むかしむかし、 伊達藩と南部藩の境がハッキリしていませんでした。
そこで伊達の殿様は、南部の殿様に手紙を書きました。
『○月○日 午の刻に午に乗って、お互いに会った所を藩境にしよう。』
当日、伊達の殿様は,手紙の通り、馬に乗って午の刻にお城を出て北に向かいました。
しかし行けども行けども南部の殿様に会いません。
北上に入った頃、南部の殿様は牛に乗ってゆっくり来たではありませんか。
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仙台でこの仙台四郎を知らない人は少ないだろう。
福の神として有名だが、その経緯を知る人は少ない。
四郎は、江戸末期から明治時代にかけて実在した人物で、
本名を芳賀四郎といい、鉄砲職人の家庭に生まれました。
生家は裕福でしたが、知的障害を持ち、いわゆる「智恵おくれ」だったのです。
周りからは、しろばか(四郎馬鹿)と呼ばれていたそうです。
しかし、生まれつき智恵おくれだったわけではないよう . . . 本文を読む
定義如来/西方寺(定義山) その3新本堂平成11年新築されました。 同じく五重塔も造られました。どんより曇り空だったのですが、ほんのチョット青空が、ダッシュで五重塔へ・・・これが最初で最後の青空でした。 その後は、雪がチラチラ舞い降りてきたのです。美味いものでも食って帰るか・・・ まんじゅうデカイでしよ(´∀`) 三角あぶらげもデカイん . . . 本文を読む
定義如来/西方寺(定義山):平貞能公(その2)ちょっと余談ですが、この辺一帯に落人達は隠れ住んだのです。昔はお墓なんてありません。山の奥のひっそりとした所に、石ころが積み重なっているだけです。 当然今は、墓地がありますが、お墓に行くとほとんど 平家と刻まれた墓石が目立ちます。鬼怒川の奥の湯西川にも落人の里があります。源氏に追討から逃れるため、奥地に入りましたが、それでも許されない掟がありました . . . 本文を読む
定義如来/西方寺(定義山):平貞能公仙台から国道48号線を山形方面へ・・・日本で三番目に高い鉄橋(仙山線)が左手に見えたら、熊ヶ根橋を渡って右に進みます。行き着くところは、浄土宗 極楽山西方寺 定義如来(じょうぎにょらい) 通称定義さんです。 定義如来の歴史について簡単に説明しておきます。 今から約八百年前、平重盛公が平和祈願のため中国の欣山寺に黄金を寄進。その際に送献されたのが、阿弥陀如来の宝 . . . 本文を読む
ひとめぼれ
けっして、米の話しではありませんよ。
ある日、政宗は身分を隠し、家臣と共に城下へと出た時のことです。
すると、一人の町娘が政宗の前を横切ったのです。
政宗は、その町娘の美しさに心を奪われてしまったのです。
政宗は、あの片目でその町娘に惚れてしまいました。
一つの目で惚れてしまったので、まさしく『ひとめ惚れ』だったようです。
『ひちめぼれ』の語源はここにあったの . . . 本文を読む
仙台城址
このお城には、千畳敷きの大広間があったといいます。
実際には430畳だったと聞きます。千畳敷きは広いと言うたとえだったのでしょう。
豊臣秀吉を真似て造られたであろうと言われる桃山式書院造りでした。
明治初期に維持困難の理由で取り壊されている。
そのときに、金メッキなどの飾り金具も出土されたようです。
よくこの騎馬像を写真で見かけるだろう。
この日はあいにくの曇り空で . . . 本文を読む
伊達政宗騎馬像
ちょっとだけ政宗に触れてみよう。
時代背景は
戦国末期から江戸初期の大名です。
陸奥:仙台藩祖
出羽:米沢城主、伊達輝宗の長子。
政宗公は、満海上人の生まれかわりと人々は信じていました。
政宗公誕生の秘話があります。
幼名を梵天丸と名付けられた理由が、これなのかと思いましたよ。(^_^)b
この話しは、後程いたしましょう。
11歳で元服
13歳の時、三春城 . . . 本文を読む
隅櫓を左折し青葉山へとを登った。
昔は、ここに大手門があったが、この隅櫓と共に、戦災にあってしまった。
以前は国宝だったのだが、残念なことです。(現在のは再建されたもの)
確か、大手門は、豊臣秀吉から戴いたもので、朝鮮出兵の際佐賀の呼子にあった、名護屋城に使用していたものと聞いたことがある。
長い間石垣の修復工事をしていたが、1998年~2004年すっかり綺麗になった。
実は、この石垣工事は大 . . . 本文を読む
友人から聞いた話ですが、
まだ、本(高木彬光著)は読んで無いのですが、簡単に説明すると……
『成吉思汗の秘密』と言う本があるそうです。
義経北行伝説ですね、北海道に渡りそこから中国大陸に渡って『チンギス・ハ-ン』になったと云う話しです。
成吉思汗という名前は義経から静御前へのメッセージだと云うのです。
『吉成りて、汗を思う』となり、これを二人の関係に置き換えると
、『吉野山の約束成り . . . 本文を読む
炭焼藤太とは、義経を都から連れて、奥州・藤原秀衡(3代目)に逢わせた、金売吉次の父親です。
金売吉次は、NHK大河ドラマでも、吉次として登場していた。
義経絡みの話は、あまりにも多すぎて、話は日本全国に飛び火してしまう。
だからあまり触れないようにしよう。
金売吉次(橘次)の伝説は、日本に点在するようだが、金成町に言い伝えられる、その父の伝説を話したいと思います。
伝説そのものは、元金成 . . . 本文を読む