先程つぶやいたことなのですが、gooブログの編集画面をポチッとしたら
「あの頃何してた?」という文字が出てきて、昔ブログにUPした写真が
自動的に出てくるというサービスが始まったよう。
懐かしすぎて笑っちゃいました。別人すぎて苦笑いです。子ども達がものっすごい成長していてびっくりでした。
お店の頃の写真が多くて、それもとっても懐かしく思い出しました。
この間、日本語教師の頃の話をしていて、「年をとったらまた始めるの?」って聞かれました。マレーシアの日本語教師時代の話だったのですが、夢中でしていて、「だってそんなに楽しそうに話すんだもの」と。ちょっと驚いたなぁ。
日本語教師もその後の国際交流の仕事もお店の仕事も、それはそれは楽しかったし夢中になっていたけれど、戻りたい、という気持ちは全然ない。それぞれにやりきった感がある。
もちろんそれぞれの諸先輩方を前にやりきった感なんて言えないけれど、でも「自分の今やるべきことではない」、というのが確かにある。
今、やるべきこと、をその時々で一生懸命やっている。今も、もちろん。
その時々の、ちっちゃな夢、を叶えている。そしてまたおっきな夢、が胸の中にある。今も。
どの仕事もどんな経験も本当に無駄になっていない。ひとつひとつが自分の糧になっている。
10代であれだけ苦しまなかったら、
20代であれだけ全力で仕事をしたりあちこち旅行したり、無駄だと思えるあれもしたりこれもしたり(笑)をしていなかったら、いまの自分はなかったなあと思う。
だから、戻ることは、ない。
ここのところ様々なご縁でいろいろな役割をさせていただき、本当にありがたい。
先日は『知ろう!小児医療 守ろう!子ども達』の会での私が、
小児救急看護認定看護師さんになる看護師さんたちのための養成課程で登壇。
3年前に私の講演を聞いてから、講義内容に含めるべく、ある方が何年も
働きかけてくださっていた。
しかし民間人を入れるという許可がずっとおりず。
ついにその方が今年私に講演を依頼してくださったとき、
「夢が叶いました」と言ってくださった。
いろいろなところで、自分の知らないところで、活動のことを熱心に伝えてくださっていたり
働きかけてくださっている方がいることを、時々、知る。本当に胸の熱くなることです。
医療市民マイスター事業はOrinasとして栗橋病院で活動を開始すると先日の日記に
書きましたが、先日初めてシンポジウムでOrinasを紹介する機会をいただいた。
様々な病院の院長先生等から、「栗橋病院いいなー自分のところでもやってほしい」といった半分冗談交じり、でも「頑張ってね」とお声をかけていただいた。
でも、このマイスターの話を、2年前にした頃、「いいね」って言ってくださる病院の方って本当にわずかで。病院関係者だけでない、とにかくたくさんの人に「難しそう」って言われた。
2年前の夏に病院を訪れた時と同じ濃く青い緑色の田んぼを見ながら、そんなことを思い出していた。
新しい挑戦を言いだす人(←私)はそんなに難しいことじゃない。
でも、その挑戦に賛同し、応援し、背中を押したり、周囲に根回ししたり、
形にしてくれる人がいるからこそ、新しいことが進んでいくのだと思います。
先日も栗橋病院で、医療者がいかに心を尽くして医療にあたっている人が多いかを
感じました。そしてまた、それでも患者さんとすれ違ってしまう悲しい現実が多く
あることも感じました。
すぐにすぐ何かお役にたつことができるだなんて思っていません。
でも時間をかけて、ああ、こんなに医療者が頑張ってくれているんだ、
患者さんもこんな風に思っていたんだ、そんなことが互いに分かり合えるような
瞬間がほんのちょっとでも訪れますように、と願い地道に活動を始めます。
いつも背中を押してくれるひと
たくさんのひとに伝えてくれるひと
細かいことをいっぱい引き受けてくれるひと
優しくあったかい言葉をかけてくれるひと
夢を形にしてくれるひと
いつも気にかけてくれるひと
みんなのおかげです。ありがとう。
病院にかかわる人々がいまより少しでも明るい気持ちとなれますように。
