カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

お笑いと社会諷刺

2017年08月07日 08時05分50秒 | 笑い

なぜ、「笑い」と』をつけるのでしょうね。

代官様」「好み焼き」とは言うけれども、「総理大臣」「たこやき」とは言わないらしい・・・・・・。 

芸人も変わってきました。

  • かつては「社会諷刺漫才」で人気を得たのですが
  • やがてテレビ局に飼い慣らされて「社会諷刺をやめる」

かつてのお笑い芸人も年を重ねたため、「冠番組をもたせた安定収入」と引き替えに、権力に従順なテレビ局の言いなりになる可能性が十分にあります。いや「コメンテイター」として既にそうなっているかも知れません。

つまり

漫才・お笑いの分野が、芸能界にデビューし、そうして安定した収入を得るための「1段階」に堕した気がするのです。

をつけて「笑い」とすることで

伝統を大切にし権威を重んじ、よって権力に忠実な犬になろうとしているため、なのでしょうか(笑)。

どこかに

伝統・権威」を笑える社会諷刺があるからこそ伝統・権威」の価値が高まるとも言えます。

  • もしそれができないならば、政府による一方的なプロパガンダであり、中国・朝鮮半島などの単なる全体主義国家に成り下がることでしょう。
  • 改善することができないこれらの国では、指摘されたことには目をつぶり、ひたすら日本の欠点のみを取りあげることでしょうが、それ自体が全体主義国家の特徴なのでした(笑)。
  • これら全体主義国家がますます台頭すると、それに対抗しようとして近隣に位置する日本が「軍事国家・全体主義国家」に近づくのではないかと私は恐れています。
  • ここで大切なのは「日本が独自にそうなった」のではなく、近くに「国際法を守らない無法」な「全体主義国家」がいたためというところです。これら全体主義国家では、自分たちのせいで「日本が警戒」したことを隠したまま、「日本が軍国主義化した」としその国民は言論統制があるためそう信じざるをえませんが、これがまさにフェイク・ニュースそのものでした。

この「社会諷刺がなくなる」傾向は日本の社会システムの問題なのでしょうか。

例えば新聞記者の「サツ廻り」「番記者」などが社内的な出世階段の1つになっているようで、日本社会では「生涯記者」というのが存在しにくいのでしょう。

そのためでしょうが

何かの記者会見でも、「いい質問をするな」と思うことが少なく、どうしても「まだ決まっていない」ことに関するくだらない質問をして「それらを含めて今後検討してまいりたい」というどうでもいいような回答を引き出すことが多すぎるような気がします。

これでは「質問した意味」「回答した意味」がほとんどないと思うのです。

それは「質問が悪すぎるから」に尽きると思うのですが

どんな場所(そこにも価値の度合いを決めているのでしょう)で何回質問したか、それによってどのような回答を引き出したか、などが社内考査に使われるに及んで、ますますその度合いが強まりました。

これでは「風刺ある質問」など生まれるはずがありません。

生涯記者」には、もう少し余裕がありそうですね。 


この弊害をなくせる「はず」なのがインターネットでしたが・・・・・・

  • そのネット社会が無法状態になり
  • フェイク・ニュースが飛びかう「いびつな自由空間」

となりました。そのおかげかも知れませんが・・・・・・

  • 既存のメディアが流し続けてきた情報をあらためて考えると、本当らしく見えるものの、どこかでその報道社の「バイアスがかかったニュース」「何らかの解釈や判断が加わったニュース」になっているかも知れないことに、気がついている人がいます。
  • 皮肉なことですが、怪しげなインターネット上のフェイク・ニュースのおかげで、今までの通常新聞社の偏向さえわかってくたのですね。
  • やはり最終的には、無難な説かも知れませんが、「自分がどう考えるかで決まる」のではないか、と思い始めております。

もっとも私たち日本人は、そうとう昔から

中国・朝鮮半島が発するフェイク・ニュースに慣れていましたが、残念なことにそういった「ニセ情報を真実だと信じている日本人がいた」のでした(笑)。

さてさて、皆様はどう思われますか。


TBS「落語研究会」の長岡杏子

2017年04月23日 04時21分45秒 | 笑い

BSーTBS で月に何回か放送されている落語研究会。

いまの解説(右手)は京須偕充、聞き手(左手)は長岡杏子。

昨日(2017/04/22)の春風亭一朝「大工調べ」(約40分)を視聴しました。

この噺のサゲが、もう死語となってしまった諺なので、なかなか分りにくいものです。そこを今回の春風亭一朝は

奉行:さすが、大工は棟梁   (細工はりゅうりゅう)
棟梁:へえ、 調べをごろうじろ仕上げをごろうじろ)

