この伝説について、得た情報はわずかなものでした。 唯一出版されてた、佐々木徳次郎さんの昔話の本は絶版で取り寄せることも出来ず、 . . . 本文を読む
日高見国の記事でチョット書いた日本酒の「日高見」です。
チョイト一杯のつもりで飲んでいつの間にやらはしご酒♪
古い!
同僚と4人・・・・居酒屋へ
やっぱ、虎横を通って・・・
昼の写真と同じ場所です
ここに行くか~
乾杯!
二次会いくぞう! 「いぐべ・いぐべ」
今、国分町には、3000店舗の飲食店があります。今は少し減ったかな~?
どれどれ . . . 本文を読む
仙台の夜・・・と言えば、国分町でしょう。
日焼けならぬ、ネオン焼けするほど通った殿方は多いはず。
しかしバブルが弾けてから、すっかり客足は減りましたね。
一時、国分町の通り沿いには、客を呼び込むレディ達が肩を並べていました。
しかし、条例によりその姿は消し、ポン引きのおじさん達も客に声を掛けることすら出来なくなったのです。
じゃー居なくなったのか そんなことは、無いです。
小さな声で、 . . . 本文を読む
現在の新伝馬町辺りです
昭和40年の名掛町ですね。
看板は中央通り名掛丁となってます。
奥の中央通りは、もうアーケードになってますね。
確か仙台駅に一番近い名掛丁が、最後にアーケードになったと記憶してます。
この通りの喫茶店でアルバイトしたものです。
よく私のような素人のナポリタンを食べてくれたと関心しますよ。
フルーツパフェやチャーハン・ミルクセーキなんかも作りましたね~
夜遅 . . . 本文を読む
大町通りから中央通り(新伝馬町)名掛丁・・駅前に行きましょう。
昭和30年代は当然屋根はありませんね。
七夕の時は、お回りさんが手信号出してますね。右手のビルは現在もある佐々重ビルですね。
佐々重の写真撮るの忘れた。
現在に近くなりましたね。 昭和40年頃
中央通り新伝馬町の看板が懐かしいです。
よぐござったごだ チョット違和感のある方言ですが、『よく来てくださいま . . . 本文を読む
前回の続きです。
藤崎デパートは、一番丁と中央通りの角にあります。
そうです、あの仙台七夕まつりのメインストリートです。
中央通りと簡単に表記しましたが、仙台駅からハピナ名掛丁・クリスロード中央通り・マーブルロード大町が東西にアーケードになってます。
T時の形になって、一番丁が南北にサンモール一番丁・ぶらんどーむ一番丁・一番丁買い物公園と接続し、雨に濡れずにおよそ1.7キロを繋いでいます。 . . . 本文を読む
仙台市大町を中心に市内の一部を紹介します。
青葉城からまっすぐ城下に降りると、大きな豪商の町大町に出る。
昭和4年頃の様子です。右側の洋館は日銀でしょう。
左側は、豪商の建物がそのままあったようですね。
現在の大町、日銀前から江戸時代の模型と同じ場所です。
右の角に『芭蕉の辻』があります。
道標には、日本橋からの距離と青森三厩(竜飛の義経が蝦夷島へ渡った地)までの距離が書いてあります . . . 本文を読む
国道沿いに、あの永遠のヒーロー鉄人28号じゃありませんか
正太郎君は子供なのか大人なのかわからない存在だった。
半ズボンを履いて、車を運転している・・・
白黒でしたね~ 映像が終了したら画像の下のサムネイルを右に行くとカラー版があります
鉄人28号
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この『銭形平次捕物控』を書いたのが『野村胡堂』だ。
「あらえびす」って何{/eq_2/}
「あらえびす」とは、実は野村胡堂は、音楽評論家としても著名でそのペンネームが「あらえびす」なのです。
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