『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

伊勢神社の狛犬

2019年03月16日 | 「廿日市地区」ぶらり









 


原地区にある伊勢神社はウォーキングコース途中にあるので度々参詣しているところである。境内に建立されている狛犬は大正11年(1922)1月に寄進建立されている。口を開けている阿形の狛犬の顔面から前足にかけて角ばって彫られているのが特徴的である。本殿前の狛犬は玉を抱いたもので昭和8年(1933)3月に寄進建立されている。

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蔵飾り-旭日・霊亀

2019年03月15日 | 「廿日市地区」ぶらり





 


原地区にある民家土蔵の蔵飾りで、旭日と長寿の象徴である霊亀の像が彩色漆喰細工で表されているものが国実地区と川末地区にみられる。下画像は同じような題材のものが安芸太田町筒賀地区でみられた。

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福佐売神社の境内社

2019年03月14日 | 「廿日市地区」ぶらり

稲荷社

恵美須社

 榎本福佐売社


昨日紹介した福佐売神社に改称される以前の福島社の境内社として稲荷と恵美須の小祠があったことが江戸期の地誌にみられるが、本殿裏の小祠については記されていない。
大正期の地誌には「・・・榎本福佐売・・・此の節婦ノ死後ソノ墓前ニ手向スルモノ絶エズ、追慕ノ余リ竟ニ祠宇ヲ建テテ祭祀セシモノナルベシ」とあり、福島社が節婦の榎本福佐売と関連付けられてからこの小祠が祀られたようである。 

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福島社→福佐売神社

2019年03月13日 | 「廿日市地区」ぶらり

 


江戸期、文政8年(1825)の芸藩通誌には福島社について「里俗福島明神と称す、何神なるを知らず、藩公子白杏君、おもへらく、貞観の節婦、榎本福佐売を祭るならんと、頼惟柔に、其ことを記しめ給ふ・・・」とあり、広島藩主浅野慶熾の弟浅野長懋の下問により福佐売神社と称されるようになったようである。これにより昨日紹介した西国街道からの参道が築造されたものとみられる。

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福佐売神社参道の注連柱・鳥居

2019年03月12日 | 「廿日市地区」ぶらり



 


可愛町の旧国道(旧西国街道)から福佐売神社への参道入口にある小さな標柱の刻字によると、文政7年(1824)に可合町若連中が寄進しており、注連柱は明治42年(1909)に寄進建立されている。文政2年(1819)の古絵図には福佐売神社ではなく福島社とあり参道がみられないので、文政7年に西国街道からの参道が造られたものとみられる。境内にある石鳥居は元治2年(1865)に町人衆の寄進によって建立されている。

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広島新四国八十八カ所霊場-大心寺

2019年03月11日 | 「廿日市地区」ぶらり





 


原地区にある広島新四国八十八カ所の第六番霊場である国実山妙恵院・大心寺で、昭和55年(1980)頃の第六番霊場は上平良地区にある平楽寺であったがいつの時代かに変わったようである。広島新四国八十八カ所霊場は大正7年(1918)に開創されたようで、昭和48年(1973)に弘法大師御誕生1200年を記念して復活再興されたようである。

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十二神祇神楽大会

2019年03月10日 | 「廿日市地区」ぶらり

 


原地区をウォーキングしていると各所に十二神祇神楽大会の案内ポスターが掲示してあった。開催日時や場所は画像の通りで、演目は神降ろし・天臺将軍-伊勢神社神楽団、すす掃き-金山神楽保存会、弓彌将軍-東谷神楽保存会、降居-坂原神楽団と神楽研究家による周防神舞いの弓彌将軍、十二神祇神楽の天臺将軍の講演があるようである。    
神楽好きの方は是非観賞を・・・

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旧国道の里程標・道しるべ碑

2019年03月09日 | 「廿日市地区」ぶらり



 


地御前2丁目の旧国道脇に建立されている壱里標で広島市の元安橋東詰めにある里程元標から4里(約15.71km)の里程標で、明治18年(1885)に建立されている。地御前市民センター前の三差路角には「右広島道」と刻された道しるべ碑があり、明治9年(1876)に建立されている。

