霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

農園記55

2007-03-18 20:01:54 | 園芸
 昨日今日は、畑を耕し、草を引いたり、梅やユスラウメの消毒をしたりショウガを植えたりしていた。自転車でホームセンターナフコへ行くも急坂と下り坂の両方で行きも帰りも大変であった。電球を求めたがスタンドに合うのが鳴く。野菜の土とひも類を買って帰る。

 両日とも燐家の住宅が販売に出されており、その住宅のオープンハウス日で、購入希望者が3~4組来場したがさてどうなるかですね?

 恋路農園にも、ヒヤシンスが咲いてきました。

農園記54

2007-03-17 19:59:07 | 園芸
 金曜日は農園で泊まったが夜電球が切れてしまい、初期の読書ができなかった。 またストレスがたまったままで、読む気がしなかったこともある。農園で一人で寝るので気持ちが高ぶってなかなか熟睡ができず翌朝は9時ごろまで寝ていた。

 それから起きて朝食を作る。畑からねぎと明日葉をとってきて味噌汁の中に入れて食べたが新鮮でおいしかった。食パンとコーヒーの簡単な朝食であった。

 気分転換にはたまには週末農園で泊まるのもよいと思う。なぜ熟睡できなかったかというと、電気ストーブ電気カーペットと二つもの熱源があって暑くて寝ずらかったと思える。次回はもっと快適にしてなることを考えよう。

鴨たち

2007-03-15 22:08:31 | 随想
 いつもは小さなカワセミがこの川で小さな虫たちをついばんでいる光景が毎日の行事であったが昨朝は始めて鴨の親子の群れが総勢15匹ぐらいの集団でこの糸米川に降りていた。渡り鳥であり北への帰りの途中であったのであろう。若鳥も数羽いたようである。

冨長山八幡宮

2007-03-14 21:00:07 | 歴史/古文書
 冨長山(とみたけやま)八幡宮は吉見頼行が能登から西下した当時弘安5年(1282)岡頼治に命じて鶴が岡八幡宮の分幣を受け徳永城の南麓に祀ったのが始まりで後の源範頼も合わせて吉見家の祖廟としたといわれているが今はその面影もなく田舎の寂れた神社となっていて誰も参拝する人もいないさびしいところである。

岡熊臣の墓

2007-03-13 19:57:40 | 歴史/古文書
 熊臣は天明3年(1783)3月9日木部郷下組のこの地に生まれた。父は岡忠英で母は都也という人である。代々宮司の家で、吉見氏がこの地に開墾定着したときからの吉見氏の家臣であった。熊臣は23代目の冨長八幡宮の宮司でもある。

 12歳のとき父より四書五経を教わる。14歳で佐伯種学について歌学を修める。20歳のとき「皇国史略」を著す。26歳のとき江戸に遊学する。31歳のとき松江や浜田に行き国学者と交わり日本書紀の研究を始める。弘化元年(1844)62歳のとき「日本書紀私伝」81巻を発刊する。嘉永2年(1849)藩校養老間の初代国学教師となり学則を創案する。嘉永4年(1851)8月6日69歳で没す。子供はいなく宮司職は弟の家がついでいる。
 生涯で500余巻の書を著している。
 参考文献 木部の歴史を守る会のしおり

 驚くばかりであるこんなに山深い山間の地にこんなに教養の高い人が住んでいて、また私塾を開いて田舎の人々を教育していたのである。

 なかなか田舎では文化や教養が育たないといわれているが昔はそうではなかったといえよう。

道徳観

2007-03-12 19:21:39 | 随想
 最近少子高齢化といって若い人たちの中で、できちゃった結婚とか言って結婚式もせず。結婚への一通りの儀式もせず結婚をする人が多くなっている。

 なぜ子供の幸せのことを考えないのか、これからの生活をどうしていくのか、子育てはどうするのか、親戚との付き合いや親族の付き合いはどうするのか、勤務先との対応はどうするのかといったことを考えないのか。

 いくら両性の合意といっても無計画である。

 道徳的に見ても社会の常識に合っていないのである。もう少し沈着冷静に事を起こしてほしいと思うのである。「澄心静慮」とうい言葉があるように。物事は心を鎮めて静かに考えて、ことを起こしてほしいと若い人々に言いたい。

卓球台

2007-03-11 10:56:13 | 健康
某事業所が卓球台の始末に困っているというのだ細君と相談したところ細君がどうしてもほしい、「私は卓球クラブに入っているがサーブの練習ができない」とぜひ譲り受けてほしいというのである。

 さっそく棒事情所に電話をして細君が譲受を頼み、先方は是非に受け取ってくださいといわれ昨日取りに行った。

 午前中にとりに行き親戚の空き地においておいて夜中の9時ごろ人気の少ない時間に歩道をごろごろ言わせながら約15分も引きずってようやく我が家の運び入れた。

 エレベーターに乗せ、我が家に何とか搬入できたが台所と居間は卓球台でいっぱいとなりわれらの居場所がなくなってしまった。

 食卓テーブルもなくなり卓球台が食卓テーブルになり変な住まいです。こんな住まいってありえない家に帰ったつもりが卓球場って変ですよ???.まともな生活できない!!!。

 いまさら卓球の愛ちゃんになれるわけでもないし、どんなつもりなのであろうか?

070310

つくし取り

2007-03-10 20:37:26 | 園芸
 今日は農園に行き、お昼ごはんをたべましたお米を洗って炊いて食べましたが炊き上がったお米が硬くて食べるのに大変でした。

 お昼ごはんの後は、つくし取りを行ったり土の掘り起こしをしたりの農作業と、焚き火をしました。3時の「おやつ」ということで焚き火の熾きを使い「カキモチ」を焼いてあったかいコーヒーと一緒に召し上がりました。何か炭の懐かしいにおいとともに昔日を思い出し楽しいひと時でした。

 つくしは農園やその隣の溝のあぜ道にたくさん延びていて春満開の感じになっていました。

 汗だくになり土まみれになって働くことはとてもすっきりした気分になります。晴耕雨読というのはこういうことだったのですね。私の場合雨読が足りませんが?