少し前に、AEDに関して「こんな記事」を書きました。
賛否両論あろうか?と思いますが、個人的見解です。
究極的には、その場にいた人にしか分からないし、「診断」(って言っていいのか?)は、
知識と経験によるものだと思うので、ダレが言ってるのが正しいか?は、
他の人にはわからないのかなぁ・・・というのが正直なところ。
「判断」で難しいのは、反応が生体反応であるのか?というところでしょう。
とくに「死戦期呼吸」なるものは、とても分かりづらいです。
なので、この時点で迷ったときには、悪い方で見積もりましょう、というのは、
どの講習でも言っていることだと思います。
なので、講習の流れ通りの対応だと、意識(反応)があるのか?ないのか?わからない
→ 意識障害と見積もり、協力者を要請。通報とAEDを頼む
→ 呼吸をみる。分かりづらかったら心停止と見積もる
→ 胸骨圧迫をする
ここで、反応=苦しそうにする、痛がる が出れば、とりあえず心停止ではなかった、となります。
さて、ここから、この後届くAEDを貼るか?貼らないか?
反応の強さ次第?
と言うと、大雑把過ぎですかね?
反応があれば、AEDをその場に置いたままで(返さないで)、観察を続ける、でいいのかな?
と思います。
ネットでは多くの医療関係者が、どんどん使ってよろしい旨の投稿をしていたようですが・・・
もちろん、使ってはいけないというつもりもありませんが、
自分のなかで「モヤッと」することがいくつかあるわけです。
まず、AEDは、言うほどたくさん無い、ということ。
これは、公共施設のことではなく、イベント等でのハナシです。
心停止になった人に遭遇することは、そうそうありませんし、急に具合の悪くなる人も
それほど多くはないでしょう。
が、イベント等で人が集まると、体調が悪くなるという人は、どういうワケか?
けっこう出てきます(なんでですかね?)。
それに対し、AEDはそれほどたくさん用意されていないと感じています。
自分が、救護ボランティアとして参加するイベントでは、3つある救護ブースに、
それぞれ1台のAEDです。
しかし、体調不良でふらふらの状態で担ぎ込まれる人も、一日に何人かいます。
また、海水浴場の監視業務をしているライフセービングクラブとも付き合いがあるので、
事情を知っていますが、シーズンで延べ50万人ほど来る海水浴場でも警備本部にAEDは1台です。
心停止の人は、ここ何年も出ていませんが、いつでても不思議ではない環境です。
そこで、体調不良なだけで使うには・・・ということです。
心電図をとりたいから、という理由だけでは、とても使う気にはなりません。
「東京マラソン」は、世界で一番安全なマラソン大会を目指す、ということで、
70台ちかくのAEDが配備されているそうです。
1台、30万円とすれば、70台で・・・2100万円。
お金のある自治体だからできることではないか?と。
ひるがえって、我が市は、財政も厳しく、市内にある箱(外観)は立派な総合病院に、
医師は不足しがち。産婦人科医も確保できず、分娩ができない状況が続いています。
使っていない病棟、病室もあり、ときどきドラマや映画のロケに使われる、という始末。
AEDに何千万も使うなら、医師の確保をせよ、という声が出ても不思議ではありません。
「消化器と同じ数のAEDがあるのが理想」とはよく聞きますが、なかなか大変でしょう。
おカネで助かる命があるなら安いもの、というのは正論ですが、
無い袖は振れぬ、もまた事実。どこまで理解が進むのか?ということでもあります。
それから、「使え、使え」と言っても、それなりに効果的に使える人がいるのか?
ということです。
今では、自動車教習所でも教えることになっていますが、どれくらいの人が理解できているか?
疑問に思うことは多々あります。
AEDの使用に関し「AEDが判断してくれるから、間違って(心臓の動いている人に)使っても大丈夫」
とよく言われます。ここで、心臓の動いている人には、ショックしないから大丈夫と言いたいのでしょうが、
大概の人は、AEDが心停止か?どうか?判断してくれるという方も同時に
解釈しているのではないでしょうか?
AEDが判断するのはショックの要/不要であり、心停止か?否か?ではありません!
