白虎隊像
慶応4年(1868年)の鳥羽伏見の戦い後、会津藩では軍制をフランス式に変え、戦力を重視し、玄武隊、青龍隊、朱雀隊、白虎隊の年齢別による組織をつくりました。
白虎隊の隊士達は、16から17歳の少年達で編成されていました。
朱雀隊を主力として第1線に配置し、それに続く青龍隊に国境を護らせ、玄武隊、白虎隊、幼少隊は、その予備軍でした。
つまり白虎隊は戦闘に出る予定はなく、主に城中の . . . 本文を読む
2008年に4話に分けていた「瑞鳳殿」を写真を差し替え一つにまとめました。
仙台市青葉区霊屋下にある瑞鳳殿に行って来ました。 この住所の霊屋(おたまや)もやはり、
ここに廟所があるからですね。
石造りの階段は。戦災をのがれ藩政時代からのもので、杉並木は樹齢370年余のものもあるそうです。
石段の途中には昔の「お手水」の跡地がありました。昔はここで身を清めたのでしょう。
そしてこの石 . . . 本文を読む
さあ、でかけよう!
東沢バラ公園
約7ヘクタールの広さに世界各国の約750品種、2万株余りのバラが咲き誇ります。
その一部をご覧ください。
ハチがやってきました。
甘い蜜の味?
するとクマバチ(クマンバチ)がホバーリング
みなしごハッチ? 旨いんだろうなぁ・・・
この花は時間が経つと色が変わります。
最 . . . 本文を読む
南染師町
伊達政宗が仙台に移った時に従ってついてきた染物師の一行は、当初現在の霊屋下付近に住み着きました。
その後、御霊屋造営のため寛永三年(1636)七郷掘の上流に移ったのです。
伊達家と一緒についてきた店が6軒、よそから移って来たのが11軒で、これらが掘りを挟んで職人町を作っていたのです。
これが南染師町の始まりです。
町屋の間口は六間と定められていましたが、ここは半間広く与えられ、大町 . . . 本文を読む
このブログの中では二度目の大内宿です。
大内宿は、会津城下と下野の国(日光今市)を結ぶ32里の区間の中で会津から2番目の宿駅として1640年ごろに整備された宿場町です。
南山通り・下野街道・日光街道・会津西街道とも呼ばれ、会津藩主の18回に及ぶ江戸参勤と江戸廻米の輸送と、当時会津藩と友好関係にあった米沢藩・新発田藩なども頻繁に利用した重要路線でした。
また、以前の記録では天正18年(1590 . . . 本文を読む
福島県南会津郡下郷町にある景勝地で全長200mにわたって、大規模な奇岩が整列しています。
国の天然記念物に指定されています。 流れは大川です。 この川沿いに芦の牧温泉があります。
虚空蔵尊
このつり橋揺れるんですよ。
さて大内宿に行きますか!
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5月23日一泊で小・中学の同級生6人で会津へ出かけました。
コンセプトは、修学旅行の地を再び回ろう。って感じですね。 当時は喜多方や大内宿周辺はそしてここも来ませんでしたが、ねぎそばが食べたくて・・・・。
まずは、日本で唯一茅葺の駅舎である湯野上温泉駅で休憩!
あら、ツバメが写りこんでいます。
駅舎の中も昭和です。
まもなく会津行きが来ますというので、急いで入場券を購入!
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