塩竈マリンゲートの横から湾内を眺めた
築港には倉庫が並ぶ・・・
撮影場所には、こんな建物がありましたね。
観光汽船や湾内の島々から学校に通っていた友人もいました。
浦戸寒風沢や浦戸桂島そして野々島・・・彼らは、最終の船に間に合わなければ自宅に帰れません。 それを理由に帰らないで遊んでいた奴も・・・苗字は、内海さんとか多いですね。
寒風沢(さぶさわ)には、伝説のお地蔵さんがいます。
なか . . . 本文を読む
壺の碑についてはここをクリック
八幡神社ーはちまんじんじゃー
通常は「はちまん」でいいのですが、自分が子供の頃は「やわた」神社と読んでいたような気がします。
実は、多賀城では地名が「やわた」になっているからです。
八幡(やわた)の地名は多賀城市の中でも広い地域の一つです。
今は、〇丁目と言いますが、私が幼少の頃は、の名前があり八幡下一・八幡下二・八幡上・八幡沖と . . . 本文を読む
宮城の地酒です。
説明は飛ばして写真だけでもご覧下さい。
奥州一ノ宮と言われる、鹽竈神社の門前町には、前回紹介した丹六園さん『創業享保5年(1720)塩を模して作られた「銘菓:志ほがま」表面に天然記念物の「塩釜桜」を打ち出され、昔ながらの製法と味を守り続けている。』や、今回ご紹介する佐浦酒造さんも老舗の一つです。
先日は倉庫の後方からの写真でしたが、今回は店舗がある表側の本町(もとまち)に回り . . . 本文を読む
芭蕉船出の地から宮町あたりをふらふら・・・・
塩竃神社の表参道がある西を望めば川だったところは、道路になり交互通行になりました。わずかに工事が残っているようです。
チョット視線を左にやれば佐浦酒造(浦霞)の蔵が背中を見せている。
向かいの右側には銘菓・志ほがまの老舗のお店(丹六園さん)が見えます。
国道45号線側から塩釜神社に車で行く場合はこの道を通る。もちろん大型バスもです。
この通 . . . 本文を読む
写真:昭和22年/東一番町、左手のコンクリートが藤崎デパートです。
明治・大正・昭和初期の地図を見る。
前回の記事のあたりの地図です。
明治34年です。地図も閑散としてます。右上地方裁判所とカットされてますが、道路を挟んで憲兵隊がありました。
大正元年:地方裁判所と憲兵隊の間の通りは、前回の記事に記載してある、裁判所横丁と呼ばれていた頃ですね。三越の辺りには、別府温泉の文字が、銭湯だった . . . 本文を読む
東一番丁もイルミネーションで飾られてました。
仙台の方なら東二番丁通りにある、タワービルは良くご存知でしょう。
その南側の横丁、東一番丁の江陽写場に抜ける通りは、明治33年に一番町の角に森徳座と言う劇場が出来てから「森徳横丁」と呼ばれ、その前身の森民座があった頃は、「森民横丁」と呼ばれていたようだ。
このタワービルの前は、市立病院がありましたが、その昔には仙台地裁があり . . . 本文を読む
昭和40年
先日、職場の仲間と忘年会と言うこともあり、チョット早めに出てぶらぶら歩きながら、国分町へ向かいました。
まずは、知る人ぞ知る名掛丁センター
オッ!看板綺麗になってる
名掛丁は仙台藩の組士たちの屋敷跡が、商店街に変わった町です。
以前にも述べましたが「丁」は侍「町」は町人街ですね。
藩士の身分は、一門・一家・準一家・一族・宿老・着座・太刀上で門閥七等と言われました。
※「閥」は門柱 . . . 本文を読む
多賀城市内の国府が築かれた辺りをウロウロしていると・・・・
新発見
何これ いつの間に空き地の隅に記念碑が・・・?
漏刻(水時計)
『日本書記』には、我が国では、斉明天皇6年(660年)中大兄皇子(なかのおおえのおうじ:後の天智天皇)が初めて「漏刻」を造り、人々に時刻を知らせ、天智天皇10年(671年)4月25日(現行暦6月10日)に「漏刻」を新天文台に据え、鐘や鼓(つつみ)で時を知ら . . . 本文を読む