カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

北朝鮮の醜聞273 「主体」とは

2020年02月06日 11時00分05秒 | アジア

かつて北朝鮮ではやった主体思想ですが・・・・ 


ローマ市民はもはや国家を支える主体ではなく、皇帝の服属者になっていた。:大世界史2 古典古代の市民たち 文芸春秋 


大きな器の人が少なくなったということでしょうか。 

そういえば昔、めっぽう頭がよかったけれども、家が貧しいなどの理由によって学業を続行できなかった人がいました。

しかしその後、記憶力が「より優先」されるようになり、その種の人たちは去ってゆきました。ほんとうは、そんな人たちの中から「とびぬけて器の大きな人」があらわれるものですが・・・・ 

多くの公務員が

「公務員になった頃には、公僕として身を処する」と決意したのでしょうが、入ってみるとそこは派閥の世界であり、最初からどの派閥に属するかで運命さえ決まりそうなのです。

まぁ、中国や朝鮮半島ほど「ひどくはない」のでしょうが、日本の官民に残っている悪しき風潮です。


話は、北朝鮮へと戻りますが・・・・

主体性とはこういうものだ、と見本をしめし官製の主体性を作り上げた」のが北朝鮮の主体性だったようです。主体思想のもとになった考えでしょうか。

押し付けの「主体性」だったのですが、それはたぶん「マルクス・レーニン主義」が絶対善だとする、あの「いやしい主体性」であり、まさに愚民政策だったのです。

北朝鮮の為政者とすれば、韓国はかわいそうに「官製の主体性」がなく愚かな庶民の考えが主体性だ、と見ていたようですが、いったいどちらが「かわいそう」なのでしょうね

そしてこの考えに近いのが文在寅でした。

親が脱北して韓国で産まれた文在寅は、選挙を軽視し、選挙の洗礼を受けなかった「自分の考えに同調する市民団体」を珍重し優遇しました。今の韓国ではだめであり「官製の主体性」がないと考えたのでしょう。

この意味では、文在寅は北朝鮮そっくりであり、北朝鮮一辺倒なのはやむを得ません。

かくして韓国では、選挙で選ばれた人よりも選挙で選ばれなかった人を優先する考えが広がっていったのです。

韓国には

「常に為政者は悪であり庶民は善である」という考えがあるそうです。これが「選挙」を軽んじる姿勢となり、「市民団体を優遇する」という現実に結びついたと考えられます。慰安婦問題でも「庶民は善」というのが見られ、そんなとき「証拠」など必要ないのです。

こんなところから金の為ならなんでもする例の「ぱくり・偽装」が芽生えてきました。韓国にはきっと、無数のえん罪があることでしょう。

脱北者を邪険に扱う姿勢は、北朝鮮の顔色を見たとしか考えられません。

「庶民は善」という考えと一致しない、などと矛盾を指摘するのは簡単ですが、韓民族に限れば「矛盾を指摘」する意味はないのです。「ぱくり・偽装」の世界では「矛盾」など常識であり、どこにでも、いくらでも見られます。

いわば

韓国では「選挙」を間違ってとらえており、いかに「市民団体」を利用するかが腕の見せ所、なんでしょう。

「選挙」を正しく見直す、のではなくて、「選挙」は借り物であり「いいもの」なんでしょうが、韓国社会で「選挙は、現実的には不要」であり、いかに「選挙で選ばれた人ではない市民団体」を活用するかが大切なのです。

選挙軽視というべきか、選挙で選ばれた国会議員などを軽視し、選挙で選ばれなかった人たちを積極的に活用するのです。

さてさて、皆様はどう思われますか。


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