『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

広電宮島線の駅-広電阿品駅

2021年03月16日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

昭和53年(1978)に田尻駅として新設された駅であり、当時のホームが宮島口寄りに残されている。平成12年(2000)に現在駅が開設されており、平成13年(2001)に広電阿品駅に改称している。

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広電宮島線の駅-広電宮島口駅

2021年03月15日 | 「大野地区」ぶらり

 

 

 

 

 

昭和6年(1931)に広島瓦斯電軌が宮島線の新宮島駅から宮島口までの区間を延伸し電車宮島駅が開設された。昭和36年(1961)に国鉄と同駅名を区別するため広電宮島駅と改称し、平成13年(2001)に広電宮島口駅に改称している。現駅舎は平成6年(1994)に改築しており、下画像は昭和57年(1982)頃の宮島口駅の画像である。(広電社史参照)
時折り工事進捗状況を紹介している新宮島口駅は2022年度末供用開始のようである。

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広電宮島線の駅-宮島ボートレース場前駅

2021年03月14日 | 「大野地区」ぶらり

 

 

昨日紹介した宮島ボートレース場前にある駅で、昭和29年(1954)に競艇場前駅として開設され平成31年(2019)に宮島ボートレース場前駅と改称したようである。ボートレース競技中のみの臨時駅であり広電の電車情報には掲載されていない駅である。競艇場への赤崎2踏切を挟んで広島側に上り線ホームがあり、宮島口側に下り線ホームがある。上り下り両ホームにはかつての鉄道車両専用の高床ホームが残されており、下り線側のホームには上屋が設けられていない。(広電社史参照)

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宮島競艇場

2021年03月13日 | 「大野地区」ぶらり

 

 

 

宮島競艇場脇にある陸橋の上から久しぶりにボートレース場内で競技ボートが疾走するのを見た。40~50年前頃は競技ボートのエンジン音が直線距離で約6kmもある当ブログ主宅まで聞こえていたことが思い出される。

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広電宮島口駅整備工事の今

2021年03月12日 | 「大野地区」ぶらり

 

 

 

広電の宮島口駅の移設工事の進捗状況を時折り紹介しているが、競艇場近くの歩道橋からみると矩手の護岸部分をR型護岸に築造されており、線路がカーブしていくのであろうか。以前基礎工事かと紹介した付近はレールが置かれており、線路レールが敷設されているようである。

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椿ミニ並木

2021年03月11日 | その他

 

 

 

 

 

畑の片隅に山茶花1本と椿の木を10数本植え並べており、現在いろんな種類(品種名不明)の花が咲いている。変わった花の苗木があったら貰って植えており、ミニ並木をもっと伸ばしていきたい。

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宮島サービスエリアからの遠望

2021年03月10日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

宮島サービスエリアから廿日市市の中枢部を遠望、山の間に西広島バイパスの廿日市高架橋が見えその先にエディオンの看板のあるティナコートがみえる。ティナコートの先に一部マンションに隠れた市役所がみられ、ティナコートの左側には郵便局、国合同庁舎、市あいプラザ保険センターがあり、あいプラザの先には大きな商業施設のゆめタウン廿日市がみられる。その先の木材港域には工場群があり丸いタンクは広島ガスの廿日市工場である。

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のうが高原の太陽光発電所

2021年03月09日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

以前にかつての「のうが高原」の広大な用地に太陽光発電所の工事が行われていることを何度か紹介したが、Google Earth画像をみると工事は完了しているようである。かつての野貝原山は広大な湿原地帯であり御手洗川の水源域であったのであるが・・・    下画像は「のうが高原」時代のパンフレットより

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石のけん玉

2021年03月08日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

市役所前駅通り(ふれあい通り)の歩道で新宮中央公園前にけん玉(日月ボール)発祥の地碑が建立されており、けん玉の歴史が銘文に記されている。新宮中央公園は通称けん玉公園と称されており、けん玉をモチーフにした遊具などがみられる。当ブログ主が子供の頃はけん玉のことを「ニッサン」といっていたが・・・

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旧津和野街道

2021年03月07日 | 「廿日市地区」ぶらり

 



宮内地区の下明石にある小道でこの道は旧津和野街道の名残り道である。この先のお茶屋垣内で津和野藩藩主の参勤交代の際には休息していたということである。ここから野稲原に向かって街道道は次第に険しくなっていき汐見坂峠に至るのである。

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県立原養護学校跡

2021年03月06日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

原地区にあった国立原病院に併設されていた元県立原養護学校の建物で、丸形屋根の建物は体育館であったのであろうか。県立原養護学校は平成17年(2005)に廃校となっており、現在はふれあいライフ原の関連一施設として使用されているようである。

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納屋の与力窓・竹格子窓

2021年03月05日 | 建造物

 

 

ウォーキング途中、農家の納屋にみられる与力窓と竹格子窓で与力窓は壁面に対して横格子角材を45度ずらして取り付けたもので納屋や駄屋(牛馬小屋)などにみられたものである。竹格子窓は納屋などに付属した下便所の窓などにみられ木舞竹をそのまま表したものや化粧竹を格子状に組んだものなどがみられる。

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春爛漫

2021年03月04日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

ウォーキングしていると梅の木が植えてある畑地は荒れ地となっており、自然に生えた菜の花が満開であった。毎年種が落ちて繁茂しているのであるが何の植物であろうか。他所の荒れてスギナが繁茂した畑地ではツクシが林立していた。

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厳島海峡を航行する自動車運搬船

2021年03月03日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

昨日の午後ウォーキングしていると厳島海峡を大きな自動車運搬船が航行していた。DUGONG ACEで広島港を出港して豊橋港に向かうようである。明治期、呉軍港や陸軍輸送基地の宇品港など広島湾域の入口である海峡にこのような巨大な敵艦隊が侵入するのを防禦するために先日紹介した岸根鼻砲台早瀬第一堡塁室浜砲台などが設けられたのである。

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新宮八幡宮の力石

2021年03月02日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり

 

 

先日、江田島市を訪れた際に大柿町の垣浦に祀られている新宮八幡宮を参詣した。幣殿の脇に置かれたむすび型自然石に大きく力石と刻された力石があった。昔はこのような重さがありそうな石を持ち上げる力自慢の人がいたのであろう。

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