『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

人里にニホンアナグマが!

2013年04月14日 | 「廿日市地区」ぶらり


昨日、自宅横で畑作業をしていたらタヌキかと思われるような小動物が現れたので追いかけたら蓋付きの道路側溝内に逃げ込んだ。
丁度道路を通りがかった姫路ナンバーの人がいち早く道路側溝にカメラを向け、当ブログ主が反対側から少し離れると顔を出して逃げ去った。姫路ナンバー氏は動物に詳しいようでニホンアナグマと教えて頂き走り去っていった。

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草津宿の本陣

2013年04月13日 | その他


中仙道の宿場で最後の草津宿は東海道と合流・分岐点で、天井川(旧草津川)脇の分岐点跡には追分道標が残されている。
町並みにはかつて本陣2軒と脇本陣2軒があったようであるが現在は画像の草津宿本陣が残され公開されている。草津名物は「うばがもち」で家康も芭蕉もたべた姥が餅とうばがもちやのパンフレットにあった。

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鳥居本宿の町屋

2013年04月12日 | その他


昨日紹介した中山道柏原宿の次に鳥居本宿の町並みを散策した。町並みの各所に重厚な町屋が残されており宿場町の面影が残されている。
町屋の中でひと際目立つ赤玉神教丸本舗の建物で、当家は万治元年(1658)に創業し和漢胃腸薬の赤玉神教丸を旅人の道中薬として売り出したようである。

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「やいと」の伊吹もぐさ伊吹堂

2013年04月11日 | その他


小松市から帰り道に中山道の宿場柏原宿の町並みを探訪した。画像の町屋はもぐさ屋の伊吹堂亀屋佐京商店の商家で天保時代には9軒のもぐさ屋があったようであるが現在は1軒のみのようである。
当ブログ主が子供の頃紙袋に入った伊吹もぐさがあり、腹が痛くなったときに足の裏に「やいと」をされていたことを思い出した。

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長府の大乗寺(元浄厳寺)

2013年04月10日 | 廿日市関連


長府にある大乗寺は明治時代に改称されており、江戸期は浄厳寺でそれ以前は専称寺であった。
浄厳寺は桜尾城主毛利元清の子宮吉丸法名清厳院浄厳幻了の菩提寺であり、浄厳寺は中世廿日市後小路の光明寺の地にあった寺で、毛利氏防長移封に伴って専称寺を浄厳寺とし位牌を安置して菩提寺とした。

※  昨日、当ブログを開設してからトータル訪問者数40万IPのご来訪と3日にはトータル閲覧数180万PVの閲覧をして頂きました。老化防止のために何とか更新している面白くもなく万人向きでない当ブログに多くの方々がご来訪して頂きまだまだ頑張らなくてはと思っているところです。

コメント (2)
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金岡用兼と天翁玄播の供養塔

2013年04月09日 | 廿日市関連


長府の巧山寺は毛利秀元が洞雲寺の十二世である三庭龍達を招いて開かれた寺である。
三庭龍達は師である洞雲寺十一世の天翁玄播を巧山寺中興二世とし洞雲寺開山の金岡用兼を勧請開山として自ら三世となった。巧山寺墓地には実際には関わっていなかった金岡用兼と天翁玄播の供養塔が建立されている。

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巧山寺本堂と仏殿

2013年04月08日 | 廿日市関連


長府にある巧山寺は関ヶ原の合戦後に移封された毛利秀元が古くからあった長福寺(下画像は長福寺の遺構仏殿-国宝)を修営して曹洞宗に改め、洞雲寺12世の三庭龍達を招いて開かれた寺である。
毛利
秀元は父元清の位牌を安置して笑山寺と称していたが、秀元没後に法号巧山玄誉居士により巧山寺と改称した。

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最後の桜尾城主毛利秀元墓碑

2013年04月07日 | 廿日市関連


先日小松市に送った娘達は小倉に転勤となって転居し当ブログ休止中に手伝いに行っており、雨中の帰り道に廿日市と関わりのある下関市長府を訪れてみた。
中世桜尾城に居城していた毛利秀元は関ヶ原の合戦後、毛利氏の防長移封に伴って長門櫛崎城に入り支藩長府藩の祖となっている。毛利秀元の墓は長府功山寺の裏手長府毛利家墓地に葬られている。

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石蔵の蔵飾り

2013年04月04日 | その他


小松市内の所どころで石造の蔵がみられ、同じ石で築造された塀が多く見られたのでHPで調べてみると、小松市で産出している日華石という凝灰岩が使用されているようである。
2ケ所の石蔵窓廻りの蔵飾りが同じようであり地域色のある造りのようである。左画像上部のアーチ型部分には文様と頂部には水の字が刻され、中央部には唐獅子牡丹が刻されている。右画像上部のアーチ型頂部にも水の字と半円内には大黒さんが刻されて中央部には家紋が刻されている。

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超大型の電気駆動ダンプトラックが

2013年04月03日 | その他


JR小松駅前にあるこまつの杜に超大型の電気駆動ダンプトラックが展示されていた。このダンプトラックはアメリカの工場で生産されチリの鉱山で使用されていたものを分解運搬して来たようである。
最大積載量は296.7t、タイヤの外径は3.83mで、HPによると世界では650台以上が稼動しているようであり、これより大型の最大積載量が327tのものも生産されているようである。

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金沢町並みの石置屋根

2013年04月02日 | その他


十数年前に金沢市を訪れたときバス内から石置屋根の建物を見たことがあり、ネットで調べて見ると現存していることが分かったので今回訪れてみた。
金沢の町家(鹿島出版会)によると、大正期の写真をみると市中の屋根はほとんど板葺き石置屋根であったようで、金沢における屋根が瓦葺になったのは昭和初期のようであり、情緒ある金沢の町並みもあまり古いものではなさそうである。

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北国街道今庄宿の町屋

2013年04月01日 | その他


一昨日紹介した北国街道の板取宿から福井寄りの次の宿場は今庄宿で古い町並みが続いており、豪雪地帯で伝統的な町屋は屋根を支える太い登梁が軒先まで突出している構造である。
画像は今庄宿の町並みで異彩を放つ町屋の一つで屋根には本卯建があり、赤土の塗り込めとし防火的な配慮がされている特徴的な町屋である。

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