ネット上でも
「AEDがいいな、心マは骨折っちゃいそうで怖いから」ってコメント。
これ、明らかにAEDがショックすれば、心肺蘇生(胸骨圧迫&人工呼吸)不要と思ってますよね。
他にも、実際にあったことですが、ある医院(開業医)で、急に血圧低下して心停止になった患者さんに、
医師と看護師がAEDを使いました。AEDは「ショックは不要です」と解析し、医師と看護師は、
救急隊が来るまで心肺蘇生を続けました・・・
その様子を見ていた看護助手が「なんで不要と言ったのに、心肺蘇生してたんですか?」と。
心停止の判断をAEDがしてくれると思っていれば、見逃す可能性が大です。
こういうことが周りでもあるわけです。
それから、講習をしていると、扱いに慣れるまでに時間のかかる人もいます。
「あー、これじゃ使えないね(使いこなせないね)」と自分から言う人もいます。
いざ、というときには使わなくては!使おう!助けよう!という意志のある人は、
まぁ講習に来てくれます。それ以外の人は、まず来ません。
「AEDの言う通りにすればいいんでしょ?」と思っている人は、わざわざ講習に行こう、
なんて思うはずもありません。
もうずいぶん前ですが、「本当にAEDのガイダンスで正しく使うことができるのか?」
実験をした大学があったそうです。
講習を全く受けたことのない人を集め、マネキンとAEDトレーナーで、やってもらったところ、
服の上からパッドを貼った例がいくつかあった、とか。
その結果からか?現在の機種は「服を脱がせてください」からガイダンスが始まります。
講習を受けたことが無い人でもAEDを使うことに問題はありません。
理解してなくても、その場で使おう、助けよう、と思って使ってくれればいいです。
その勇気は賞賛されるべきでしょう。
ただ、配備や理解について、どれくらい進むものなのか?
なんでもかんでも使って問題が発生し、話題になって理解が進むのか?
ダレかが問題提起して理解が進むのか?どっちが先だろう?
いつも疑問をかかえながら講習をしています。
賛否両論あろうか?と思いますが、個人的見解です。
究極的には、その場にいた人にしか分からないし、「診断」(って言っていいのか?)は、
知識と経験によるものだと思うので、ダレが言ってるのが正しいか?は、
他の人にはわからないのかなぁ・・・というのが正直なところ。
「判断」で難しいのは、反応が生体反応であるのか?というところでしょう。
とくに「死戦期呼吸」なるものは、とても分かりづらいです。
なので、この時点で迷ったときには、悪い方で見積もりましょう、というのは、
どの講習でも言っていることだと思います。
なので、講習の流れ通りの対応だと、意識(反応)があるのか?ないのか?わからない
→ 意識障害と見積もり、協力者を要請。通報とAEDを頼む
→ 呼吸をみる。分かりづらかったら心停止と見積もる
→ 胸骨圧迫をする
ここで、反応=苦しそうにする、痛がる が出れば、とりあえず心停止ではなかった、となります。
さて、ここから、この後届くAEDを貼るか?貼らないか?
反応の強さ次第?
と言うと、大雑把過ぎですかね?
反応があれば、AEDをその場に置いたままで(返さないで)、観察を続ける、でいいのかな?
と思います。
ネットでは多くの医療関係者が、どんどん使ってよろしい旨の投稿をしていたようですが・・・
もちろん、使ってはいけないというつもりもありませんが、
自分のなかで「モヤッと」することがいくつかあるわけです。
まず、AEDは、言うほどたくさん無い、ということ。
これは、公共施設のことではなく、イベント等でのハナシです。
心停止になった人に遭遇することは、そうそうありませんし、急に具合の悪くなる人も
それほど多くはないでしょう。
が、イベント等で人が集まると、体調が悪くなるという人は、どういうワケか?
