2020年11月22日大阪東教会主日礼拝説教「」吉浦玲子
【聖書】
数日の後、パウロはバルナバに言った。「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか。」バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたいと思った。しかしパウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきでないと考えた。そこで、意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになって、バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かって船出したが、一方、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。そして、シリア州やキリキア州を回って教会を力づけた。
パウロは、デルベにもリストラにも行った。そこに、信者のユダヤ婦人の子で、ギリシア人を父親に持つ、テモテという弟子がいた。彼は、リストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人であった。パウロは、このテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた。父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである。彼らは方々の町を巡回して、エルサレムの使徒と長老たちが決めた規定を守るようにと、人々に伝えた。こうして、教会は信仰を強められ、日ごとに人数が増えていった。
【説教】
<さあ、出かけよう>
第一回目の宣教旅行の後、アンティオキアの教会はユダヤから来た人々によって混乱をしました。パウロたちはそのためにエルサレムに出向き使徒会議に出席し、その決議の結果を携えてアンティオキアの教会に戻ってきました。その決議によってようやくアンティオキアの教会に平穏が訪れたのです。しかし、パウロはそこでとどまろうとはしませんでした。「数日の後」に、「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか」というのです。パウロの宣教と牧会への情熱はとどまるところがありませんでした。
しかし、これは単にパウロが伝道熱心でえらいということではありません。本来、教会は主イエスが使徒言行録第1章で「地の果てに至るまで、わたしの証人となる」とおっしゃったように、キリストの証をし続ける存在として召されている存在だからです。つまり教会はキリストの言葉を聞き、キリストの言葉を伝え続ける存在です。それはパウロの時代も現代も変わりません。実際、この大阪東教会も、かつて複数の新しい教会を生み出しました。この大阪市中央区から東や西へ新しい宣教地を開拓しに出て行ったのです。
教会はどっかりと腰をおろして、内向きに集まって、お茶を飲んでおしゃべりする所ではありません。神の言葉を聞き、神の言葉を伝えるところです。キリストを証し、あらたな証し人を増し加えていく所です。次週からアドベントが始まります。今年は新型コロナウィルスによる感染防止のため、例年行っていたことがほぼできなくなります。しかしこれはひとつの神が与えてくださったチャンスです。私たちは本来のアドベントのあり方に立ち帰らなくてはなりません。主を待ち望むとはどういうことなのか、この罪に満ちた世界に、神であるお方が人間となって、来てくださったとはどういうことなのか、祈りのうちに深く思い巡らせねばなりません。和やかな祝会がなくても美しいギャンドルサービスがなくても、確かに輝いている神の光を見るのです。多くの教会のクリスマスは大阪東教会に限らず、この世の世俗的なクリスマスに少なからず影響されていたといえるでしょう。いまこそ、立ち帰るべきです。アドベントは悔い改めの期間でもあります。私たちはこれまでのあり方を悔い改めるのです。どっかと腰を降ろしてお茶を飲むのではないとさきほど申し上げましたが、しかし、いたずらに外に出ていったり、教会の広報活動をすることだけが宣教、伝道ではありません。私たちは悔い改めつつ、神の恵みの前に立ちます。宣教は、なにより、一人一人が神の恵みを味わい、良きキリスト者とされていくことが基盤なのです。今日の聖書箇所で、パウロはこれまで開拓、伝道した諸教会をまた訪問しようと計画していますが、それは、まだ生まれたての諸教会を巡り、そこに集う皆を励まし、その信仰を育むことこそが、その諸教会が宣教する教会として成長するために大事なことだと考えているからなのです。
