一昨日、原地区をウォーキングしていると早くに稲刈りを済ませたものとみられ、もう田んぼのひこばえに小さな稲穂が付いていた。当ブログ主の田んぼはこのところの雨天続きのためジルク2便途中で稲刈りを中止しており、3便も田んぼがジルク残っており何時のことになるやら・・・
一昨日、原地区をウォーキングしていると早くに稲刈りを済ませたものとみられ、もう田んぼのひこばえに小さな稲穂が付いていた。当ブログ主の田んぼはこのところの雨天続きのためジルク2便途中で稲刈りを中止しており、3便も田んぼがジルク残っており何時のことになるやら・・・
原地区長野にある民家土蔵の蔵飾りで宝珠を持った金太郎が漆喰細工で表されている。彩色は製作当時のものではなく後の時代に補色されたものかも知れない。
昨年まで稲作をされていた田んぼが今年は耕作放棄地となって雑草が生えているがその中に出来の良くない稲が沢山育っている。昨秋コンバインで刈り取りをした際の脱穀もれや飛散した籾が自然に育ったものとみられ初めて見る光景である。
宮内地区明石にある大歳神社の木造両部鳥居が修復中であった。厳島神社の鳥居と同じ形式のものであり稚児柱の脚部が腐食したものとみられ左側はほぼ修復は終わっているようである。拝殿内に修復材が保管されていたので右側も続いて修復されるようである。
宮内地区明石にある消防団第3分団第1部3班車庫脇にある消防ホース乾燥塔で、乾燥塔の途中に警鐘が吊下げられている。この警鐘は喚鐘(半鐘)を利用したもので、かつての火の見櫓に掛けられていた警鐘をホース乾燥塔に吊下げたものとみられる。
原地区長野にある消防団第2分団第2部1班車庫脇にある消防ホース乾燥塔で、今まで気が付かなかったが上部のホース掛け金具に警鐘が吊下げられていた。この警鐘は喚鐘(半鐘)を利用したもので、かつての火の見櫓に掛けられていた警鐘をホース乾燥塔に掛けたものとみられる。
警鐘の刻銘をみると「高田郡船佐村、消防組、第三部勘部講、昭和九年十日」とあり、現在の安芸高田市高宮町勘部の消防組で設置されていたもののようであるがどのような経緯で遠く離れたこの原地区に移ってきたのであろうか。
7日の午前中に雨が降っているので田んぼはまだジルク稲刈りは・・・と思っていたが、助っ人が得られるのでと昨日稲刈りをした。案の定田んぼはジルク大変であった。従来通り自然乾燥のハゼ掛けで、親が使用していたハゼ杭やナルは老朽化しアルミ三脚とパイプに代わっているのでハゼ掛けの絵にならない。
速谷神社秋の例祭で昨日は神輿の渡御が境内一帯で行われており、上平良地区の1区から3区の各地区を出発した子供会の俵みこしが境内に集合して大賑わいであった。
〽 イヤ-ハエー 安芸の宮島 トコセーハリセー 廻れば七里 トコセーハリセー イヤー 七里七浦 ヤンデ 七恵比須 ソリャヤートコセー ヨーイヤナー アレワイセ コレワイセ サアーナンデーエモセー 〽
昨晩は秋の例祭のヨゴロで速谷神社社殿では桃祓祭が催され、有田神楽団による神事舞が奉納された。神楽殿では有田神楽団の神楽「磐戸」「十羅」「有田中井手の戦い」「恵比寿舞」「八岐大蛇」などを演じ奉納された。
南口駅前広場
北口駅前広場
JR大野浦駅や自由通路等は供用開始されているようで現在南北の駅前広場の整備事業が行われているようである。工事看板には工期が平成30年1月31日と表示してあるので1月末には整備事業が完了するのであろう。
秋祭りも近づいて天神山の天満宮では干しダコに似たような独特の吹き流しが掲揚台に揚げられているが、骨組みに絡まって本来の干しダコ状ではなかった。原地区の伊勢神社では神楽舞台が組み立てられて参道に数多くの幟が立てられており秋祭りはもうすぐである。
昨夜は中秋の名月で美しい十五夜の月を見ることが出来た。そこで一句と思ったが素養がないので月を見ただけ。月見のお供えは月見団子にススキと萩の花が供えてあった。月見団子はほどなく口の中に・・・
今夜は中秋の名月であるが天候はどうなるだろうか。 ヨゴロの晩、二重原地区にある八幡さんの森から毎年のように太鼓の音が聞こえ放生会が催されていたが今年は休止されたようである。
天文16年(1547)の大願寺領所務帳(尊海文書)に「へらにゑ原領之事」として「八月、ほうしやうゑニ白さけ五升あり」「十月、・・・此内一石ハ八幡のまつりニ・・・」と記されており、戦国時代の頃から八幡神社の氏子の人たちによって連綿と放生会などの祭礼が催されてきたのであるが、昨晩は諸般の事情で放生会の催行が休止となったようである。
原地区をウォーキングしていると民家庭園にグローブのような形のサボテンがあった。ウチワサボテンのようであり、棘もみられ指のような部分は花が終わって実がついているのであろうか。