『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

天満宮境内の紅梅と玉垣

2018年02月13日 | 「廿日市地区」ぶらり




 


天満宮境内にある紅梅の蕾はこの寒さで縮こまっているようにみえるがもうすぐほころび始めるだろう。紅梅の向うに見える玉垣の親柱には「長州宇部岬 明神丸伝次郎」「防州床浪浦 住吉丸庄吉」「長州宇部岬 住恵丸治兵衛」等と刻されており、江戸期には廿日市港から海を介して宇部地方(宇部岬・床波)との交易があったことがわかるのである。

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天満宮-新春書道展

2018年02月12日 | 「廿日市地区」ぶらり

 


寒風吹く中を久し振りに天満宮を参詣してみると拝殿内には市内小・中学校19校1816点の奉納作品の中から天神賞、特賞、金賞、銀賞の作品が掲示されていた。当ブログ主は字が下手糞でスポーツは大嫌いであったが何故か孫には遺伝しなかったものとみられ・・・

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五輪塔と樫の大木

2018年02月11日 | 「廿日市地区」ぶらり




 


上平良地区の道路脇にある雑草地の奥まった所に大きな樫の木がありその前に五輪塔の残欠がみられる。誰を葬ったか定かでないが中世頃に建立されたものであろうか。後方の樫の木は葬られた五輪塔主の護り木として先人達から大事にされ伐採されなかったものとみられるのである。

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蔵飾り-福袋

2018年02月10日 | 「廿日市地区」ぶらり





原地区の民家土蔵にみられる蔵飾りで福袋が漆喰細工で表されており、当家の繁栄を願って作成されたものであろう。下画像は他所でみられた福袋の蔵飾り。

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速谷神社道しるべ碑

2018年02月09日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

速谷神社の第一駐車場入り口に建立されている速谷神社道とある道しるべ碑で刻銘は「速谷神社道、平良村青年団第一支部、教育勅語御渙発三十年」とある。この道しるべ碑は明治23年(1890)教育勅語の渙発から30周年の大正9年(1920)に平良村青年団第一支部により可愛橋袂に建立されていたが、後に堂垣内の民家入口に移設されその後現在地に落ち着いた。

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天王社-奉納絵馬 ③

2018年02月08日 | 「廿日市地区」ぶらり

 


宮内地区にある天王社の拝殿に掲額されている「弁慶と牛若丸の図」であるが退色剥離が激しく何が描かれているのか分からないようであるが、よく見ると五条の橋の上で飛び上がった牛若丸と長刀を持った弁慶が描かれているようである。弁慶の持ち物の七つ道具の一つである大槌を背負っているのがみられるがそのほか何が描かれているのか判別できない。

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天王社-奉納絵馬 ②

2018年02月07日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

宮内地区にある天王社の拝殿に掲額されている「川中島の戦い図」で大正12年(1923)1月に奉納されたものである。川中島の合戦で上杉謙信は武田の本陣にただ一騎で駆け寄り馬上から太刀を振り下ろし武田信玄は軍配で受けたが、続く二の太刀で腕を三の太刀で肩に傷を負った。後にこの軍配を調べたら刀の傷が7カ所あったという「三太刀七太刀の一騎打ち」を表しているものとみられる。

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路傍の里程標石

2018年02月06日 | 「廿日市地区」ぶらり

 


宮内地区の的場を通る市道串戸・畑口線道端にある里程標石で明治24年(1891)5月に設置されているが何度か移設ののち現在地に建立、一部は埋もれて判読できなくなっている。この里程標石の元の位置は佐伯郡役所があった廿日市里程標から1里(約3.93km)で広島里程元標から4里17町24間2尺4寸(約17.61km)の距離があったようである。

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タヌキのぽん太が ‼

2018年02月05日 | 「廿日市地区」ぶらり

 



 

原地区川末方面をウォーキングしているとタヌキに出くわしたが恐れもせずこちらを見つめていた。タヌキは夜行性の動物と思っていたが昼のひなかでは化かされないぞ ‼  子供の頃、祖母から誰々さんがタヌキに化かされて炭焼き窯の中に入れられていたと聞いて本当だと思っていたが、恐らく一杯飲み酔っ払って帰り道に炭焼き窯の中で寝ていたのであろう。

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天王社-奉納絵馬 ①

2018年02月04日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

宮内地区にある天王社の拝殿に掲額されている「曳馬の図」で嘉永元年(1848)に佐原田の人達によって奉納されたもののようである。絵師とみられる伊豫松山の□□祐とあるが詳しいことは不明で、烏帽子に水干姿の二人の口取りが神馬を曳いている姿が描かれている。

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宮内雨量情報表示板

2018年02月03日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

昨日紹介した宮内交番前(宮内交番前交差点)にある2つのマンホール横にある雨量情報表示板で野貝原で雨量を計測したものが表示されるようである。御手洗川の源流域である野貝原の雨量と宮内水位観測所で御手洗川の水位が常時計測されており広島県のHPで閲覧することが出来る。

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広島県のマンホール蓋

2018年02月02日 | 「廿日市地区」ぶらり




 

宮内地区の宮内交番前の歩道にあるマンホール蓋で広島県とある連続亀甲文の中央に「泥」の字と「仕」の字が鋳出されているものがあったが何を表しているのであろうか。御手洗川に架かる宮内橋の上流側には県の宮内水位観測所があり、マンホールがあるところには雨量情報表示盤が設置されているので水位観測関連か、宮内交番関連のマンホールと思われるのだが・・・

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砂原大橋の道標

2018年02月01日 | 「廿日市地区」ぶらり






宮内市民センターの前庭に建立されている道しるべ碑で「右 石州道 左九州道」と刻されており、この道しるべ碑はかつて砂原大橋(赤〇ケ所)の袂に建立されていたものである。江戸期の正式な津和野街道(石州道)の分岐点はそおり田土橋、鑓出口土橋、佐原田土橋などであったが、道しるべ碑に右石州道とあるので砂原大橋から的場を通る道がバイパス的に使用されていたようである。

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