根無し草のつれづれ

日々の雑感をひたすら書き綴ったエッセイ・コラム。また引用部分を除き、無断掲載の一切を禁ず。

傘から想起して脱線

2010-07-11 01:50:52 | エッセイ、コラム
数日前の雨降りの日、女子高生と横断歩道ですれ違うと、なぜか彼女は私をみて笑いをこらえていた。
特にヘンテコな格好はしていた訳でもなく、まったく失礼なムスメだ(怒)っと憤慨していたのだが、よくよく考えてみると、私が赤いチェック柄の傘を差していたのが彼女には奇異に映り、可笑しくて仕方がなかった事に気付く。
それは急場しのぎで買った傘で、たまたま傘をどこかに置き忘れてしまう事も重なり、傘代にも事欠いたていたので、仕方なく使っていたものだった。
使っているうちに私の中では恥ずかしさの感覚が麻痺してしまい、派手さも手伝い置き忘れ防止にもなっていたものだから、何となく継続して使用していたのだが、さすがにこりゃ買わんといかんなっと思いやっと新しい傘を購入。
それでその日、用無しになった赤の傘が邪魔だと思いながら歩いていると、ポツポツと降り出した雨に急ぎ足で帰宅する犬の散歩中の年配の女性がいた。
スミマセン宜しければこれ使いませんか っと問うとやや不可思議な表情を浮かべながらも、良いんですか? っと素直に貰ってくれた。
私は邪魔になった傘が好い形で処分出来て満足。
彼女は訳が分からないけれど、雨に濡れずに帰宅が出来てちょうど良い状態。
まぁ、道すがらいきなり傘要りませんか? っと見知らぬ男性、それも彼女の世代からみれば素行が悪そうな人間から、突然話し掛けられれば、有り難さよりも戸惑いが先にきて当然。

でもいいのだ。
かなり妙なやりとりであったとしても(苦笑)、その女性が濡れずに、その事が原因で風邪を引く可能性も少なくなった筈だから。

まっ赤い傘で笑われ、傘の提供で戸惑われた、それだけの話し。

少女とかつて少女であった女性だけれど、彼女らのその後の会話のネタになるのもまたよし。

それで彼女らの他者とのコミュニケーションが円滑に進む事に貢献出来ていたとしたら非常に光栄な事。

人の目ばかり気にし、体面にこだわり過ぎていたら何も出来なくなる。
私はそんな価値観で生きている。
変人で結構。
変わっている、普通じゃない、それは私にとってそれは最大の褒め言葉!!
一度しかない人生、付和雷同で他人に流され無難な人生を送る事は非常につまらない。
断っておくが私は協調性もコミュニケーション能力もキチンとあるし年上の人や一芸に秀でた人はキチンと立てる。
相手が年頃の女性で自意識過剰でなければその場限りだけれでも大抵の話題にも合わせられもするし話しも継続する。
私を単なる見た目の印象から初めから避ける人は自分の目が曇っている証拠。
この辺はカトリック教会の信者さんや犬や猫がの方が私の本質を直感でよく見抜く。
人さらいがその辺を大手を振って歩いているとの理由から知らない大人には警戒心を持つように教え込まれている最近の子供は可愛くない。
私は道徳観や倫理観には絶対の自信もある。
悪事や仕返しの発想もない。
裏切られたり、拒否されたら怒りよりも哀しみの感情が先に立つ。

さてどうやってこんな社会と折り合いをつけていったらいいものか。