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ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

伊達政宗公誕生秘話 その2

2009年02月27日 15時13分29秒 | 仙台藩と伊達家のお話し
伊達家の正史『性山公記録』には、誕生秘話をこのように伝えています。

母義姫は、長井荘の亀岡文殊堂(山形県高畠=ここにはワイナリーがあり、この亀岡文殊も現存しますよ。)の傍に住んでいる※木喰い(木の実だけを食して修行した)上人「長海」に頼んで、「文武ノ才忠孝の誉アラン御子」の誕生を湯殿山に祈願させました。

※木喰いについては、過去記事「湯殿山龍水寺金剛院大日坊」の即身仏をご覧下さい。

長海上人は4月2日に湯殿山に登り、その証しにと梵天を「湯殿ノ御湯ヲ嘗テ下向」したと書かれています。
梵天とは、修験道で祈祷に用いる幣束で神のよりつくもの=神の依代です。(家内と大日坊に行った時もこの幣束で御祓いして戴きました。)

当時紙は貴重でしたので、色の白い樹の枝を薄く細長く半ばまで削り花のように縮らせ、又はまき上げ・・つまり削り花状のものですね。
白樺や岳樺(だけかんば)などを利用したのかも知れませんね。


以前の記事、出羽三山神社/羽黒山その1で、湯殿山の御神体について触れていますが、ここでは記しませんでした。
記事の中にも書いていましたが、湯殿山のことは、昔は他言無用だったのです。
芭蕉もここに来て、「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」と詠っております。
しかし、情報の近代に隠しても、調べられますので、ここで書かせていただきます。

湯殿山の奥の院は、㊙『女陰』であると、書かれています。
湯殿山の奥には、巨大な岩があり㊙女陰型をしています、それを奥の院とか、御宝前と呼びます。
女性の臨月のような形をした巨大な赤褐色の半球体にそれはあり、温泉がコンコンと沸いています。

私も何度か伺いましたが、このお湯が御神体なのです。
ですから、靴を履いてはいけません、手前で靴と靴下を脱ぎ、身体を紙で清めそれを水に流してから、入れます。
ですから、女性の方は着替える場所がないので、パンティーストッキングは履かないで行った方がいいですよ。
それでは、話しに戻ります。

その奥の院の湯に根棒状の梵天を嘗(なめ)させて帰り、義姫の寝室の屋根に梵天を立てました。

ある夜のことです。
夢の中に、白髪の僧が現れ、胎内に宿を借りたいというのです。
義姫は輝宗の命を聞いてからにしたいというと、老僧はうなずいて消えました。
・・・・輝宗に伝えると「それは瑞夢だ! それを辞すことは無い」と答えました。
※瑞夢=縁起の良い夢・吉夢のこと

その夜も老僧が夢に現れ、前夜のことを聞きました。
義姫は、「許す」と答えると僧は感謝の気持ちを延べ、梵天を義姫に授けて胎育せよと言って消えました。

幣束を胎育することは、神が胎内に入ること・・・、即ち懐妊し、やがて出産しました。
長海上人が梵天丸の幼名を名付け、取子(とりこ)役を務めました。
取子とは=育児呪法の一つで、赤子を社寺の門前に捨て、神宮・僧侶に拾ってもらい、それをもらい返して育てること

後の長海上人は、仙台城下元寺小路(本町2丁目)の湯殿山月山寺宝光院住職になり、湯殿山は毎年4月2日に宝光院住職が参るまでは、入山禁止にしたそうです。
宝光院にある、浅黄地に白く丸と山の字を紋とした古い幕があったそうです。
紋は月山の字を表しています。 
これには、血が付着しています。 それは、政宗公が戦闘の度に長海上人を従えてこの幕を用い出陣したので、付いたのだと言われています。

チョット余談ですが・・・
政宗の具足や陣羽織は、黒が基調となっています。
「黒と金」「赤と黒」取り合わせですが、これも湯殿山信仰によるものです。
日輪(日の丸・赤・金)は金剛界を象徴し冑の三日月又は半月の立物などは胎蔵界(夜・黒・月)を象徴します。
日の丸は伊達家の家紋の一つです。
しかし、秀吉が天下人になると「日の丸」は天下人しか使えないのですが、政宗公だけ使用が許可されています。
しかし、徳川の時代、官船の船印のみに「日の丸」を使うことになり、仙台藩は白地に朱の九曜紋の旗が使われることになりました。
サンファン・バウティスタ号の船体には九曜紋がありましたね。

     
仙台市博物館の記事           サンファンバウティスタ号の記事 5話になってます。

前回に出てきた「満海上人」ですが、長海上人の師だといいます。
また、満海上人は出羽国谷地(山形県河北町)の出身で、右目を失明していました。
満海上人の故郷河北町笹川や隣の寒河江市皿沼に鍛冶屋敷があり、月山鍛冶の居住地と推定され、以前は月山頂上付近に鍛冶小屋という地名があったといいます。
松尾芭蕉は「奥の細道」で月山刀に触れています。
月山鍛冶の先祖は、平泉の藤原氏が保護していた舞草鍛冶(もぐさかじ)【岩手県一関市だ】といわれています。
舞草刀は日本刀の原型だともいわれています。

鍛冶師は炉の炎の色を見つめなければならないので一眼を損じてしまいます。
満海上人も鍛冶師だった可能性がありますね。??