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厳島神社の宝物館

2019年03月08日 | 「宮島地区」ぶらり

 


厳島神社社殿、大願寺、多宝塔などの歴史的建造物群の中にある宝物館は伝統的な木造建築を模した鉄骨鉄筋コンクリート造りの建物である。この宝物館は多くの社寺建築の設計を手掛けた大江新太郎の設計、清水組の施工で昭和9年(1934)に竣工している。この宝物館の各所に昭和初期の建築手法や工法などが伺える貴重な建物である。  
「広島県の近代化遺産に詳述」

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厳島神社の文庫

2019年03月07日 | 「宮島地区」ぶらり

 


厳島神社の客神社本殿北側で千畳閣下にある一風変わった龍宮造のような文庫は寛政8年(1796)に柱立てをしたようで、
名山蔵とも云われて和漢の書籍を蔵していたようである。内部には奥壁に壇を設けて孔子像を祀っていたようで景教との関係をも感じさせる建物とされているようである。

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三翁神社の鳥居

2019年03月06日 | 「宮島地区」ぶらり



厳島神社社務所の道路向かいにある三翁神社は明治元年(1868)の神仏分離令以前は三王社(山王社)と言われていたようである。当社の鳥居はあまり見たことがないような木鳥居に銅板を張り付けたものであろうか、天保13年(1842)の厳島図会にも継ぎ目のある鳥居がみられる。江戸時代の後半のある時期に銅板張りの鳥居が再建されたものであろうとされており、明治30年(1897)に鳥居上部の島木が修繕されているようである。

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校倉造の宝蔵

2019年03月05日 | 「宮島地区」ぶらり

 


厳島神社社殿の後方で御手洗川沿いに校倉造の宝蔵がある。校倉造というと正倉院を思い出すが、校倉造は全国で31棟あり、県内には府中町の多家神社宝蔵と三次市の熊野神社宝蔵があるようである。
壁体を形成する横架材を校子というようで、厳島神社宝蔵の校子は不等辺五角形のようである。

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厳島神社の鋳造燈籠

2019年03月04日 | 「宮島地区」ぶらり

(東廻廊入口脇の燈籠)

(右門客神社脇の燈籠)

(左門客神社脇の燈籠)

 (火焼前先端部の燈籠)


厳島神社に奉納されている鋳造燈籠で、東廻廊入口の石段脇に建立されている鋳造燈籠は天明8年(1788)に萩の鋳物師郡司信向が鋳造したものである。平舞台の右門客神社脇に建立されている鋳造燈籠は天明5年(1785)に大坂の鋳物師山本源右衛門が鋳造したもので、反対側の左門客神社脇に建立されている鋳造燈籠は文久4年(1864)に白市の鋳物師伊原政義が鋳造したものである。両門客神社の間に伸びた火焼前の先端部に建立されている鋳造燈籠は寛文10年(1670)であろうか京都三條の鋳物師近藤宗次が鋳造したものである。 

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瀬戸本業敷瓦

2019年03月03日 | 建造物



 


先日、知人から明治時代に日本でタイルが作られ始めた頃の陶製タイル2枚を貰った。(上画像)日本のタイルの源流で、明治時代に焼き物産地である愛知県瀬戸で焼かれたようで、大きさは24cm×24cmで厚みは2cm位の大きなものである。
後に西洋から導入された新たなタイル製造法による硬質陶器タイルとなって本業敷瓦は無くなったが、現在レトロな復刻本業敷瓦が製造されているようである。下画像は以前から所持していた本業敷瓦である。

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蔵飾り-えびす顔・福槌

2019年03月02日 | 「佐伯地区」ぶらり


 


友田地区にある民家で2棟の土蔵がみられ、その内の1棟の土蔵に施されている漆喰細工の福神で、ふくよかな笑顔のえびす顔が表されている。反対側には富貴祈願の福槌が漆喰細工で表されている。

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