三本木の菜の花を見に行きました。
菜の花まつりが開催したばかりの頃は4分咲きと言ってましたので、昨日行って来ました。
今日が最終日なのですがね。
ここは、ひまわり祭りも夏に行われています。UP済みです。
菜の花摘みは予定に無かったのですが、放送が入り袋一枚100円で購入。
残雪の山は、舟形山ですかね。
ケムンパスが・・・・ケムンパスを知 . . . 本文を読む
ご存じでしたか、現在は栽培のための乱獲によって自生を見ることは今やまれである。とウィキに書いてありました。
クマガイソウは増殖が難しいそうですよ。
カミサンは子供の頃、よくこの花にいたずらしていたそうです。
今は鉢植えを買うと1500円位するそうですよ。
なんか人の肺のようですね。 キモイ
庭に咲いていたこの花を・・・
合成して見ました。
今度は芸術的に . . . 本文を読む
この石碑の前を子供の頃よく通りました。 小学生から中学の頃でしょう。
もちろん大人になっても車で通過していましたが、昔からあった石碑なので気にも留めませんでした。
近頃は、新道ができこの道を通ることも無くなりました。
多賀城の事をもう少し知りたいと思っている今日この頃・・・よく見ると文字が刻まれていることを発見しました。
昭和に出来たものですが、この石碑について、今日は記録しておきます。
所謂 . . . 本文を読む
デジカメを少しづつグレードUPしてきて、後悔しています。
カメラを買う時、カミサンは何度も買わないように、気に行った物を新品で買いなさいと言われていました。
しかし、フィルム時代はそこそこ知識があったと思っていたのですが、デジカメになってから敬遠して触らずにいました。
すっかり無知の素人になっていました。
デジイチは、ニコンから始めましたが、交換レンズを含めキャノンに比べ割高・・・
その時の画素 . . . 本文を読む
多賀城に多賀神社は二ヶ所あります。
多賀城廃寺(高崎廃寺)付近に鎮座する多賀神社(UP済み)と今回の政庁役所址(市川)に鎮座する多賀神社があります。
地元では「お多賀様」と呼ばれる。
正面には小型の箍(たが)を輪繋ぎしたものが数多く供えられている。
この箍は頭痛を患う者が当社に平穏を祈願し、礼詣りにその者の歳の数の箍を供える。
箍は多賀と同音による供物であり、この供物は他地方の多賀社も同様 . . . 本文を読む
久しぶりに、蒲生に行きました。
震災後何度か来ていますが、今までお袋は連れて来ませんでした。 それは・・・
お袋からすれば、母の実家があり親戚も多く、この震災でその親戚や友人を亡くしてしまっていたからです。
母の目には涙が溢れていました。
手を合わせる母でした。
消えた蒲生干潟/憎き3.11 . . . 本文を読む
盛岡八幡宮に隣接してその境内内に鎮座しています。
最敬礼
戊辰・西南の役、日清・日露、第一次世界大戦、大東亜戦争にいたる多くの戦争において戦没されたおよそ35,800柱の英霊をお祭りしています。
軍犬ならぬ軍狛?
霊璽簿奉安殿(れいじぼほうあんでん)
岩手護国神社に祭られている、戦没者と遺族の名前を記した名簿を保管しております。
. . . 本文を読む
盛岡八幡神社3-1からつづく
上の鳥居は、北側に位置する巨大鳥居だ。
石灯籠も大きければ狛犬も大きい!
しかし対比する画像が無くて、後ろの建物や三角コーン、ちらっと見える自動車と比較して下さい。
笠森稲荷神社(かさもりいなりじんじゃ)
笠森稲荷神社は八幡宮より前から鎮座していたと言われています。
御祭神=宇迦之御魂命
五穀豊穣・商売繁盛・・この辺は他の稲荷と同じで . . . 本文を読む
盛岡八幡宮は、いつも通過していた場所でした。
たっぷり時間があったので境内を散歩。 広大な2万坪の敷地の中には、多くの神社が祀られています。
まずは、八幡宮社殿・・・ 結婚式に力を入れているようで、この日も挙式が行われていました。
建立は、延宝8年(1680)、第29代南部重信公によるものです。
御祭神は、品陀和気命(ほむだわけのみこと=第15代応神天皇)
災害や永年の風雪被害を受けて . . . 本文を読む
前回の不来方城に隣接するのがこの桜山神社です。
正面にある商店街を抜けると裁判所や市役所前の大通りです。
今回は石割桜がまだ満開ではありませんので、カットします。
ということで大通り側から写真を進めて参ります。
鳥居が並んでいますね。
盛岡と言えばじゃじゃ麺ですが、ここが本店「白龍(ぱいろん)」です。
盛岡じゃじゃ麺の元祖、発祥の店です。 今回はカミサンが居ないで食しませ . . . 本文を読む
不来方城の不来方(こずかた)とは
過去記事の三ツ石神社と鬼の手形に記載していますが、要約しますと・・・・
かつてこの地に「羅刹」という鬼がいて、人里を荒らしまわっていた。
困っていた里人達が、三ツ石の神にお祈りをして鬼を捕らえてもらい境内にある巨大な三ツ石に縛り付けました。
この時、鬼が二度とこの地に来ない証として、岩に手形を残した。
「二度と来ない方向」の意味で、一帯に「不来方」の名が付された . . . 本文を読む