前記事の「旧盛岡銀行」や「新渡戸稲造誕生の地」の界隈にあるここ下ノ橋の袂にこんな碑がありました。
ということで、すぐ下の駐車場にある井戸を見に行きました。
宮沢賢治ゆかりの地
宮沢賢治(明治29年(1896)~昭和8年(1933))は、岩手県稗貫郡里川口(現花巻市)で生まれた。
盛岡中学校(現盛岡一高)、盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)時代の多感な青春時代を盛岡で過ごしている。 . . . 本文を読む
明治44年建設の国指定有形文化財
旧盛岡銀行は市街地の中心部に位置し、中ノ橋を渡ると左側にに赤煉瓦造りに緑のドームとルネッサンス風の西洋風の建物が見えて来ます。
盛岡市内の代表的な景観です。
設計は,東京駅を設計した辰野金吾氏と盛岡出身の工学士・葛西萬司です。
東京駅のモデルになったのは、即位式をまじかにしているオランダのアムステルダム駅ですね。
昔、オランダのアムステルダム駅から列車でベル . . . 本文を読む
先日、カミサンの研修があって便乗して盛岡に行って来ました。
残念ながら、桜はまだつぼみでした。
夕方まで暇なので市内をぶらぶらしたわけです・・・という訳で今日から数日盛岡の記事をUPしたいと思います。
特に目的地は無かったのでしたが・・・・・
この看板を観て誕生の地まで100m・・・それなら行ってみましょう。
まずは、この橋を渡ります。
木造の橋です。何故????
どうやらこ . . . 本文を読む
新居に移ってから、ちょこちょこと庭いじり・・・・
家の周りは西側を玉砂利にして3分2程コンクリートにしました。
最近の住宅のコンクリートはこのように隙間を作ってあります。
一つは、割れを防ぐため、もう一つはコンクリートを減らす為と水はけを良くするためです。
ベタ基礎からはじめ、擁壁工事などにも沢山のコンクリートを使いましたが、震災の影響でコンクリート不足が発生し業者さんも苦労していました。完全 . . . 本文を読む
しおがまさま神々の花灯り
鹽竈神社境内
本日行って参りました。 月も今日のお月さまです。
風が心配でしたが、神社に着くとピタッとやみました。
写真編集に時間が掛ってしまいました。
もう遅いので、写真は羅列してUPします。
明日 . . . 本文を読む
これはHP多賀城の資料です。
大日堂
高橋発向にあり、旧高橋村の鎮守であった。(現在高橋5丁目・旧、高橋字発向貳百拾壱番地)
祭日は四月と十二月の八日で「大日講」といい、集落の人々が米を持ち寄り、握飯を作って供え、一同で握り飯を食べて祭りをしている。
高橋大日堂は、地区住民の神仏習合の場として崇拝され、御本尊日如来は守本尊として五穀豊饒 家内安全 無病息災を願い時には平穏 武運長久を . . . 本文を読む
石橋屋は仙台市舟丁という所にあり、昔藍染に用いた掘割の橋のそばです。京都風のれんじ窓を切り、入口に長いのれんをかけ、店先に天水桶を置き、江戸情緒があります。
石橋屋が居を構える仙台は学都、杜の都でもあり、ロマンの街でもあります。みちのくの旅のつれづれに、もし仙台駄菓子を知られたら、それは小さな発見といえないでしょうか。
おかげさまで石橋屋は、平成6年に仙台市都市景観賞をいただき、平成14年に仙台景 . . . 本文を読む
一目千本桜 大河原~船岡 2013
震災以来行っていなかった一目千本を観に行きました。どこにでもある一目千本ですがここは宮城の大河原~船岡です。
早速写真の羅列です。
懐かしい国鉄カラーの485系 『みやぎ・ふくしま花めぐり号』
船岡城址公園に立つ船岡平和観音・・・・・ NHK大河ドラマ『樅ノ木は残った』の放送で注目を浴びた伊達騒動の中心人物 原田家が居城。 寛文事件(伊達騒 . . . 本文を読む
別名天童神社、喜太郎稲荷とも呼ばれる天童氏の守護神。天童氏が出羽国天童にいた頃、喜太郎という足軽に窮地を救われたという伝説が残されています。
「喜太郎稲荷大明神由来」
天正十二年十月十日(1584年)
天童城主頼久公最上義光に攻略され落城草刈将監等と関山峠を越えんとしたが暗闇の為難渋す
その時喜太郎と言う忍者現れ灯を点し愛子迄道案内をつとめてくれた
以後生命の恩人として天童家の氏 . . . 本文を読む
オール電化でのスタートで気になるのは電気料金でした。
請求が来るまでは、不安なものです。メーターを見れば1000kwを軽く越しています。
以前は50アンペアーの契約でしたが、エアコンを5台と蓄熱暖房(200V・5.0kw)も入れていますので、電気屋さんは安全を考慮して80アンペアーでの契約です。
60アンペアーと基本料金は同じなのでOK出しました。
太陽電池の最大出力は3.74kwです。
. . . 本文を読む
※ビスカイノ(セバスティアン・ビスカイノ)
※金銀島探検記
支倉常長やサンファンバウティスタ号の話は以前記事にしていますが、後ほど追記したいと思います。
その前に、三陸沿岸の調査をしていたビスカイノ一行は慶長大津波を目撃していたのです。
●ビスカイノの三陸沿岸の探索は1611年(慶長十六年)七月七日、徳川家康に対して日本の東沿岸の測量や造船などに関する朱印状交付の為の請願書を提出したことに始 . . . 本文を読む