根無し草のつれづれ

日々の雑感をひたすら書き綴ったエッセイ・コラム。また引用部分を除き、無断掲載の一切を禁ず。

映画『接吻』

2008-04-06 10:35:23 | エッセイ、コラム
監督:万田邦敏、主演:小池栄子、の映画『接吻』を先日の映画の日に観てきました。

私はあまりこういう破滅的な話しには触手が働かないのですが、知り合いの強い薦めもあって千円ならいいかって感じでの鑑賞でした。


ストーリーは、坂口秋生(豊川悦司)が白昼の閑静な住宅街で一家3人殴打殺人事件を起こす事に端を発します。
彼は警察よりも先にマスコミに自分が起こした事件をリークさせる事で、自らの逮捕の瞬間の映像をニュースで放送させ、それでいて事件に関しては黙して語らず、という行動をとります。

一方、性格の弱さからか同僚に良いように仕事を押し付けられ、さらに孤独な人生を歩んでいるOL・遠藤京子(小池栄子)が登場します。
彼女は自室でたまたまこのニュースを目にしてしまい、何かのインスピレーションを得たのか、新聞・雑誌・テレビでの報道など、事件の詳細や坂口の生い立ちなどについて調べ上げ、傾倒していき、ついには犯人である坂口に愛情まで抱くようになって行く…そんな話しです。


小池栄子が演じる遠藤京子が狂気に絡めとられ、何かに取り憑かれたような表情をみせるのが見事でした。
これを拝むだけでもこの映画を観る価値はあると思います。

またある種虐げられ、不幸な人生を歩んでいる人間にとっては、社会全体が敵に思えてしまい、例えそれが反社会的で残虐な殺人犯だったとしても、そこに自分と似た境遇を見出してしまった場合には、理想のヒーロー像として映ってしまう事があるんだなぁっと感じました。

遠藤京子の屈折していながらもどこか純粋で真っ直ぐな「愛」の形も哀しい作品でした。


今の日本の格差社会がこのまま助長して、さらに固定化するような事があれば、その底辺にいる人間たちには、それが例え恐ろしい殺人犯だったとしても、その人物に何かしらの自分と同じ共通項を見出した場合、その殺人犯はダーク・ヒーロー・自らの代弁者として映り、持て囃されて行くのではないか、と空恐ろしいものを感じさせる映画でもありました。


単館でキャパも百名ほどの小さな小屋ですが、評判が良いのか常にコンスタントに席は埋まっており、もうかれこれ1ヶ月も上映をしている作品です。
でも今月の11日で終了の予定のようですが…。