桜尾本町の旧西国街道沿いに唯一残っている往還松で、昭和30年代後半頃には下画像のように4~5本位残っていた。
往還筋松植場所本数並松苗数積帳写(上田家文書)によると文化6年(1809)ごろ海老塩濱境から岩戸土橋までの沖手片側に往還松10本、岩戸土橋から津和野藩御船屋敷までの両側に往還松40本が3間間隔で植えられていたようで、旅人を暑さや風、雨、雪などから守り快適な旅ができるように植えられていたようである。
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