けっこう出てきます(なんでですかね?)。
それに対し、AEDはそれほどたくさん用意されていないと感じています。
自分が、救護ボランティアとして参加するイベントでは、3つある救護ブースに、
それぞれ1台のAEDです。
しかし、体調不良でふらふらの状態で担ぎ込まれる人も、一日に何人かいます。
また、海水浴場の監視業務をしているライフセービングクラブとも付き合いがあるので、
事情を知っていますが、シーズンで延べ50万人ほど来る海水浴場でも警備本部にAEDは1台です。
心停止の人は、ここ何年も出ていませんが、いつでても不思議ではない環境です。
そこで、体調不良なだけで使うには・・・ということです。
心電図をとりたいから、という理由だけでは、とても使う気にはなりません。
「東京マラソン」は、世界で一番安全なマラソン大会を目指す、ということで、
70台ちかくのAEDが配備されているそうです。
1台、30万円とすれば、70台で・・・2100万円。
お金のある自治体だからできることではないか?と。
ひるがえって、我が市は、財政も厳しく、市内にある箱(外観)は立派な総合病院に、
医師は不足しがち。産婦人科医も確保できず、分娩ができない状況が続いています。
使っていない病棟、病室もあり、ときどきドラマや映画のロケに使われる、という始末。
AEDに何千万も使うなら、医師の確保をせよ、という声が出ても不思議ではありません。
「消化器と同じ数のAEDがあるのが理想」とはよく聞きますが、なかなか大変でしょう。
おカネで助かる命があるなら安いもの、というのは正論ですが、
無い袖は振れぬ、もまた事実。どこまで理解が進むのか?ということでもあります。
それから、「使え、使え」と言っても、それなりに効果的に使える人がいるのか?
ということです。
今では、自動車教習所でも教えることになっていますが、どれくらいの人が理解できているか?
疑問に思うことは多々あります。
AEDの使用に関し「AEDが判断してくれるから、間違って(心臓の動いている人に)使っても大丈夫」
とよく言われます。ここで、心臓の動いている人には、ショックしないから大丈夫と言いたいのでしょうが、
大概の人は、AEDが心停止か?どうか?判断してくれるという方も同時に
解釈しているのではないでしょうか?
AEDが判断するのはショックの要/不要であり、心停止か?否か?ではありません!
ネット上でも
「AEDがいいな、心マは骨折っちゃいそうで怖いから」ってコメント。
これ、明らかにAEDがショックすれば、心肺蘇生(胸骨圧迫&人工呼吸)不要と思ってますよね。
他にも、実際にあったことですが、ある医院(開業医)で、急に血圧低下して心停止になった患者さんに、
医師と看護師がAEDを使いました。AEDは「ショックは不要です」と解析し、医師と看護師は、
救急隊が来るまで心肺蘇生を続けました・・・
その様子を見ていた看護助手が「なんで不要と言ったのに、心肺蘇生してたんですか?」と。
心停止の判断をAEDがしてくれると思っていれば、見逃す可能性が大です。
こういうことが周りでもあるわけです。
それから、講習をしていると、扱いに慣れるまでに時間のかかる人もいます。
「あー、これじゃ使えないね(使いこなせないね)」と自分から言う人もいます。
いざ、というときには使わなくては!使おう!助けよう!という意志のある人は、
まぁ講習に来てくれます。それ以外の人は、まず来ません。
「AEDの言う通りにすればいいんでしょ?」と思っている人は、わざわざ講習に行こう、
なんて思うはずもありません。
もうずいぶん前ですが、「本当にAEDのガイダンスで正しく使うことができるのか?」
実験をした大学があったそうです。
講習を全く受けたことのない人を集め、マネキンとAEDトレーナーで、やってもらったところ、
服の上からパッドを貼った例がいくつかあった、とか。
その結果からか?現在の機種は「服を脱がせてください」からガイダンスが始まります。
講習を受けたことが無い人でもAEDを使うことに問題はありません。
理解してなくても、その場で使おう、助けよう、と思って使ってくれればいいです。
その勇気は賞賛されるべきでしょう。
ただ、配備や理解について、どれくらい進むものなのか?
なんでもかんでも使って問題が発生し、話題になって理解が進むのか?
ダレかが問題提起して理解が進むのか?どっちが先だろう?
いつも疑問をかかえながら講習をしています。