満海上人は名取郡根岸の黒沼のほとり(仙台市太白区香澄町・東北放送付近)の庵室に住んでいました。
毎日垢離(仏に祈願する為水を浴び身体のけがれを落とす)のために黒沼に浴し、日夜勤行を怠りませんでした。
後に「大般若波羅蜜多経」を書き写し、経ヶ峰の中の峰の中に埋めたのです。
それで、経ヶ峰と呼ばれるようになったのです。

そうです。政宗の御廟所がある山ですね。
瑞鵬殿の記事はこちらから

義姫が懐妊の時に出てきた老僧こそ満海上人で、政宗公は満海上人の生まれかわりと人々は信じていました。

こんなな話しも、スペイン人説とあまり変わりませんかね?
キリストの話しのようですね。


今回も長くなりましたので、この辺で・・・・

次回は、政宗公を人類学及び解剖学的に検証します。

おまけ


人種について・・・

インドおよび中近東から、ヨーロッパに住んでいる人々がコーカソイド(アーリア民族)ですね。
その中でも、紫外線が少ない北方に住んでる人々は環境の影響でメラニン色素が少ない遺伝子を受け継いでいますので、目は青くなります。
南ヨーロッパの人々は、逆に髪や目の色が黒っぽくなります。
そこで、中部ヨーロッパの人々は?というとやはり混じり合い中間的な色になってしまいますね。
経験的に又はTVなどで拝見していても、北ヨーロッパの人の方が、身長の大きい人が多いですね。

スラブ系(ロシア東欧など)、ゲルマン系(ドイツ、イギリス周辺)、ラテン系(フランス、イタリア、スペインなど)という分類がありますが、これは宗教的又は、歴史的な分類のようです。
日本人はモンゴロイドですが、インドネシアの人々も同じモンゴロイドです。
しかし、南方系モンゴロイド(ジャワ系・マレー系など)と、北方系モンゴロイド(中国・日本など)
しかし、混血していったり、地形的に隔離され民族などなど、一概にこうだ!と言い切れないのも事実でしょう。

最近、娘が大学で学んだ本の中から、「人文地理学」や「中国社会の人類学」、「社会言語学入門」、「人間関係」、「自然環境の生い立ち」「基礎心理学通論」、「武家の女性達」を借りました。
読み終わるのに、何年掛かるだろう・・・・???
こんな記事書いてたら、読む暇無いです。www


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27 コメント

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その温泉って・・ (papiee)
2009-02-27 18:05:38
その湯殿山の温泉はもしかして
子授けのお湯みたいな言い伝えとかあるのですか?
話を聞いてたらなんか、縁起が良さそうなので
ちょっと聞いてみました。
返信する
papieeさんへ (ひー)
2009-02-27 19:29:11
政宗のような立派な子を授かってください。
願う心が大事なのです。
6月にもなれば、雪も溶け湯殿山にいけるでしょう。
神秘の湯をその足に感じてください。
返信する
いやぁ (あーさん)
2009-02-27 19:46:19
ひーさん、勉強家ですねぇ

仕事あり、飲み会あり・・・なのに、よく調べておられるのには感服です♪

人類学及び解剖学的検証  期待しています♪
返信する
Unknown (桃源児)
2009-02-27 20:18:55
上人の生まれ変わり、そういう話なんですね。
スペイン人よりも、信憑性があるかもしれません。
そういえば、政宗公の甲冑、黒ですね。月も前立てについている。
返信する
ほほぉ~ッ !! (ぐずら)
2009-02-27 21:17:47
満海上人鍛冶師説ですか !!

鍛冶と隻眼といえばの鍛冶神天目一箇神(あめのまひとつのかみ)
梵天といえば帝釈天と並び仏法守護十二天の筆頭

天目一箇神(天神)=満海上人=政宗=梵天(天部)
ほらこれで天神と天部がつながった
返信する
あーさんへ (ひー)
2009-02-27 21:19:05
最初は、ガイドの話しから入りました。
興味がある話をガイドが話すと、どこまで本当なのか調べます。
それは、ドンドン色づけられて行くからです。
客の受けを狙う為に、話しを面白くしていくガイドもいますからね。
ベテランガイドには、頭があがります。
勉強家も沢山いますよ。
返信する
桃源児さんへ (ひー)
2009-02-27 21:32:23
まぁ、この辺はご了承下さい。
伝説ということで・・・
現在の伊達家18代当主の伊達泰宗様公認の本を読んだので・・・
返信する
ぐずらさんへ (ひー)
2009-02-27 21:41:26
へ~そうなんだ・・・
まぁ、こじ付けの部分はあるけど、しかた無いですね。
東北の覇王として、神様みたいな存在にしたかったのでしょう。
鍛冶神天目一箇神かぁ 頭に入れときます。どっかでまたぶつかるかも。
返信する
おっと!忘れた! (ぐずら)
2009-02-27 21:48:08
昭和49年伊達家三代の廟所を再建するに際し
発掘調査が行われ

政宗公は、身長159.4cm(当時標準的)、血液型B型、
米沢で落馬した足の骨折痕(治癒)も確認されたそうです。

んでも・・・

骨格にヨーロッパ人の特徴が見られた
との報告は、残念ながら・・・
返信する
ぐずらさんへ (ひー)
2009-02-27 21:55:07
ハハ・・・
やっぱりね~べ
発掘調査のデータをどこまでアップするか決めてないけど、明日は泊まりなので、明後日の夜にはなんとかアップしたいと思います。
今日パソコンの前に12時間もいたよ。
もう目が見えない。
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