<別れと旅立ち>
そのなかで、意見の対立が起きたことを聖書は伝えます。ヨハネと呼ばれるマルコを連れて行くか行かないかということでバルナバとパウロは揉めたのです。ヨハネと呼ばれるマルコは以前の宣教旅行のとき途中で帰ってしまった弟子でした。使徒言行録の13章に、キプロス島での伝道を終え、パンフィリア州に上陸したところでこの弟子はパウロとバルナバから離れてエルサレムに還ったのです。パウロは前回、途中で脱落したような者を連れて行くべきではないと主張し、バルナバは連れて行きたいと願ったのです。このマルコはバルナバのいとこにあたる人でした。バルナバには肉親の情があったのかもしれません。いずれにせよ、結局、パウロはシラスを連れ、バルナバはマルコを連れ、別々に旅行にでます。
そもそもバルナバはパウロにとっては恩人ともいえる人です。もともとキリスト者を迫害していたパウロは、エルサレムの使徒たちからなかなか受け入れられませんでした。しかし、バルナバが仲介してくれて、パウロはエルサレムの使徒たちから向かえ入れられるようになりました。年齢もパウロより上で信仰歴も長かったバルナバは当初、先輩としてパウロを導いたと思われます。すぐにパウロは頭角を現し、宣教の中心的役割はパウロが担うようになりました。しかしなお、パウロとバルナバは、共に宣教を担う仲間、同労者でした。その二人が別れて働くというのは、双方にとって痛手であったと考えられます。
初代教会のリーダーたちと言えども、喧嘩して、物別れして、別々に行動するということを人間臭いことととらえるべきでしょうか。聖書の文面にはそれ以上のことは書かれておらず、この対立に関して、パウロが厳しすぎるとも、バルナバの判断が甘いとも言えません。そもそも使徒言行録は、伝道者たちの活躍や人間模様を描く意図は全くないからです。使徒言行録は、何回も申し上げましたように、聖霊言行録です。初代教会の上に働かれた神の業を描くものです。この対立と別れの上にも神が豊かに働かれたことを使徒言行録は伝えるのです。しかし、いぜれにせよ、かつて心を一つにしていた者がわかれてしまう、共に歩めないということは不幸なことです。それは人間の愚かさかもしれません。しかしその愚かさを越えて、神は働かれます。人間の愚かさをも神は用いられます。
そう考えます時、私たちは対立を恐れるべきではありません。キリスト者にありがちな誤解の一つに、キリスト者は柔和で寛容でなくてはならない、だから喧嘩してはいけない、相手を受け入れなさいという考えです。むしろ、私たちは神に信頼をして、信仰や伝道の根幹に関わることに関しては、妥協をせずしっかりと議論をすべきなのです。
横浜指路教会の藤掛牧師はこの箇所について、このようにおっしゃっています。「信仰の核心に関わる場合、福音の真理が曲げられてしまうような場合には、私たちはむしろ断固として自分の確信を貫き、主張すべきなのです。それによって人間関係がうまくいかなくなることがあっても、真理を曲げるべきではないのです。」
もちろんやたらめったら人間関係を壊していいということではありません。しかし、私たちは人間関係を越えて働かれる神に期待すべきなのです。実際のところ、パウロとバルナバは袂を分かちましたが、逆に言えば、結果的には宣教活動が二手に分かれ、より広範囲な活動ができるようになったともいえるのです。そして何より大きなことは、パウロのこれから始まる二回目の宣教旅行は、パウロ自身が意図せず、ヨーロッパへ足を踏み入れるという歴史的な旅行となります。神のご計画は人間のちっぽけな思いを越えていくのです。
そしてまた、神が働かれる時、ひととき壊れたように見える人間関係も、不思議なことにやがて修復されるのです。マルコは迫害の激しい大陸の地域ではなく、バルナバの故郷でもあり、先の宣教旅行で総督がキリスト者となり、比較的平穏な状態で宣教ができるキプロス島での活動を通して成長することができたようです。テモテへの第二の手紙の4章11節にはパウロの言葉として「マルコを連れて来てください。彼はわたしの務めをよく助けてくれるからです」と記されています。使徒言行録に記されている対立の後、時を経て、パウロとマルコは和解したのです。むしろマルコはパウロにとって、自分を支えてくれる大事な同労者となったのです。
<神の慰めのうちに>