と「正しくサゲを使っている」ので安心しました。かっこ「( )」内は皆が知っているはずの諺で、それをもじったのが網かけ部分でした。

説明など蛇足に過ぎませんが(下線部分)

  • 奉行が、「大工(だいく)」を「細工(さいく)」に
  • 棟梁も、奉行による「調べ(しらべ)」を「仕上げ(しあげ)」に

ひっかけています。

まあこうしたことが「落語の敷居が高い」とされるゆえんですが

「言葉の深み」を増すために、ある程度はやむを得ないのでしょう。

これに限らず、聞き手に間(ま)を与えられるのがだいたい60歳以上の落語家なんでしょう。もちろん落語家によってこの年齢「60」は前後します。

落語家も、かなり若いうちは、覚えた噺をそのまましゃべられるかだけに頭が回り、やがて決められた時間内に治めることに縛られ、さらに経験を積むと視聴者の反応を気にするようになり、最終的には初めて視聴者に間(ま)を与えられるようになります。

年配の視聴者になると知識がめっぽう増えてくるもので経験の中から検索する時間(ほんの1秒くらい?)間(ま)だとも言え演者側も相当の経験を経ないと、この「考える間(ま)」を視聴者に与えることはできないでしょう。

視聴側も、若いうちには「瞬発性を重んじる」漫才などの笑いに興じ、ある程度の年齢になり「知識が増えてくる」と落語に関心が移る、それが人生なのかも知れません。

ただし私など20歳前後から落語に関心をもっていた「異端者?」でしたが・・・・・・。←とはいえ私が若い頃から経験豊富だったと言いたいのではありませんよ(笑)。 


ところで

当ブログ 長岡杏子の「ギロリ」(2016年12月26日) でも述べましたが

長岡が 右目でギロっと 見るカンペ 

長岡の悪いクセは、まだ治っていないようです。

どうでもいいことですが、せっかくの落語ブームらしいので、それに水をかけることがないよう「このギロリ部分のみ」を放送しないように編集することをTBSに再度、おねげーしますだ(笑)。 


落語研究会については次のような参考サイトもあります。

落語研究会(TBS)

ツイート(TBS)

TBS落語研究会 

また『大工調べ』のサゲについての一説はこちら

さてさて、皆様はどう思われますか。


楽しい冗談

2016年11月02日 03時44分49秒 | 笑い

JOKE AVENUE」を元に

私なりに展開してみました。ほとんどそのまま引用しているものもありますが・・・・・・。

言われたほうも、かっかするのではなく、楽しむ余裕がほしいですね。

世界で「足りない」ものとは 

  • 米国の庶民・・・・・・・・・・まだまだ銃が足りない
  • 中国の超富裕層・・・・・・まだまだ富が足りない
  • 日本のサラリーマン・・まだまだ減税が足りない
  • フランスの労働者・・・・まだまだ休暇が足りない
  • ギリシャの退職者・・・・まだまだ年金が足りない
  • アメリカの弁護士・・・・まだまだ訴訟が足りない
  • 韓国の庶民・・・・・・・・・・まだまだニンニクが足りない
  • 米国大統領候補・・・・・・まだまだ国境の壁が足りない
  • 北アフリカの難民・・・・まだまだ移民受け入れが足りない
  • フィリピンの大統領・・まだまだ犯罪人の虐殺が足りない
  • 北朝鮮の最高指導者・・まだまだ核実験の燃料が足りない
  • 豪州の為政者・・・・・・・・まだまだ中国からの投資が足りない
  • 韓国大統領・・・・・・・・・・まだまだ日本政府の謝罪が足りない

意外ですが「豊富に見えるのに、不足感が生じる」のでした。人間の欲望は限りないので、こんな楽しい冗談が生まれます。

まだまだ、にっぽんには、た~くさん土地があります。そこで日本列島改造論です、そうでしょ、そうでしょ。(田中角栄

国境近くで北朝鮮警備兵たちの会話 

  • 上官「中国へ脱北するヤツを見つけたら、背後から発砲しろ。」 
  • 下官「了解しました。では我が国へ入るヤツは?」
  • 上官「そんな場合、お前の目か脳が異常だ。すぐ病院へ。」

ある社会主義国での会話

  • 教官 「資本主義国とは、何か」
  • 受講者「もはや断崖絶壁にある社会制度であります」
  • 教官 「では我が社会主義国とは、何か」
  • 受講者「資本主義国より一歩進んだ制度であります」

社会主義は、一歩進んでおり、断崖絶壁から転落か?

