カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

なぜ『嫌われる』のか

2016年06月22日 08時59分52秒 | 生き方

「なぜ~は嫌われるのか」は、重要な主題だと思います。

どんなことでも「そんなもの社会の常識!」で済ませることができる人は、「社会を疑うという健全な懐疑心」をおもちではないようです。

次のようなテーマについて、1度考えてみませんか。

  • それぞれ対をなしています。
  • またすべてにおいて一部の」が略されています
  • 自分に自信をもつことは大切ですが、対立の原点は、「自分だけが正しく、他は間違っている」との信仰にあるのかも知れません。自信はいいけれども過信はいけない、ということですね。

宗教関係

  • イスラム教徒は、なぜキリスト教徒に嫌われるのか。 
  • キリスト教徒は、なぜイスラム教徒に嫌われるのか。
民族関係1
  • ユダヤ人は、なぜアラブ人に嫌われるのか。
  • アラブ人は、なぜユダヤ人に嫌われるのか。
民族関係2
  • 在日韓国人・朝鮮人は、なぜ日本人に嫌われるのか。
  • なぜ日本人は、在日韓国人・朝鮮人に嫌われるのか。
民族関係3
  • 韓国人は、なぜ華僑(中国系商人)に嫌われるのか。
  • 華僑(中国系商人)は、なぜ韓国人に嫌われるのか。
国家関係1
  • 中国人は、なぜ日本人に嫌われるのか。
  • 日本人は、なぜ中国人に嫌われるのか。
国家関係2
  • 韓国人は、なぜ日本人に嫌われるのか。
  • 日本人は、なぜ韓国人に嫌われるのか。
国家関係3
  • 韓国人は、なぜ北朝鮮人に嫌われるのか。
  • 北朝鮮人は、なぜ韓国人に嫌われるのか。
国家関係4
  • 韓国人は、なぜ中国人に嫌われるのか。
  • 中国人は、なぜ韓国人に嫌われるのか。
国家関係5 
  • アメリカ人は、なぜ世界中の人に嫌われるのか。
  • 世界中の人は、なぜアメリカ人に嫌われるのか。
国家関係6 
  • イギリス人は、なぜフランス人に嫌われるのか。
  • フランス人は、なぜイギリス人に嫌われるのか。
国家関係7 
  • 中国人は、なぜ世界中の人に嫌われるのか。
  • 世界中の人は、なぜ中国人に嫌われるのか。
政治体制 
  • 共産主義国は、なぜ非共産主義国に嫌われるのか。
  • 非共産主義国は、なぜ共産主義国に嫌われるのか。

皆様が、それぞれに対して言いたいことがあろうかと思います。
  1. 対立する2つには、必ず「なぜ嫌われるのか」について問う価値があります。問わないまま対立を続けるよりも、互いに問うほうが、無理解を解消できる可能性が少しでもあるからです。〔この意味で絶望的なのが「改善を拒否する」中国の儒教意識とそれへ追随する韓国。両国が腐敗しているのは、偶然ではなさそう。〕
  2. また相手の価値観について、悪い感じをもつ・いらだつ・むかつく、ことがありますが、このような場合どうすればいいか。国によって、暴力で威嚇され、言論統制・報道管制されている場合〔例えば中国〕、一筋縄ではいかず時間がかかるかも知れませんが、広い範囲で「忌憚なく対話を続ける」ことしかないでしょう。
  3. 亀裂・決裂を恐れて、言うべき事を言わないのは、かえって問題を複雑化し、誤解が深まるもの。
  4. 企画立案者は必ず「問題を起こさないよう」気を使いますが、難しいところですがそこにこそ深刻な対立の原点がありそうです。企画立案者が、どれだけ長期の見通しをもって対話を続けるか。1回終わっても、次の対話のテーマについて、辛抱強く話し合うことでしょう。対話とはいえ、当事者同士だけではなく、企画立案者同士での「長期にわたる対話」も含まれます。
  5. 「絶対にこれだけは譲れない」とする主題をどれだけ減らせるかで、人間の知恵が求められるでしょう。
  6. 対立を常に「腕力勝負」で解決しようとするなら、そのへんの野生動物と何ら変わらず、それだけは避けなければならないと双方が思うことです。ただし独裁者は常に、そのへんの野生動物と同じ「腕力勝負」で成り上がって来た、ということをお忘れなく!
対立を楽しめる余裕があるかどうか。そのあたりが、問題でしょうか。

最後に、「嫌」について検索してみました。お好みでない記事があれば、お詫びします(笑)。

私がいちばんいな司会者は、なんといっても大橋巨泉だ。私もほとんど見さかいなく、いろんなテレビに出てはいるが、あのヤロウとは二度と一緒に出ない。顔を見るのもイヤなんだ。あのヤロウの目は卑しい日本人の典型みたいな目だよ。役者ならまだしも、司会者としてあんな顔をテレビに出しちゃ、日本の恥だよ。・・・・

あのヤロウは、イヤなヤツとはどういう人間かを、みんなに教えるために生まれてきたクサいヤツだよ。だから、貴重と言えば、貴重さ。:P.58 芹沢博文(1988年死去) 「依って件の如し」 ケント出版

