人生40年という風に考えるようになったのは、いつ頃だっただろうか…。
10代であったのは間違いない。
よくよく記憶の糸を辿っていくと、当時考えていたのは、自分の世話を自分が思うように出来るリミットが『40歳』という年齢と考えていたようだ。
また身体的な衰えが顕著に始まるのが40歳で、そうなっては嫌だなっと思って定めた年齢が40歳なのだったのだろう。
学問に理解はあったが非常に保守的な家庭で育ったため、そこで植え付けられた固定概念や強迫観念から、自由になるのに随分時間を喰ってしまった。
自由奔放・唯我独尊のようでいていつもどこか他人の顔色を伺ってしまうのは、そういう家庭で放ったらかしにされて、育ったせいかもしれない。
人生の早い段階で近い友人と『オトナ』から裏切られたものだから、猜疑心も強い。
それでいて他人を信じたい気持ちもどこかにあり、いつも心の奥底では複雑な心境で他者と接している。
思春期でだいぶコントロール出来るようにはなったけれど…。
今年の初めくらいから同じ学年の友人に『厄』が降り掛かり、その事実を知った時、友人よりも私の方が泣いてしまったのは、見たくもない厳しい現実が、大事に想う人間の幸せをいとも簡単に壊したから。
そんなものは私だけに降り掛かれば好いもので、他人が味わうべきものではない。
自分の今までの数々の不幸の記憶が噴出しもしたのだろう。
それ以前からクリスマス・イヴを本質面で祝ってみたい。
長崎育ちなのにキリスト教について何も知らないに等しいのは恥ずかしい。
それに加え今年に入り縁がありカトリック教会で遊ばせて貰ってもいたから、自分が友人に対してやってあげられる事は話しを聴く事しかないけれど、『祈り』なら捧げられるなっと思い、毎朝のミサにも出来る限り参加するようにもなった。
祈り事はそれだけでもなかったけれども。
元々自分の手に負えない事は、神社仏閣に押し付けるようにしていた。
必要以上に悩まないように身に付けた知恵である。
それにカトリック教会が加わっただけの話し。
あと年齢が20歳若く、心が強く、また統率力があったなら、神父か精神科医になって、不幸な現実だけを見詰め動けなくなってしまっている人を何とかしてあげたかったとも思う。
必要以上の不幸は味わわないに越した事はない。
性格が卑屈になり要らん知恵を付けてしまうだけだから。
しかし、神父になるには08年掛かるそうで、そんなに長く生きている自信もないからそれは止めにした。
今から大学に入り直す経済力もなく、無味乾燥な知識を学ぶ精神力も残っていないから、精神科医の線も無い。
自分の技量は自分が一番知っている。
しかし、厄年なんて自分とは無縁のものだと思っていたが、実際にあるものだなっと最近本当によく感じる。
誰もがと言っては言い過ぎだが、他人を引きずり降ろすのに、躊躇が無くなってしまった。
そこまではやらないだろう…とたかをくくっていると、いやはやビックリ、やってのける。
しかも笑顔で!!
自分の価値観と現在の世間一般の価値観がまるで違う事に愕然として困ってしまう事も最近よくある話し。
バブル経済崩壊後から、完全に何かが確実に狂い始めた。
理性より一時の感情や快楽に走るのに何の躊躇もない人も感覚として多い。
他人に迷惑を掛けてでも…。
理性がそもそもないのか?
理性のストッパーがかからないほど追い詰められている人が多いのか?