ソ連での会話

  • スターリン 「おいフルシチョフ、私の時計を知らないか?」
  • フルシチョフ「すぐに探し出しますスターリン同志。」

次の日のこと。

  • スターリン 「昨日はすまん。時計は家にあった。」
  • フルシチョフ「手遅れです同志。既に5名逮捕し、全員が自白しました。」

でっち上げで逮捕し、拷問で自白させれば、立派に役目を果たしたことになる非法治国家が、いまでもなお、アジア各地でみられます。

毛沢東がルクセンブルクを訪れた

  • 毛沢東 「どうして小さな国にそんなポストがあるのですか?」
  • 国防長官「何をおっしゃる。あなたの国にも裁判所が!」

もちろんこれは形式程度に裁判所を置いているけれども、すべて中国共産党の支配下にあり、独立してはおらず「飾り」に過ぎないことを皮肉っていますね(笑)。

ロシアのラジオ番組「子供の疑問に答える」で質問があった。

  • 子供    「ニワトリとタマゴはどちらが先ですか?」

沈黙のあと

  • アナウンサー「昔は、どちらもありましたよ。」

ソビエトの収容所での会話

三人の元労働者が、なぜ逮捕されたのかを話していた。

  • 「俺は一分遅れただけでぶち込まれた。職務怠慢で。」
  • 「俺なんか一分早かったんでぶち込まれた。スパイ容疑で。」
  • 「俺なんか時間きっかりに着いてぶち込まれた。西側製の時計を持っている容疑で。」

1分遅れても、1分速くても、ちょうどであっても、命令に従わないヤツを逮捕する根拠など、いくらでも「編み出せる」のです。こんな「創造力」を他の分野で活かせる社会制度ならばいいのですが、それは叶わぬ夢というものですか(笑)。

ソ連での講話

「偉大なるスターリン同志は8歳で現在と同等の知能を身に付けておられた」

「今もなお8歳の知能のままで、それ以上に成長していない」という意味ですか?

そんな人、あなたの周辺にいませんか。いなければ幸せですが・・・・・・(笑)。

ロシアでの意識調査

  • 責任者 「国民は、楽観派と悲観派にわかれました。」
  • プーチン「楽観派はどう言っている?」
  • 責任者 「国民はいずれ糞を食べるだろうと予想しています。」
  • プーチン「では、悲観派は?」
  • 責任者 「糞が国全体にいき渡らないのではと心配しています。」

いつも配給で食いつなぐ国を揶揄しています。クリミア半島の武力併合で経済制裁され続けても、国家ぐるみの薬物隠蔽工作を暴露されても、一党独裁はやめられません。これはもうビョーキなのかも知れませんね。

ここで「何かを食べないと糞さえ出ないのでは?」という几帳面な疑問があろうかと思われ、確かにおもしろいのですが、ここではコメントを略させていただきます(笑)。 

中国での話

天安門で「習近平はバカだ」と叫びながら走っていた男が逮捕されます。「裁判」の結果、18年の懲役刑が確定しました。

刑期18年の内訳は

  • 3年は名誉毀損
  • 6年は国家転覆罪
  • 9年は国家機密漏えい罪 

でした。

習近平はバカだ」というのは、名誉を損ねており、国家を転覆させる行動であり、そしてまたなんと国家機密だったのです!

さてさて、皆様はどう思われますか。


うらみ節?

2016年07月26日 07時58分39秒 | 笑い

「どうしてくれる」、と言われても、素直に「すみません」とは言えませんが、「飲めと言われて、素直に飲んだ」とも言います(笑)。

さて今回は、ぐっと趣を変えて「恨み節」を集めてみました! 


こんな私に誰がした

少し前のテレビドラマでしたが、内容は別として、この題名だけは覚えている、という人もいらっしゃるでしょう。

題名だけで言えば

  • いつも「自分には責任がない」、悪いのは「ほかの人たち」。
  • そんな人がいますね。ワタシは「ウソ偽り」なく「正しく」振る舞ったのであり、そんなワタシを巧みに利用した、「ほかの人たち」が憎い。
  • 確かに「そのときは、そう思った」のでしょうが、一貫性がないと、こんな言い訳を続けることになります。
  • うぬぼれ、自己陶酔、視野狭窄症(しやきょうさくしょう)、被害者ぶる人、がこれに該当します。

もしその人にそれほど大きな問題がないなら、使われている言語体系そのものに構造的な欠陥があるのでは、と疑うこともできます。

もとの十九にしておくれ

いまさら離縁というならば もとの十九にしておくれ

元々は沖縄の歌曲ですが、田端義夫などが歌ってました。実にこっけいな歌詞ですね!

