佐伯区三宅の西広島バイパス側道脇にある円明寺で境内には天正12年(1584)厳島西方院で入寂した任(仁)助法親王の宝篋印塔がある。
史料によると任助法親王の葬地は二十日市極楽寺とある。この任(仁)助法親王の宝篋印塔は元文2年(1737)に建立されており、任助法親王の墓は宮島口更地別れの踏み切り脇にあるものが宮内庁管理の陵墓とされている。
佐伯区三宅の西広島バイパス側道脇にある円明寺で境内には天正12年(1584)厳島西方院で入寂した任(仁)助法親王の宝篋印塔がある。
史料によると任助法親王の葬地は二十日市極楽寺とある。この任(仁)助法親王の宝篋印塔は元文2年(1737)に建立されており、任助法親王の墓は宮島口更地別れの踏み切り脇にあるものが宮内庁管理の陵墓とされている。