「あの頃何してた?」という文字が出てきて、昔ブログにUPした写真が
自動的に出てくるというサービスが始まったよう。
懐かしすぎて笑っちゃいました。別人すぎて苦笑いです。子ども達がものっすごい成長していてびっくりでした。
お店の頃の写真が多くて、それもとっても懐かしく思い出しました。
この間、日本語教師の頃の話をしていて、「年をとったらまた始めるの?」って聞かれました。マレーシアの日本語教師時代の話だったのですが、夢中でしていて、「だってそんなに楽しそうに話すんだもの」と。ちょっと驚いたなぁ。
日本語教師もその後の国際交流の仕事もお店の仕事も、それはそれは楽しかったし夢中になっていたけれど、戻りたい、という気持ちは全然ない。それぞれにやりきった感がある。
もちろんそれぞれの諸先輩方を前にやりきった感なんて言えないけれど、でも「自分の今やるべきことではない」、というのが確かにある。
今、やるべきこと、をその時々で一生懸命やっている。今も、もちろん。
その時々の、ちっちゃな夢、を叶えている。そしてまたおっきな夢、が胸の中にある。今も。
どの仕事もどんな経験も本当に無駄になっていない。ひとつひとつが自分の糧になっている。
10代であれだけ苦しまなかったら、
20代であれだけ全力で仕事をしたりあちこち旅行したり、無駄だと思えるあれもしたりこれもしたり(笑)をしていなかったら、いまの自分はなかったなあと思う。
だから、戻ることは、ない。
ここのところ様々なご縁でいろいろな役割をさせていただき、本当にありがたい。
先日は『知ろう!小児医療 守ろう!子ども達』の会での私が、
小児救急看護認定看護師さんになる看護師さんたちのための養成課程で登壇。
3年前に私の講演を聞いてから、講義内容に含めるべく、ある方が何年も
働きかけてくださっていた。
しかし民間人を入れるという許可がずっとおりず。
ついにその方が今年私に講演を依頼してくださったとき、
「夢が叶いました」と言ってくださった。
いろいろなところで、自分の知らないところで、活動のことを熱心に伝えてくださっていたり
働きかけてくださっている方がいることを、時々、知る。本当に胸の熱くなることです。
医療市民マイスター事業はOrinasとして栗橋病院で活動を開始すると先日の日記に
書きましたが、先日初めてシンポジウムでOrinasを紹介する機会をいただいた。
様々な病院の院長先生等から、「栗橋病院いいなー自分のところでもやってほしい」といった半分冗談交じり、でも「頑張ってね」とお声をかけていただいた。
でも、このマイスターの話を、2年前にした頃、「いいね」って言ってくださる病院の方って本当にわずかで。病院関係者だけでない、とにかくたくさんの人に「難しそう」って言われた。
2年前の夏に病院を訪れた時と同じ濃く青い緑色の田んぼを見ながら、そんなことを思い出していた。
新しい挑戦を言いだす人(←私)はそんなに難しいことじゃない。
でも、その挑戦に賛同し、応援し、背中を押したり、周囲に根回ししたり、
形にしてくれる人がいるからこそ、新しいことが進んでいくのだと思います。
先日も栗橋病院で、医療者がいかに心を尽くして医療にあたっている人が多いかを
感じました。そしてまた、それでも患者さんとすれ違ってしまう悲しい現実が多く
あることも感じました。
すぐにすぐ何かお役にたつことができるだなんて思っていません。
でも時間をかけて、ああ、こんなに医療者が頑張ってくれているんだ、
患者さんもこんな風に思っていたんだ、そんなことが互いに分かり合えるような
瞬間がほんのちょっとでも訪れますように、と願い地道に活動を始めます。
いつも背中を押してくれるひと
たくさんのひとに伝えてくれるひと
細かいことをいっぱい引き受けてくれるひと
優しくあったかい言葉をかけてくれるひと
夢を形にしてくれるひと
いつも気にかけてくれるひと
みんなのおかげです。ありがとう。
病院にかかわる人々がいまより少しでも明るい気持ちとなれますように。
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