いいも悪いも、芹沢がそう思っていたということで、そこから何らかの意見が出て来れば、十分に価値があったと思います。

  • 20才の若いときの世界旅行・・・・まだ経験も浅く・・・・どこへ行ってもさしたる抵抗はない。
  • しかし、40才になったら、もうそうはいかない。生活者としての骨格が大体できあがってしまうので、見るもの、きくもの、すべて自分の生きている社会の常識や因習の目を通して見ようとする。善悪や好きいもすべて自分たちの物差しではかる。・・・・
  • 60才にもなると、すべてを自分たちの体験から割り出すようになる。・・・・だから環境に適応するよりは、適応できそうな環境を選んで旅行をするようになる。:P.183 邱永漢「お金持ち気分で海外旅行」 PHP研究所
邱永漢が
  • 3つの年齢、20歳/40歳/60歳の旅行を述べています。
皆様も、もしできれば
  • 世阿弥の年齢ごとの芸術観もご参考になさって下さい。

ギリシア人の老年への著しい悪。ところがローマでは家父長の権力の大きさのゆえか、政治生活の上での元老院議員の権威のゆえか、老人はあまり嘆かなかったようだ。・・・・
キケロの「老年論」では、老年長寿の長所美点を語らせている。:P.186 大世界史2 古典古代の市民たち 文芸春秋

私たちは
  • 儒教の教えを聞かなくても、長老には敬意を払うべきでしょうが、同時に長老には「若い人に譲る」という見識も必要で、「老害」にならない程度の「敬意」であるべきというのが儒教の教えとは大きく異なります(笑)。
  • 同年齢の人たちに対しても、単に好き嫌いの対象とするのみならず、どこまで互いに尊重しあえるか、が大切。
  • そして儒教ではあり得ないことですが、自分よりも年下の人から何をどれだけ学べるかも試されています。難しいところですが、これが維持されている社会は、じつに立派なのです。
儒教の弊害
  • 「ものごとの改善を許さない」ことで、あくまでも与えられた現状を維持するのが最大の目標ですから、支配者にとって夢のような社会制度ですね。長老を越えてはならないという信仰がある限り腐敗を免れること能わず「老害」はやがて「腐敗」へと進化するでしょう。
  • 南沙諸島あたりで勝手に主権を叫び埋め立てて軍事拠点化した中国は対外的に一層警戒され経済制裁される可能性さえ生みました。一方現状を武力で変更したという点では支配者の立場で儒教を否定したように見えますが、武力弾圧下にある被支配者層に対しては、改善(改悪?)した「新しい」現状維持を強要新しい現状の改善を許さないという点で巧みに儒教を活用していて、支配者層の狡猾(こうかつ)さがみられます。こういうのをわかりやすく表現すれば「言論弾圧・人権無視」となります。儒教を否定しながらも儒教を狡猾(こうかつ)に利用しているのです。
  • 儒教の「老害」を全面的に否定したのが中国の文化大革命〔1966-1967〕で、「紅衛兵」なるあやしげな若者集団が「老害」を生み続けた無数の長老を「自己批判」という名で粛正しましたが、この運動の黒幕は一体誰だったのでしょうか。結局は中国共産党の失政の責任を庶民に転嫁しただけではありませんか。
  • この反対に、長老でさえ若い頃に長老の理不尽さに我慢できないことがあったはずですから、年を経過したあとで若い人に譲るという心の余裕はどうしても必要なのでしょう。困難な要求とは思いますが・・・・・・
  • 中国では、長老を優先したり、老害を排したり、どちらか一方に「極端に振れる」ため、外から見ていると「為政者のやりたい放題国家」に見えてしまいます。こういうのをわかりやすく表現すれば「一党独裁政権」となります。この二元論はまた、韓国社会にもしっかり根付いていますね。

試食品の扱い比べ。

名古屋では「ほんとにタダきゃあ」「ほんとに飲んでもええきゃあ」などと確認してから飲む。飲んでからも律儀に何かを買っていかれる人が多いんですよ。

東京では、堂々と飲む人が多いし、な人ははっきり「いらない」と断わってくる。飲んだ人に感想を求めれば、しっかりした意見を言ってくれる。大げさに言えば、ただで飲ませてもらっているという次元の低いものではなく、消費者の一人として企業に情報を提供してやるのだという意識みたいなものが感じられる。

大阪では、礼儀正しい東京ともまた恥ずかしがりやの名古屋とも違ってくる。「みんなわっと殺到してきて、片っ端から飲んでいく。ただのものは何でもほしいとばかり、ティッシュペーパーまでかき集めてもっていく。ガメツサとパワーには圧倒されてしまいますよ。

先日のTV実験。ミカン20個100円お超安値販売を、東京では手にとって確かめてはみるのだが、あまりの安さに疑問を抱いてだれも買っていこうとはしない。これが大阪ではたちまちのうちに人だかりができ、みんな奪い合うようにして袋に詰め込んでいた。

:P.47 船橋武志「(続)100%名古屋人」リバティ書房 

「ある特徴に限って」かも知れませんが、見事に大阪・名古屋・東京を、言い表わしています。

  • それぞれに長所と短所があるので、どの地域のやり方がいいとは言えません。
  • そしてこれは、諸外国での人間の行動についても、同じように言えます。

いや自分の考えが一番正しい」と信じて疑わない人ならば、自分と異なる見方を徹底的に排除することでしょう。

  • それはどんな国かといえば、・・・・・・もうお分かりでしょうが、中国・韓国ですね(笑)。
  • 「いや排除していない。お前たちも同様に発言すればいい」とおっしゃるでしょうが、すでにそこで、かれらの悪しき「異論を排除する」ペースにはまっています(笑)。
  • 「自分は、自分の正しさを信じているのだから、相手の人も自分の正しさを信じているはず。だから相手の話も少しは聞こう」、なんてことはあり得ない
一体これからどうすればいいのでしょう?

私はここで結論を出そうとしているのではなく、皆様方に何かを考える情報・きっかけを提供しています。

さてさて、皆様はどう思われますか。