以前、バイト先で中国人の同僚がいて、日本語の新聞を読んでいたから、読めるの? 日本語? と訊いたら、漢字だけを取り敢えず追っている、との答えだった。
それでは意味が真逆になる事もあるんだけどなぁっと思ったが、いつか気付くだろうなっと黙っていた。
最近は同じ日本語を話しながらも、その中国人と同じような読み方している人が増えている気がしてならない。
ある種の速読は出来るものの、刺激的な言葉だけを追っているらしく、こちらが意図した内容とは全く違う解釈をしていて困ってしまう事も多い。
参院選も近い、ちょうどいい機会。
選挙運動中の彼らの主張をよく覚えておいて、誰がどこの後ろ盾を得て当選し、そのあと立候補した者が、どういう動きをするのかをつぶさに観察していくといいと思う。
当選者以外の人間のその後の生き方を知る事は難しいと思うけれども。
約1年前に接触を持ってき、機会は限られていたが、実際に関わりを持ち、色んな意味で変化していく姿を見、まぁその女性が描く、目指す夢の世界に上手に入り込め、作り笑顔ではなくずっと屈託なく笑っていられる事を、私がその女性に出逢った頃と同じ感覚で遠くから願い続ける事がこれからも出来る事を祈りながら…。
何か書いている事がそれぞれバラバラだなぁ…まぁそれはいつもの事か…。
10代であったのは間違いない。
よくよく記憶の糸を辿っていくと、当時考えていたのは、自分の世話を自分が思うように出来るリミットが『40歳』という年齢と考えていたようだ。
また身体的な衰えが顕著に始まるのが40歳で、そうなっては嫌だなっと思って定めた年齢が40歳なのだったのだろう。
学問に理解はあったが非常に保守的な家庭で育ったため、そこで植え付けられた固定概念や強迫観念から、自由になるのに随分時間を喰ってしまった。
自由奔放・唯我独尊のようでいていつもどこか他人の顔色を伺ってしまうのは、そういう家庭で放ったらかしにされて、育ったせいかもしれない。
人生の早い段階で近い友人と『オトナ』から裏切られたものだから、猜疑心も強い。
それでいて他人を信じたい気持ちもどこかにあり、いつも心の奥底では複雑な心境で他者と接している。
思春期でだいぶコントロール出来るようにはなったけれど…。
今年の初めくらいから同じ学年の友人に『厄』が降り掛かり、その事実を知った時、友人よりも私の方が泣いてしまったのは、見たくもない厳しい現実が、大事に想う人間の幸せをいとも簡単に壊したから。
そんなものは私だけに降り掛かれば好いもので、他人が味わうべきものではない。
自分の今までの数々の不幸の記憶が噴出しもしたのだろう。
それ以前からクリスマス・イヴを本質面で祝ってみたい。
長崎育ちなのにキリスト教について何も知らないに等しいのは恥ずかしい。
それに加え今年に入り縁がありカトリック教会で遊ばせて貰ってもいたから、自分が友人に対してやってあげられる事は話しを聴く事しかないけれど、『祈り』なら捧げられるなっと思い、毎朝のミサにも出来る限り参加するようにもなった。
祈り事はそれだけでもなかったけれども。
元々自分の手に負えない事は、神社仏閣に押し付けるようにしていた。
必要以上に悩まないように身に付けた知恵である。
それにカトリック教会が加わっただけの話し。
あと年齢が20歳若く、心が強く、また統率力があったなら、神父か精神科医になって、不幸な現実だけを見詰め動けなくなってしまっている人を何とかしてあげたかったとも思う。
必要以上の不幸は味わわないに越した事はない。
性格が卑屈になり要らん知恵を付けてしまうだけだから。
しかし、神父になるには08年掛かるそうで、そんなに長く生きている自信もないからそれは止めにした。
今から大学に入り直す経済力もなく、無味乾燥な知識を学ぶ精神力も残っていないから、精神科医の線も無い。
自分の技量は自分が一番知っている。
しかし、厄年なんて自分とは無縁のものだと思っていたが、実際にあるものだなっと最近本当によく感じる。
誰もがと言っては言い過ぎだが、他人を引きずり降ろすのに、躊躇が無くなってしまった。
そこまではやらないだろう…とたかをくくっていると、いやはやビックリ、やってのける。
しかも笑顔で!!
自分の価値観と現在の世間一般の価値観がまるで違う事に愕然として困ってしまう事も最近よくある話し。
バブル経済崩壊後から、完全に何かが確実に狂い始めた。
理性より一時の感情や快楽に走るのに何の躊躇もない人も感覚として多い。
他人に迷惑を掛けてでも…。
理性がそもそもないのか?
理性のストッパーがかからないほど追い詰められている人が多いのか?
以前、バイト先で中国人の同僚がいて、日本語の新聞を読んでいたから、読めるの? 日本語? と訊いたら、漢字だけを取り敢えず追っている、との答えだった。
それでは意味が真逆になる事もあるんだけどなぁっと思ったが、いつか気付くだろうなっと黙っていた。
最近は同じ日本語を話しながらも、その中国人と同じような読み方している人が増えている気がしてならない。
ある種の速読は出来るものの、刺激的な言葉だけを追っているらしく、こちらが意図した内容とは全く違う解釈をしていて困ってしまう事も多い。
参院選も近い、ちょうどいい機会。
選挙運動中の彼らの主張をよく覚えておいて、誰がどこの後ろ盾を得て当選し、そのあと立候補した者が、どういう動きをするのかをつぶさに観察していくといいと思う。
当選者以外の人間のその後の生き方を知る事は難しいと思うけれども。
約1年前に接触を持ってき、機会は限られていたが、実際に関わりを持ち、色んな意味で変化していく姿を見、まぁその女性が描く、目指す夢の世界に上手に入り込め、作り笑顔ではなくずっと屈託なく笑っていられる事を、私がその女性に出逢った頃と同じ感覚で遠くから願い続ける事がこれからも出来る事を祈りながら…。
何か書いている事がそれぞれバラバラだなぁ…まぁそれはいつもの事か…。