たとえそれが、事実であろうとも、なかろうとも、誰にも醜聞があります。ここでは最近の「韓国の醜聞」を集めてみました。必要なかたのために出典も明示し、あればリンクも提示しています。ただし言う迄もないことながら、リンクしているからと言って「私がリンク先のすべてに賛成している」わけではありません。
とてもおもしろい記事をみつけました。
「核搬出打診は虚偽」 韓国大統領府が朝日を出入り禁止に:朝鮮日報 2018/05/18
北朝鮮の核実験場廃棄 韓国の取材“拒否”:日テレNEWS24 2018/5/18
これの「何がおもしろい」のかですが
- 北朝鮮が韓国の取材を拒否し
- 韓国が朝日新聞の取材を拒否
これが「おもしろい」のでした(笑)。
普通のニュースの場合、とくに限定した内容の場合、為政者にとって不都合な記事が多いものですね。
しかしある相手を限定して取材を拒否するのは、どういう時でしょうか。
独裁国家(北朝鮮・韓国)の場合、相手に自分の意向に反する考えが見えると駆け引きの1つとして「取材拒否」
かつて
北朝鮮の金正日時代に側近だった黄長燁(ファン・ジャンヨプ)が1997年に韓国へ亡命した時は北朝鮮にとって大ピンチでしたので、「南北宥和のムードに反するとして、北朝鮮の不都合な何を証言されるか分らない黄長燁を干す方針」に徹し、韓国の金大中(大統領在位:1998-2003)をだましにだましカネさえ巻き上げます。韓族でよくみられる「援助させてあげる」という姿勢でした。
それが成功したあと、なんだかんだと屁理屈を並べて元の対立状態へもどりカネだけを巻き上げるのに成功しました。
黄長燁が北朝鮮の実情をバラすのを恐れたとは言え、伝統的なウソ八百の演技でした。
今回の英公使太永浩(テ・ヨンホ)の亡命も同じでしょう。
内実を漏らされてはまずい脱北者がいる場合、その脱北者を干す目的のため、ウソ八百(北朝鮮の場合「宥和政策」)をまき散らします。
ウソ八百が成功すれば、もとの対立に戻るのは黄長燁の場合そうでしたから、太永浩の場合も平昌五輪という僥倖(ぎょうこう)もあり、平和ムードを演出した南北会談も終わり、もう十分だと判断しました。
それが成功したあと、なんだかんだと屁理屈を並べて「責任はすべて相手にあり」ですから、韓国やアメリカを非難しながら、ぼちぼち対立状態へ戻りつつあります。
ただし
金王朝体制をどの程度「保証」するかによって、変わってくる可能性があります。北朝鮮にはやむをえない理由があって威嚇するのでしょうが、今その北朝鮮が最悪の状態にあるけれども、かれらが瀬戸際外交・偽装のベテランであることを知っておきたいものです。
黄長燁脱北の場合
1988/09 ソウルオリンピック
1993/12 金泳三政権始まる
1997/04 黄長燁が韓国へ亡命、アジア通貨危機
1997/12 金泳三政権終わる
1997/12 金大中政権誕生(黄亡命8ヶ月後に親北政権)
2003/02 盧武鉉(2003-2008)
2008/02 李明博(2008-2013)
2009/05 盧武鉉自殺
2010/10 黄長燁死去
太永浩脱北の場合
2015/09 朴槿恵が中国の軍事パレードに参加
2016/08 太永浩が韓国へ亡命、崔順実事件
2017/03 朴槿恵政権終わる(朴槿恵弾劾・逮捕)
2017/05 文在寅政権誕生(太亡命9ヶ月後に親北政権)
2018/02 平昌五輪、その後しばらく宥和ムード
2018/05 ぼちぼち元の対立に戻らねば・・・・・・
さてさて、皆様はどう思われますか。