矢切の渡し(やぎりのわたし)

つれて、逃げてよ~ でお馴染みです。

私は最初、耳でこの曲名を聞いたとき、てっきり「夜霧(やぎり)の私」だと思ってました。「夜霧(よぎり)よ今夜もありがとう」が念頭にあったのでしょうか。

笑って許して

歌手は和田アキ子、作詞がその悪友、いや阿久悠(あくゆう)でした。

ムチャクチャなことを言っておきながら「笑って許して」とのたまう人を、あなたは許すことができますか(笑)。

うらみ・ます

中島みゆきの、こわ~い歌も、ご紹介しておきます。

あなた死んでもいいですか

都はるみ「北の宿から」の3番歌詞も、こわ~いですね。 


無数にある怨霊(おんりょう)節は、平安末期のみならず現代にもしっかり根付いているようです。お~こゎ!

怨霊については、別途、当ブログにて取りあげます。


桂塩鯛

2016年05月23日 15時45分25秒 | 笑い

石垣市民会館の「桂塩鯛独演会」で笑ってきました。

この落語会は、毎年今ごろ開催され、かれこれ10回目になるそうで、当初は桃林寺(とうりんじ)でやっていたとのこと。

私は京都の妙心寺へ行ったことがありますが、桂塩鯛(旧芸名:桂都丸)はその近くで生まれたようで、石垣島にある妙心寺(みょうしんじ)派の桃林寺が縁で、長く落語会を続けてきたのだと思われます。

同じ「1979年生まれ」の「たいぞう」と、妙心寺に関連した「たいぞう」と、おもしろいですね(笑)。♪「おもしろい」 そう思うのは あんただけ♪

桂米朝ー桂ざこばー桂塩鯛ー桂鯛蔵

という師弟関係で、去年2015年に亡くなった米朝からすれば桂鯛蔵はひ孫弟子にあたります。 

さすがに今年は桂塩鯛の口から

  • 大師匠桂米朝が「重要無形文化財保持者=人間国宝」
  • 師匠桂ざこばが「重要参考人」

というギャグは出ませんでしたが、塩鯛・鯛蔵の次の3つの噺で楽しみました。

■桂鯛蔵「二人ぐせ(ににんぐせ)」←関東では「のめる

キャッチフレーズ「草食系より大阪府警」などのマクラを経て、なくて七癖「つまらない・のめる」のお話。

■桂塩鯛「青菜

「ああ植木屋さん」でおなじみの「そっくり真似をして失敗」のお話。

■桂塩鯛「壷算

これまたおなじみの「1荷入り(いっかいり)の壺・2荷入り(にかいり)の壺」の珍値段交渉のお話。

今回の演目は、すべてよく知っているものばかりですが、1つの噺で30分~40分もあるため、マクラがいつも時事ネタ・新しい話題で、こちらのほうが楽しいですね。


桂歌丸「笑点」司会から引退

2016年05月06日 01時06分43秒 | 笑い

桂歌丸〔1936- 〕が「笑点の司会」から引退したようです。

「笑点」には、1966年の第1回目からほとんど毎回メンバーとして出演し続け、2005年からは休演した五代目三遊亭円楽〔1932-2009〕に代って司会者となり、その後何回か病欠したあと2016年4月で50年(笑点も50周年)出演した今年2016年4月には、メンバーからはもちろんのこと、司会からも、引退することになりました。

AKB風に言うなら「笑点を卒業」したのでしょうか(笑)。

まんたんウェブ 2016年4月30日2016年05月02日によれば、桂歌丸は

  1. 落語は今後も続け
  2. 笑点の司会は引退するが「終身名誉司会」としてかかわってゆくとのことです。
黒柳徹子〔1933- 〕や桂歌丸〔1936- 〕、事情が異なる長嶋茂雄〔1936- 〕も
  • しゃべり方がおぼつかなくなっています。
  • 一方、福岡県大牟田市の「大牟田市動物園」では、老いたカンガルーの介護姿(立ち上がらせるなど)を、「老人ホーム」ならぬ「老カンホーム」という名で、来園する人に「自然」な姿を公開し「勇気」を与えているようです。
  • 上の3人はそこまでいっていない人たちです。可能な範囲でテレビに出演する姿が、きっと視聴する人に「勇気」を与え続けているのでしょう。
しかし読売は「終身名誉」が好きですね。
もともとは長嶋茂雄の「終身名誉監督」に始まり、当ブログ「まだいた渡辺恒雄」では、渡辺恒雄が賭博不祥事で辞任したものの、やがて「終身名誉最高顧問」で復活するだろうと予言しています。
  • 終身名誉監督      長嶋茂雄〔1936- 〕
  • 終身名誉司会   桂歌丸  〔1936- 〕
  • 終身名誉最高顧問?渡辺恒雄〔1926- 〕
みんな、怪しげな肩書きですね(笑)。

