの地動説の問題や進化論といった、宗教と学問における問題は現代でもありますが。

 しかし、ここで不思議なことがあるのです。知的で議論好きな人々のいるアテネの町には多くの神々の偶像が立っていたのです。ギリシャ神話があるくらいですから、たくさんの神々の像が敬われていたのです。最初の伝道旅行の時、パウロたちが行ったリストラもそうでした。そこもギリシャの神々を信じる町でしたが、パウロたちが足の不自由な人を癒したので、人々はパウロを「ヘルメス」同行したバルナバを「ゼウス」と呼んで、捧げものを捧げようとしたという話がありました。滑稽に聞こえる話なのですが、知的な人々が、意外にはたから見ると根拠のないものを信じている、ということは往々にしてあります。

 現代においても、宗教ではないのですが、自己啓発セミナーや心理学セミナーと称して、怪しげな商売をする組織があります。それらはかなり法外なお金を取るのです。以前勤めていた会社の同僚もそういうものにはまってしまって、何十万というお金をつぎこんでいました。そういうところの話を聞くと、宗教ではありませんと受講者に語り安心させながら、実際は巧みに受講者を心理的に引き込んでいくのです。現代的な知的な言葉を使いながら、実際は心理的な高揚感に訴えかけたり、エリート意識に訴えかけたり、これをやるとなにもかもとんとん拍子でいくと事例を紹介したりして、理性を失わせて信じ込ませるのです。知的な人ほどそういうものに入り込んでしまうのです。かつて日本中を震撼させたテロ事件を起こした新興宗教に、いわゆる高学歴の人々、それも理科系の人々が入信していたことが話題になりました。知的なアテネの人々が多くの神々をあがめたように、人間は一歩間違うと、容易に根拠のないものを信じることができるのです。

 そして興味深いのはアテネに『知られざる神に』と刻まれた祭壇まであったというのです。知的なアテネの人々はたくさんの神々を祀っていました。それだけたくさんの神々を祀りながら不安だったのです。日本でも商売の神様、家内安全の神様、縁結びの神様、さまざまな神様がいます。何か悪いことが起これば、祀り方が足りなかったのではないかと思ったりします。氏神様の怒りを買ったとか、ご先祖様の供養が足りないとか、さまざまな不安にかられます。アテネの人々も、自分たちが知らないだけでまだまだ敬うべき神がいるかもしれないと『知られざる神』と名前を知らない神まで祭壇を作り礼拝をしていたのです。つまりたくさんの神々を祀っていたアテネの人々の心に平安はなかったのです。むしろ恐れゆえに『知られざる神』まで祀ったのです。知的な人々の心にあったのは恐れであり不安でした。その恐れを埋めるために学問をし、一方で『知られざる神』を祀るのです。

 パウロはアテネの人々に天地創造をされたただお一人の神を語ります。イエス・キリストというお方を通してご自分を人間に知らされた神です。知られざる神ではなく、キリストによって知られた神です。その神こそ、人間から恐れと不安を取り除き、まことの愛で満たしてくださるお方です。「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。(ヨハネの手紙Ⅰ4:18)」キリストの十字架から注がれる愛は私たちから恐れを締め出します。コロナの禍のなか、先行きの見えない不安な世界にありながら、なお、キリストによって知られている神のゆえに私たちは恐れません。いや正直に言うと、誰もが恐れを持っているでしょう。だからこそ見上げるのです。ただお一人の知られている神を。地上には恐れだらけです。だから神を見上げ、その愛を知り、愛によって恐れを砕いていただくのです。

 



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