『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

杉の浦-金岡水

2020年04月16日 | 「宮島地区」ぶらり

 



杉の浦地区にある金岡水で以前は上画像のような状態であったが周辺開発に伴って現在のように整備された。天保13年(1842)の厳島図会には「・・・金岡和尚此處に座禅せられしことあり、この時はじめて湧出したりとぞ・・・」とあり、金岡水と称されたようである。洞雲寺蔵の金岡和尚行状記には「・・・去テ直チニ厳嶋堤ノ浦ニ到ツテ長養安座スルコト数月・・・」とあるが・・・

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洞雲寺-金岡水

2020年04月15日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 


洞雲寺本堂西側にある金岡水で、洞雲寺蔵の「金岡和尚行状記」には「寺、時ニ清水無シ、明神大宮司ニ託シテ岩畔ヲ穿タシム、清冷湧出ス、以テ茶水洗面等に充ツ、国人呼ビテ金岡水ト称ス」とある。厳島明神が大宮司に託したとあり金岡用兼の関りはみられないようであるが、金岡用兼の永平寺伽藍復興などの功績を称えるために金岡水と称されたものであろう。

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段々ブロック塀

2020年04月14日 | 「廿日市地区」ぶらり

 



昨日は竹塀を紹介したが川末地区の県道で一番急勾配の箇所に接続する民家のブロック塀が段々に延々と積まれている。ブロックから計算すると水平10メートルで1.5m上がる15%勾配の県道のようである。ブロック塀の内側は傾斜のある庭とされているようである。

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竹塀

2020年04月13日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

ウォーキングで久しぶりに通った道沿いの民家の塀が竹を並べて作られており笠木も竹が被せられていた。竹塀の端部分は物置のようでありパネル化した竹塀を取り外されるようになっており、中の物が出し入れ出来るようになっていた。

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田んぼの地下通水路(タンポ)

2020年04月12日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 



原地区は傾斜地を開墾して田んぼを造っているので石積みが高く湧水が出るところには画像のような地下通水路が設けられている。明治10年(1877)の原村景況書には「田底ニ水通水門有、故ニ穴アク事多シ」とある。廿日市町史通史編(下)の民俗稿にはタンポ(原地区)とあるが、民俗調査をされた方が他地方での地域呼称であるタンポを表示されたものとみられ原地区の呼称ではないものと思われる。

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持合輪違文のなまこ壁

2020年04月11日 | 「廿日市地区」ぶらり

 



昨日紹介したかつて原橋本で醤油醸造をしていた民家の土蔵で、腰壁に施されているなまこ壁が通常みられるようなものとは違った形をしている。持合輪違文様状のものであり、このような形状のなまこ壁を当ブログ主は見た記憶がない。珍しい形状のなまこ壁であるが剥落も進んでいるような状態であり先行きが危惧される。

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原橋本の民家

2020年04月10日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

 



かつて原地区の中心地であった橋本にある民家で、明治期から大正8年(1919)頃まで醤油醸造をされており、当時の名残りの看板や計量升、帳簿、醤油甕などの用具類が残されている。現在は古民家カフェ 輪〜Rinとして営業されている。

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洞雲寺鎮守-稲荷社

2020年04月09日 | 「廿日市地区」ぶらり

 



洞雲寺の西墓地登り口に祀られている稲荷社でかつて当寺後方の親王山に祀られていたようである。江戸期に記された長府功山寺蔵の洞雲寺誌には自分普請の稲荷社がみられ、昨日紹介した鎮守堂は公儀普請と記されている。
稲荷社は曹洞宗の開祖道元禅師が帰朝するときに重病となり、日本稲荷が現れて病気を治したという伝説と護法神とみなすことにより曹洞宗寺院に祀られているようである。

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洞雲寺鎮守堂-厳島社

2020年04月08日 | 「廿日市地区」ぶらり

 



洞雲寺本堂の西側にある池の中に祀られている小祠は古くは鎮守堂と記されている。寺院の土地、境内、建物の護り神として当寺と関わりの深い厳島明神を祀ったものとみられる。江戸期の辛未紀行(文化8年-1811)に「鎮守厳島社、寺ノ左ニ有、弘安四年寄附ノ鰐口」とあり、現在は小祠であるが江戸期には桧皮葺の堂で向拝に鰐口が吊るされていたようである。

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杉の変木 ‼

2020年04月07日 | その他

 

 

 

古い杉丸太を小切りにして割っていると中心の5年輪部分がポッコリと分離した。通常樹木の年輪は玉葱のように剥がれていくことはなく一体化しているのであるが、この木は5年経過したときに何らかの作用があってこのように育ったのであろうか。

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桜だより-河野原大歳神社

2020年04月06日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 



時折り紹介している上平良地区にある河野原大歳神社の桜は満開であり、雑草の黄色い花も綺麗である。ずらりと並んだ奉納された石燈籠は圧巻であり、上平良出身の女剣劇の女王である不二洋子が寄進した石燈籠もみられる。
当ブログ主が子供の頃は杉の大木が林立して鬱蒼としており通称「モリサン」といっており、「モリサンの青坊主」に化かされると恐らされたものである。

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桜だより-伊勢神社

2020年04月05日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 



ウオーキングコースである原地区の伊勢神社境内の桜は満開であり、昨日子供連れの数家族の方々が訪れて花見をされていた。ここからは宮島をはじめ広島湾の島々が俯瞰遠望できるところである。色褪せたぼんぼりが架けられているが夜は点灯されるのであろうか。

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石臼が ‼

2020年04月04日 | 「廿日市地区」ぶらり

 



原地区をウォーキングしていると民家の庭先に仏像が安置されておりよく見ると台石に沢山の石臼が重ねてあった。少し離れたところに重ねてある石臼は通常家庭で使用していたものとは違い大きなものであり、何かの商売で使用していたものであろうか。子供の頃石臼挽きを手伝わされていたことがあったが、使用しなくなった石臼は庭の踏み石になっている。

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原線の広電バス運行時代-④

2020年04月03日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 



原線の原小学校前停留所がある三差路(下画像)から右手長野地区を通る極楽寺線があり、終点である極楽寺山口まで運行されていた。昭和37年(1962)5月頃には広島バスセンターから2便、廿日市から1便運行されており昭和50年(1975)頃も運行されていたようであるが何時頃廃止になったのかは定かでない。

当時は看板も設置してあり極楽寺登山が盛んであったようで、ここから上画像の右側の道を進んで高い峰に向かう道が原参道であったが、国道433号の長野ループが出来てからはこの道を通らなくなった。

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原線の広電バス運行時代-③

2020年04月02日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 



昨日紹介した川末車庫はバス車両が大きくなって格納が難しくなってきたからであろうか、原(原療養所口)停留所と川末車庫の中ほどの国実地区に原車庫が設けられていた。何時頃に設置されて何時頃まで使用されていたのか定かでない。使用されていない車庫跡であったがこの前のバス停は原車庫であった。(廿日市さくらバス停も同じである)

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