カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

沖縄の醜聞 18 百田発言

2016年07月29日 01時53分22秒 | 社会

在京6紙 危機感に濃淡 その違いは…

自民党国会議員の勉強会で出席者が報道機関に圧力をかけるような発言をした問題について、多くの新聞が批判的に報じ言論・報道の自由への危機感をあらわにした。ただ、毎日新聞が新聞各社と通信社に議員らの発言への見解を選択式で尋ねたところ、在京6紙と2通信社のうち「問題がある」としたのは毎日を含め4社にとどまり、濃淡が出た。勉強会で作家の百田尚樹(ひゃくた・なおき)氏から名指しで批判された沖縄県の2紙はともに「問題がある」とした。【日下部聡、青島顕】

◇在京6紙 毎日、朝日、東京、読売、日経、産経 

:毎日新聞 2015年6月29日(月)22時17分配信 


例の百田発言に関するニュースですが

リンク切れなので、かいつまんでご紹介します。毎日新聞が上記6社とほか4社、合計10社に聞いたとのこと。


報道の自由にかかわる重要な問題」と答えたのは朝日。社説では「これが国会議員の発言か。無恥に驚き、発想の貧しさにあきれ、思い上がりに怒りを覚える」とも。

  • 確かに圧力をかける意図があったなら、けしからんことですが、これは「中国共産党にヨイショするのも報道の自由」とする朝日の姿勢を思い出させ、笑ってしまいます。
  • 中国共産党に不都合なニュースを配信しない」のも報道の自由、というわけです。
  • 確かに報道各社は、自分が意識する・しないに拘わらず、必ず色眼鏡をかけて見て判断し報道するものですから、特に言うほどのことでもないのですが、ここで私は「報道側の色眼鏡に気づかないまま洗脳されているかも知れないかた」のために、余計なことでしょうが理解している範囲内で、その実体を申し上げている次第です。
  • 朝日新聞 が、「国会議員の無恥・発想の貧困・思い上がり」に怒っているようですが、これは残念ながら朝日自身にそのまま当てはまるようです。朝日が、無恥であり続け、発想が貧しく、思い上がりも甚だしいゆえに、他者を「無恥・貧しい発想・甚だしい思い上がり」と評し、中国共産党にはそれがない、と信じているのでしょうが、実はそれこそが無恥・貧しい発想・甚だしい思い上がりでした。
  • 人は、「自分の欠点を他者の中に発見し、狂喜してそれを指摘したがるのですが、うっかり自分自身を吐露・告白」してしまうのですね。
  • 言い替えると「人は、自分と似ているものに惹かれ、自分と似ているところに軽蔑のまなこを向ける」、そういう生き物なんでしょうか。
  • つまり「鏡に映る自分の姿をみて初めて自分に気づく」ので、賢者にとって他者というのは「自分を映す鏡」という実にありがたい存在なのでしょう。ただし普通の人なら、他者の中に見た自分の醜い姿に耐えられなくなり、罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせて攻撃し、自分の心のバランスを保とうとします!
  • こう見てくると、中国共産党も朝日新聞も見えてきて、「同じ穴のむじな」と言えます。もちろん同じことが読売新聞や産経新聞にも言えます。

読売は「沖縄2紙には疑問あり」とし「百田氏の批判は、やや行き過ぎ」としているようです。

毎日・朝日の場合、琉球新報・沖縄タイムスについて触れていないのが不自然ですが、読売は、琉球新報・沖縄タイムスの問題にも触れながら「百田の行き過ぎ」を指摘しているようで、私の感覚としては、こちらが妥当なところだと思います。

産経は社説では触れず、与野党の見解をまとめたようで、百田の発言の一部だけを取りあげることの非を述べています。

全面的に百田を擁護しているように見えますが琉球新報・沖縄タイムスに触れていないようなのには違和感があります。ただしこれも、毎日がそう報道しただけかも知れませんが。

共同通信総務局は「異論を許さない姿勢は、民主主義の根幹にも反する」、時事通信は「報道の自由を揺るがしかねない発言」らしい。

  • 「異論を許さない姿勢」「報道の自由」についてはいいとしても、これを明確に否定する中国共産党をどう報道するか、が問題です。
  • 中国共産党の恣意的な報道に対して何も言わないまま、国内のメディアの報道の自由を論じるだけなら「はい、お疲れさん!次のかた、どうぞ」となり、違和感が残るだけです。
  • ここでは「ことさら波を起こさずに、相手と仲良くすることを優先して考える通常の日本人」の特徴が欠点となっています。

琉球新報・沖縄タイムス自身は「問題がある」としているようです。

  • そりゃそうですね(笑)。
  • しかし沖縄地域内で独占的にキャンペーンをはり言論の自由を否定しているような姿勢を見せながら「報道の自由への挑戦と受け止めている」には笑ってしまいます。自分のしていることを理解できていない中国共産党そっくりで、みんな自分の姿を見ることができないものなんでしょう。
  • 中国共産党は「自国中国の歴史を直視」できないまま、日本に対して「歴史を直視する」よう求めています。同様に、琉球新報・沖縄タイムスは、「自分で報道の自由を直視」できないまま、「百田が報道の自由へ挑戦している」というのですから、似てますね(笑)。

その他の地方紙についても述べていましたが、私の感想は次のようなものです。

  • 「何を報道するか」も大切ですが、もっと大切なのは「何について何も言えずに報道できないでいるかでして、ここまで把握している人はすばらしい、と思います。
  • 「自分のことを知識人」だと思っている多くの日本人の傾向として、アメリカには異論をもつけれども、中国には異論をもたない、というのが見られます。しかしこれは自分の意見が言えるという発達段階にあり、この程度の人を「知識人」と呼ぶのには抵抗があるのですが・・・・・・。
  • 誰に対しても、何に関しても、その人独自の観点で堂々と発言できる人こそ、本当の知識人、だと思います。何かに聖域をもっていたり何かをタブー視して「決して触れないでいる」人なら、分る人には分るものでしょうね。

さてさて、皆様はどう思われますか。


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