誰にも醜聞があります。たとえそれが、事実であろうが、なかろうが(笑)。
ここでは最近の「韓国の醜聞」を集めてみました。疑惑を感じた方は、リンクをたどってくださいね。
韓国では
大統領朴槿恵の辞任を要求するデモが、いっそう激しくなってきました。様々な報道が見られ、崔問題には、崔自身の国政参加という問題と共に、娘の不正入学にも関連している、とのこと。いずれも私には、まだ判断を下せるほどの情報が集まっておりません。
いずれもまだ証拠がはっきりしていないため、にわかには私は信用しないことにしていますが
情緒を優先し、証拠なんてどうでもいい、とする韓国風土からすれば、すでに崔は有罪なんでしょうか(笑)。
このように
雰囲気や情緒で「有罪」か「無罪」かを決めるのが、正しい韓国のやり方で、これを私は「正調韓国節(せいちょうかんこくぶし)」と呼んでおります(笑)。
複数の報道によると、チェ・スンシル(崔順実)は、逮捕される前に謝罪したようで
「死に値するほどの罪を犯した。国民の皆さん、許してください」:Record china 2016年10月31日
としたため
「死ぬのを助けてあげようという気持ちで来た」:WoW! Korea 2016/11/1
とクレーン車で検察庁ビルに突っ込んだ人がいました。これが殺人幇助にあたるのかどうかは別として
検察関係者は「被疑者が容疑を全面的に否認し、証拠を隠滅する懸念がある」:韓国聯合ニュース 2016/11/01
という理由で拘束・逮捕したとのことです。
つまり崔容疑者は、
- 「死に値する程の罪(本人談)」を
- 自分で「否認した(検察関係者談)」
もしも報道が正しいなら(これも怪しいですが)、自分で告白したことを自分で否定したことになりますが、いつたいどうしたのだらうか・・・・・・
私たちが日本でよく見かけるのは
- 最初は容疑を否認していますが
- 証拠を見せつけられてやむを得ず認める
つまり
日本では「否認→認定」が普通ですが
韓国では「認定→否認」と逆
なのでしょうか。それとも崔も「認定→否認→認定」となるのでしょうか。法体系が異なるし個人差もあるでしょうから、一概には言えません。
これが
- 韓国検察の例のねつ造か・・・・・・あり得ること
- それとも報道の例のねつ造か・・・・・・大いにあり得る
- 或いは韓族特有の例の豹変か・・・・・・当然?
いったいどれなのか、私には分かりません。どれもありそう、と思われるだけです。
そういえば、現職大統領である朴槿恵の事情聴取でも、今まで例がなかったらしいのですが、当初
必要なら誠実に臨む覚悟〔2016/11/04:朝日〕
でしたが2週間ほど経過した今でも
日程調整めど立たず〔2016年11月16日:読売〕
というところをみると、崔と同じで、
最初は「認め」、その後「否認」に至る
これが韓国らしい伝統なのでしょうか。
そういえば、思い出しました・・・・・・。
- 日韓条約も、最初は認め、やがて都合が悪くなれば「あれは、独裁政権が勝手に決めたことだった」と否認に至り
- 慰安婦問題でも、最初は合意に達したものの、やがて一部国民の声から否認が聞こえはじめ、日本ではもうこの国とはどんな約束もできないという風潮になりつつありますし
- 韓国・中国FTA協定の合意に見られる通り、韓国は当初中国を認めていましたが、THAADミサイル問題で中国が経済制裁し始めたため、制約があるでしょうが、徐々に中国を否認しつつあるようですし
- たった10年間とはいえ、大統領(金大中~盧武鉉)の左翼政権時代に北朝鮮を認めて支援し始めたのはいいけれども、やがて「だまされた」ことに気づいて北朝鮮を否認し始め、公には今、南北両国が再び激しい対立に至っているようです。
これらに共通するのが韓国の「認める→否認」現象ですが、かといってたった一言
「韓国の豹変」
「分りやすい二元論」
「情緒民族」
「単純細胞」
で片付けていいのかどうか、というところでしょうか〔一言ではなく四言でしたか?〕。
その時はそう思ったのでそうした、のが情緒的なとらえ方です。
きっと韓国では「法・約束を守る」人が表に出にくい風潮があり、私たちにはそういう「普通の人たち」が見えにくいのでしょうか。
「死に値」「不正」という発言では、次のようなものも、ありました。
(記者)麻生内閣や総選挙に与える影響は。
(中山成彬)そのことがわたしが一番心配すること。もしそういうことがあれば万死に値する。:時事 2008年9月27日
8年前ですから、かなり古い記事ですね。もちろん形式的な「万死に値する」であり、辞任用の言葉なのでしょう。
なお中山成彬は「日本のこころを大切にする党」から2016年7月10日の参院選に出馬(比例区)しましたが落選したらしく、時代は変わってきたのでしょうか。
日教組を敵視するのは別に構いませんが、公職にあるうちはそういった「独断」は、日本では汚点となってしまうのです。
(裏口入学の相場)小学校なら200万~500万ウォン、高校は1000万~2000万ウォン、大学は1億~3億ウォンが相場となっていた(中央日報1993年3月13日付)。
替え玉入学などの不正も跡を絶たず、金泳三政権時代には当時の法務長官が娘の不正入学がらみで失脚したことさえあった。:黄文雄「犯韓論」幻冬舎ルネッサンス新書
金泳三〔1927-2015〕の大統領在任は1993-1998でしたから、20年も前の話です。
きっと日本でもかつては無数にあったことでしょうが、韓国では「不正」が今でも相当ひどい状況らしく、しかも自浄作用など見られないため、安易に「どこにでもあること」で片付けてはいけないようです。
世間では「どこにでもあること」で思考を停止する人を、よく見かけますね。
「どこにでもあること」自体は別に構わないと思うのですが
- 本当にどこにでもあることなのか
- 共通にみられるけれども、許容差・レベル差がないのかどうか〔許せる範囲内なのか、許せないけれどもどうしようもない、のか。〕
- 同じだとみなしていたけれど、意味が広くなってきて、別のとらえ方が必要になってきてはいないか〔古代ギリシャ時代では、科学者が占い・医学・天文学などすべてを扱っていたようですが、やがて分化してきましたね。〕
などなど、場合によって慎重な把握が求められるというのに、使う本人にはそんな「慎重さがない」のが普通です(笑)。
汚職蔓延の儒教国家では
「公務員」の不正の底が見えません。
だますほうが賢く、だまされるほうがバカ、言い替えると、もしも「だます事に美徳がある」と信じているならば、もう最悪の儒教というレッテルを貼らねばならないようです!
さてさて、皆様はどう思われますか。