ごく普通に言う「歪曲」には、3通りあるでしょう。
- 過去の歪曲(歴史の歪曲)
- 現在の歪曲
- 未来の歪曲
もし「正しい視点」に立てば
「1~3のすべてが正しい」でしょうし
もし「正しくない視点」に立てば
「1~3のすべてが間違っている」のでしょう。
そこで考えたいのは
「正しい視点」と「正しくない視点」の違いは、いったい何なのか、ということです。
いや、もっと根源的に言えば、「正しい」「正しくない」には、どのような違いがあるのでしょうか。
私たちは
小学生くらいの子供が一生懸命に考えて、何らかの結論を出しても、それを「正しい」とは思わないでしょう。
何かの新しい視点を尊重する場合もあるでしょうが、多くは「大きくなったらわかる」とし、「正しい」とは判断せずに聞き流すにちがいありません。
誰もが通過してきたのかも知れず、やがてその社会で生活していれば、「ごく普通の見方はできる」はずなんでしょう。
それでは
ある程度成長して、その社会全体の事が分ってきた人が下す結論は「正しい」のでしょうか、「死守する」価値があるのでしょうか。
しかし私たちは長じて「その国の概要」が分ってきても
まだ「別の国の社会の仕組み」を理解していません。
自分たちが長く過ごしてきた社会について、やや分ってきただけなのかも知れないのです。
たとえ「ある社会の規範に照らして正しい」ことであっても、「別の社会の規範に照らせば間違っている」かも知れません。
そういう時
何らかの共通の約束に目覚めるのが普通なんです。
残念なことに朝鮮半島や中国では
共通の約束ではなく、自分は正しいとうぬぼれるだけなのです。普通ではないのですね(笑)。
そこに得意の偽装もからみ、共通の約束を作り出すようにふるまいながら、実際にはうぬぼれしかありません。これが瀬戸際外交・すき間産業なのでした。
レーダー照射問題でも、韓国には共通の約束「志向」がみられず、「日本側に責任がある」だけなんです。そう「責任は常に韓国にはなく、責任は常に日本にある」のであり、やっかいなのです。
視野を広くして真摯に向かう姿勢が見られないのですが、これを称して「国としての体(たい)をなしていない」と言います。あまりに視野がせまく共通の約束を目指す姿勢などまったくありません。
特に朝鮮半島では
「自分の心」を偽るのが常識らしく、偽りが多すぎて一体どれが本当の「自分の心」なのか自分でも分らなくなります。
もし「自分の心」があれば、やがて「相手にも心」があると気づくかも知れませんし、ひょっとしたら解決の糸口が見つかるかも知れませんが、「自分の心」を見失ってしまっては永遠に見込みがなさそうです。
今の韓国の状態からして、北朝鮮や中国にぞっこん惚れ込み、うぬぼれて日本を見下しているだけなんです。これはほかの国々への対応にも見られるらしく、「はいお疲れさん! 次のかた、どうぞ」というところです(笑)。
生活の知恵として
変幻自在に自分の形を変えるのを求められる国では「自分の心」がないのは当然かも知れません。
スポーツの世界などでは
いろいろな人が集まって議論して「共通の規則(約束)」が生まれてきました。できるだけほかの解釈の余地がないようにして「共通の規則(約束)」を作りあげてきたのです。
その「共通の規則(約束)」さえ、しばしば変わるようで、解釈の余地がないように見えても、基準に不満がある人は必ずいるものです。
このスポーツの「共通の規則(約束)」のことを、「国際認識」と言い替えれば
ある社会からすれば、それは必ずしも「正しくない」かも知れませんが、改正を念頭におきながらも、現在「国際認識」では「守らないと」罰則をうけたり、最悪の場合には国際社会から追放されるかも知れません。
それが分っているのかどうか、韓国為政者の主張は続きます。
誰が見ても、韓国は、あのひどすぎる北朝鮮や中国には唯々諾々と従うばかりですが、なぜか日本にだけは奇妙な反発姿勢を見せます。
日本は、韓国が憎たらしいからではなくて、「国際認識」を守ろうとしない韓国の姿勢に疑問をもっているのです。いくら韓国が日本のことを憎たらしいと思ってはいても、同じように日本も韓国を憎たらしいと思っていると考えてはいけません。その証拠に、日本を訪れる観光客は、日本に行くと殴られるのではないかと恐れてはいても、実際にはなぐられるどころか異口同音に、自国との差を見てしまうのです。こんなことは憎んでいるならあり得ないことでしょう。
韓族は、いくら頑張ってみても、小学校高学年の児童にしか見えず、すべてが1人芝居なんですね。
まるで 英露の対立 ≒ 日韓の対立 そのものです。
- 英が「できるだけ証拠を集めて提示」しても露はすべて否定しますが、同じように
- 日本が「できるだけ証拠を集めて提示」韓はすべて否定するだけなんです
- そこには、露国の英国に対する姿勢、韓国の日本に対する姿勢が見えてきます。
きっと露も韓も「異論を排する全体主義」が好きなんでしょう。
さてさて、皆様はどう思われますか。