監督:トッド・ヘインズ、主演:クリスチャン・ベイル、ケイト・ブランシェット、マーカス・カール・フランクリン、リチャード・ギア、ヒース・レンジャー、ベン・ウィショー、の映画『アイム・ノット・ゼア』を観てきました。
ストーリーは、ミュージシャンのボブ・ディランの60年代の模様を描いた伝記的なもの。
この年代、変化の激しいボブ・ディランを6人の俳優が演じ分けるというユニークな方法を用いて表現されています。
正直、私には理解不能でした。
というのも、この作品を観に来る人たちがディランについて詳しい知識を持っているもの、という前提で作られているからです。
劇中ではボブ・ディランという名前は一切出てきません。
6人の俳優は、ディランのその時期を象徴する役名で、彼を演じます。
これがまず視聴者に混乱をもたらします。
6人の俳優が演じ分ける各エピソードにも分かり易い説明はありません。
もうここで、ディランの曲を知っている程度の人は完全に置いていかれます。
目の前の大画面で、起こっている出来事が何の事なのか、ディランのどの部分を象徴しているのかがサッパリ分からないのです。
まるで予習してくる事を前提に行われている授業に、予習をせずに参加した生徒のようなものです。
作品に全く付いていけないので、やがて映画を観ている事が苦痛になってきます。
残された道は、寝てしまうか、退席するか、苦痛に耐えて分からないまま映画を観続けるか、です。
私は貧乏性なので、苦痛に耐えて観続ける事を選びました。
救いはディランの曲の中で、知っているものが劇中で時々流れる事くらいです。
そうして2時間ちょっとのこの作品を観終わったあとには、カタルシスや爽快感などは全くなく、疲労と混乱のみが残りました。
この作品はディランについて既に詳しい知識を持っているか、最低限の知識を得る為に彼の伝記本を読み予習した人が観て初めて楽しめる映画です。
そういう意味ではある人には傑作であろうし、またある人には駄作としか捉えられない作品でしょう。
ボブ・ディランの事を詳しく知らない人にはオススメしません。
どうしても観たいという人には、映画館に2時間前に行って、パンフレットを先に買い、近くのカフェで最低限の知識を頭に入れてから観る事をオススメします。
ストーリーは、ミュージシャンのボブ・ディランの60年代の模様を描いた伝記的なもの。
この年代、変化の激しいボブ・ディランを6人の俳優が演じ分けるというユニークな方法を用いて表現されています。
正直、私には理解不能でした。
というのも、この作品を観に来る人たちがディランについて詳しい知識を持っているもの、という前提で作られているからです。
劇中ではボブ・ディランという名前は一切出てきません。
6人の俳優は、ディランのその時期を象徴する役名で、彼を演じます。
これがまず視聴者に混乱をもたらします。
6人の俳優が演じ分ける各エピソードにも分かり易い説明はありません。
もうここで、ディランの曲を知っている程度の人は完全に置いていかれます。
目の前の大画面で、起こっている出来事が何の事なのか、ディランのどの部分を象徴しているのかがサッパリ分からないのです。
まるで予習してくる事を前提に行われている授業に、予習をせずに参加した生徒のようなものです。
作品に全く付いていけないので、やがて映画を観ている事が苦痛になってきます。
残された道は、寝てしまうか、退席するか、苦痛に耐えて分からないまま映画を観続けるか、です。
私は貧乏性なので、苦痛に耐えて観続ける事を選びました。
救いはディランの曲の中で、知っているものが劇中で時々流れる事くらいです。
そうして2時間ちょっとのこの作品を観終わったあとには、カタルシスや爽快感などは全くなく、疲労と混乱のみが残りました。
この作品はディランについて既に詳しい知識を持っているか、最低限の知識を得る為に彼の伝記本を読み予習した人が観て初めて楽しめる映画です。
そういう意味ではある人には傑作であろうし、またある人には駄作としか捉えられない作品でしょう。
ボブ・ディランの事を詳しく知らない人にはオススメしません。
どうしても観たいという人には、映画館に2時間前に行って、パンフレットを先に買い、近くのカフェで最低限の知識を頭に入れてから観る事をオススメします。