韓国は「がたがた主張するだけの姿勢」を批判されます。
韓国人には意味が分らないでしょうから、そのわけを詳しく述べましょう。
「韓国の悪口を言うなんて許せない」とするかたは、別のところへどうぞ。
単なる「悪口」ではなく、私の分析結果で否定的になっただけのことですが・・・・・・
主張すること自体には何も問題はありません。
何が問題かというと、自分自身に問題が多すぎるのに
- 何も自分自身を改善できないまま何かを主張する
- 自分を見るための鏡がないのでしょう。
韓国は、国際分野で「バランサー」を実践していますが
- 自分自身の心のバランスを取れないので
- あんたがそんなことを言えるのか
と笑われています。
韓国の場合、いわば
ヤクザが不法活動を続けながら、別の人の不法活動を指摘する
のに似ていると言えましょうか。
今回もまた、あいもかわりませず、ばかばかしいお噂を一席聴いていただき失礼をばさせていただきます←春団治
現在のような偏狭な意識で南北統一が実現するならば、統一後はもっと問題が起こる。異質化した北の同胞を温かく迎え入れる心が、韓国には欠如しているからだ。北の体制的問題と南の偏狭的な意識は南北統一の障害であり、これが同胞相争う「朝鮮戦争」という悲劇が再現されてもおかしくないという危倶を抱かせる。この「差別構造」を改造しないかぎり、韓国民の危機はむしろ周辺の同族にあり、21世紀の孤児に転落する覚悟をすべきだ。:金文学「反日という甘えを断て」祥伝社黄金文庫 平成17年12月20日初版第1刷
今の韓国のままだと
文在寅大統領が韓国憲法に違反するようなことを叫んでも、朝鮮半島統一はできないだろうし、かりにもしそれが実現したと仮定しても、あまりにも危険が多すぎるでしょう。
万が一、何かのまちがいで
- 北の体制的問題
- 南の偏狭的な意識
をかかえたまま朝鮮半島の統一が実現したとしても
いっそう対立が激しくなるだけで、国としての体(たい)をなさず、「統一と同時に崩壊国家の候補」になるでしょう。
もしも統一するとしても、その前にやるべきことが多すぎるのです。
統一してから、やるべきことは自然に可能になる、なんて「きれい事」はやめましょう。
私の考えですが、「少しでも両者を改善」しないなら、急いで統一するのは、統一直後の国の崩壊を招くだけで、とても危険です。
「どこまで差別すれば気が済むのか」朝鮮学校生たちの涙: 韓国ハンギョレ紙 2017.09.13
これが情に訴えるだけの韓国ハンギョレ紙の記事でした。
自らの加害者姿勢を棚に上げて被害者ぶる典型が見られました。
通常の同紙をみているとわかりますが、まだまだハンギョレ紙は「何でも反対」の域を脱していないようで、まるで日本の社民党(旧社会党)・日本共産党みたいですね。
「あんたがそんなことを言えるのか」
「言う資格がないことを平気で言える」
これが韓族の特徴で、こんなことをしているから、日常的にケンカ対立が絶えない「世界中から見放される」社会になってしまったのだろうと言えます。
もちろん日本の「何でも反対政党」もこの域を脱していません。
冒頭でも申し上げたように、日本のヤクザが不法活動を続けながら他者の不法活動を『ひどすぎる』と指摘するのに似ているのです。
韓国の社会秩序に問題があるとすれば
どちらが先かではなく、同時に両者が、よりましな方向で改善していくしか道はないのです。ここで言うのは「差別しないこと」ができて初めて「差別だと叫ぶこと」ができるので、それを同時に進めましょう、という意味です。
自分のことを棚に上げて放置し、自分だけが被害者だなんて馬鹿げたことを言うのは、初等教育に問題があるとされるだけで、もう、ボチボチ青山泉岳寺(墓地墓地あおやませんがくじ)、やめませんか。
ことばを変えて言うならば、「加害者としての自分に気づくこと」でしょうか。
加害者かもしれないことを反省せずに被害者づらをしないように、との警告でした。
韓国人には
すべての点で自分自身を見失ってしまい「けんか腰でわめき、都合が悪くなったら被害者ぶる」ことの賤しさが出てませんか。
こんなことを「(儒教らしく)軽蔑している日本人」に指摘されるのがばかばかしいですか。
そう、その「軽蔑する」が問題なのです。「軽蔑される」から「軽蔑する」のでしょうが、なぜ「軽蔑されるのか」と少しでも考えることがあれば、なぜ「軽蔑するか」も分ってくるでしょう。
「軽蔑」するのをやめて初めて「軽蔑されたと訴える」ことができるのではないかと思うのです。
もう一度だけいいますが
「差別」するのをやめ、同時に「差別されたのを訴える」ならば、他人も耳を傾けることでしょう。
今のままでは、誰も聞いてくれませんが、それでも関係なく何かを叫ぶところが、いかにも韓族らしく、ミジメですね。
その心にスキがあるのでしょうか。
日本では
一世を風靡したかに見えた何でも反対の「社会党(1945-1996)」はとうの昔に崩壊し、あとをついだはずの「社民党(1996- )」も息絶え絶えで、先日2017/10/22の衆議院選挙で当選したのは、改選前と同じ2人だけで、照屋寛徳(てるや・かんとく72沖縄2区)・吉川元(よしかわ・はじめ51 比例区)でした。
確か先日の衆議院選挙では「5名以上の当選を目指す」と言っていたように記憶していますが・・・・・・
社民党党首の吉田忠智は2016年の参院選で落選しましたが、周囲の慰留もあり、党首を続けております。社民党の国会議員は、こちらによれば、衆議院2名(照屋・吉川)、参議院2名(福島・又市)の計4人であり、隔世の感ありですね。
こうした社民党や共産党は、沖縄本島だけで元気です。
そこへ過激派が集結し、韓国人の不可解な連中などが混じり怪しげな対立を引き起こしております。
しかし沖縄人は
イスラム過激派によるテロが続発しても自分たちは関係がないというだけのイスラム教徒と同じで
「自分たちには関係がない」
と言い、ますます混乱を増しております。流血や暴力事件がないよう祈るだけです。
関係者なら何とも思わないでしょうが
外部から見るなら「毅然とした姿勢がないと泥沼にはまる」と助言しておきます。聞く耳などあるはずがありませんが・・・・・・。
法治国家ですから、暴力に訴える「死守」はいけません。
さてさて、皆様はどう思われますか。