この小さい社は大内弘世の時代、山口屈指の旧家安部氏(一説では遠祖安部光包という説もある)が大内氏の命を受けて京都の愛宕神社から勧請している。長年火除けの神様として崇拝されていた。
永禄12年大内輝弘の乱(1569)で焼失している。貞享元年(1684)旧正英寺の和尚により復旧され昭和6年には里人により修復されている。平成11年秋の台風で倒壊し平成13年にこの地に移され復旧した。
日吉神社の境内にひっそりと建っている元はどこにあったのか定かではない。
永禄12年大内輝弘の乱(1569)で焼失している。貞享元年(1684)旧正英寺の和尚により復旧され昭和6年には里人により修復されている。平成11年秋の台風で倒壊し平成13年にこの地に移され復旧した。
日吉神社の境内にひっそりと建っている元はどこにあったのか定かではない。