とはいえ、バルナバと別れて宣教旅行を始めたパウロには痛みと挫折感があったと思います。しかし、そんな彼に、新しい協力者が与えられました。一人は先ほど述べましたエルサレムからやってきたシラスです。アンティオキアの教会が混乱し、その収拾のためにエルサレムから派遣されてきた人です。アンティオキアの教会の混乱は不幸なことでしたが、その混乱のゆえに、シラスという新しい協力者が与えられました。ここにも神の不思議な配慮があります。さらに宣教先のリストラでテモテという人物と知り合います。先ほど紹介しました「テモテへの手紙」という書簡が残っていますが、テモテもまた、パウロが愛した若い弟子でした。
神は必要を満たしてくださる方なのです。私たちの歩みは自分で自分の必要をすべて満たさないといけないとするならたいへん厳しいものとなります。パウロとバルナバが対立したように、私たちの日々にもうまくいかないことが多々あります。その都度、すべて自分で責任を負うのではありません。自分の限界を認めて、神にゆだねて次に行くのです。それは逃げでも辛抱が足りないということでもないのです。神は挫折の中で、パウロにシラスとテモテを与えられたように、私たちにもまた新しい出会いや恵みを与えてくださいます。
ことにこのテモテとの出会いはパウロを慰めるものでした。といいますのは、前回、リストラ宣教は、パウロとバルナバが足の不自由な人を癒したことから、最初、二人がギリシャの神々と勘違いされ祀り上げられそうになったのですが、やがては手のひらを返すように人々から迫害され石を投げつけられ町の外に引きずり出されました。パウロは散々な目にあったのです。しかし、その頃、信仰を与えられたのがテモテの祖母と母親だったことがテモテへの手紙を読むとわかります。命を狙われるひどい目に遭いながらも、そこで信仰者が与えられたのはパウロにとって慰めだったでしょう。しかも、再びその地を訪問したら、彼女たちの孫であり息子であるテモテが宣教者として成長していたのです。バルナバやマルコと対立して痛みを負っていたパウロに大きな喜びが与えられました。神は喜びと慰めを与えてくださるお方なのです。
さて、今日の聖書箇所の最後のところを読むと、このテモテにパウロが割礼を受けさせたことが記されています。異邦人に割礼などは必要ないと言って、あれほど揉めて否定していたパウロがここでは「ユダヤ人の手前」テモテに割礼を施した、というのです。これは矛盾ではないかとも感じます。しかしこの割礼は、当然ながら、救いの条件として割礼が必要だという意味で施されたのではありません。テモテの個人的な事情が背景にあるのです。少しわかりにくいところですが、テモテは父親がギリシャ人だったと記されています。しかし母親はユダヤ人でした。彼はユダヤの信仰を母から伝えられて育ったことがテモテへの手紙を読むと分かります。しかし、ユダヤ人であるしるしの割礼は、おそらく父親が異邦人であるということから受けていませんでした。ですからテモテは、ユダヤ人から見たら異邦人とみなされていたのです。しかしまた一方で、異邦人からはユダヤ人とみなされていたのです。ユダヤ人でもなく異邦人でもないという立場は当時の文化的背景としては厳しいものでした。ことにユダヤ人から見たら、異邦人と結婚した女の、割礼のない子供というのは、普通に異邦人というよりも、さげずまれる存在だったでしょう。そのようななかで育ったテモテへの配慮としてパウロは彼に割礼を施しました。ユダヤ人から不必要に後ろ指をさされないようにというパウロの愛の配慮でした。
ユダヤ人でも異邦人でもないという複雑な背景を持ち、自分の出自にうしろめたさを感じていたテモテは、そのような出自や過去のことにとらわれる必要はないのだと示されたのです。そしてそのような苦しみの中に生きて来たテモテこそ、こののちの異邦人伝道において、パウロの良き同労者となっていくのです。周囲から理解される傷ついたパウロと、その出自からさげずまれていたテモテ、しかしそのパウロにもテモテにもそれぞれに神から慰めが与えられたのです。神は不思議な形で慰めを与えてくださる方なのです。
アドベントは到来という意味です。キリストの到来お待ち望むのがアドベントです。アドベントはラテン語ですが、英語のアドベンチャーの語源でもあります。アドベンチャーはアドベントの未来形から来ていると言われます。アドベント、これは完了形です。キリストは来られたのです。しかしまた、未来にお越しになります。キリストがふたたび来られる再臨の未来に希望を持って生きることがアドベンチャーです。新しい冒険です。新しい冒険に出るパウロとテモテに神の慰めが与えられました。今、新しい一歩を私たちも踏み出します。そこに神の配慮と深い慰めが与えられるのです。
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