最後に似た名前を・・・・・・
喜多川歌麿〔きたがわ・うたまろ 1753-1806〕「うたまる」とも。
桂歌丸〔かつら・うたまる 1936- 〕
  • 昭和から平成の落語家、2016年4月に笑点の司会者を降りた。
  • Wikipedia  

川柳ブーム

2016年04月26日 06時55分12秒 | 笑い

「川柳〔せんりゅう〕」ブームらしいですね。

かつて漫才一世を風靡〔いっせいをふうび〕していたころ

私は、当時あまり流行っていなかった「落語」に軽く興味をもち始めました。今でも「軽く」には違いありませんが、そのチリも積もり積もって「小山」になってきたようです(笑)。

当時人気の漫才ならば、誰でも簡単に触れることができたのですが、人気がない落語の場合、相当努力をしなければ触れることさえできない状態でした。

例えば寄席が終わって客が帰ってからの「落語会」などで、もちろん帰りは相当遅くなってしまいますが、入場料金は相当安く当時50円ほど、今の価格だと500円程度でしょうか。

ただし1~2時間という限られた時間が、若手の修行の場所になっていたのでしょうが、今おもいかえすと、その方が良かったのかも知れませんね。寄席だと同じ若手の修行の場でありながら1人あたり10分~15分とはいえ、昼から一日中拘束される上に、そこそこの料金をとられるのですから。

私が「ドツキ漫才」はもちろんのこと「しゃべくり漫才」にも懐疑的だったにもかかわらず、なぜか漫才ブームはその後、長く続きました。

その漫才ですが

最近では多彩な才能をもった人が、まず漫才師としてデビューし、その後に各種の才能を発揮して、いろいろな分野で活躍し始めているようです。それも、引き続いて漫才を続ける人やら、ほとんど漫才から足を洗って新しい分野で活躍する人など、多彩です。

つまり漫才をデビューの「登竜門」と考え、その後、漫才を土台として次なる高みへ踏み出す人が増えてきたのでしょうか。

落語家も同じですが、結構うるさい師弟関係や修行の慣行もある分、しっかりした人も多く一定の年齢以上になると、通常は漫才師より信頼性が高くなるようです。

近年の川柳について

結構なブームなんですが、多くの作品に自虐」的な傾向が見られるのが、やや気になるというところ。自虐ネタがあってもいいとは思いますが、自虐でなければいけないとなると、これはやや心配になってきます。他人を批判することに慎重なあまり自虐に走る、のが唯一の方向なら、これはまずい。

むしろ他虐」的な社会諷刺にこそ川柳の原点があります。

自虐ネタがその時代を象徴しているという価値はあるでしょうが、原点を忘れないようにしたいものです。

とはいえ私は、川柳が何を語ろうとも

日本語の基本的な「五七五」形式を守っていて、「字余り」はあくまでも例外であるのに好感をもっています。

「川柳」には直接の関係がありませんが

落語家とされているらしい故三遊亭円生門下の川柳川柳(かわやなぎ・せんりゅう:1931- )なる人物がいます。寄席で軍歌を歌っているらしく80歳を超えても元気で声が大きくハキハキしているのはいいとはしても、拍手を要求するなどの芸風から私は、落語家ではなく漫談家と位置付けています。それでいいんです、漫談風でも。故立川談志も、けっしてマトモな落語家ではありませんでしたね(笑)。

一方、昔からあるのが「俳句」

私も、それほど興味はありませんでしたが、その歴史を知ろうとしたことなら、あります。

文学としての俳句の歴史はおもしろいのですが、成立後やがて、五七五の形式から逸脱し始め、それが「前衛的」「本来の姿」とするのがどうも引っかかり、作為的な季語にも違和感があり、あまりのめり込まなかったようです。

また短すぎて説明がないと意味がわからない、という欠点もあります。

いや説明など不要な秀作もある、という人もいらっしゃいますが、そんな秀作でも、「説明があるからこそ、説明がなくてもいいように思うのでしょう(笑)。

「世界一短い文学」だとして英語などの外国語でも俳句が流行ったものでしたが、はいお好きにどうぞ、という程度です。 

さらにさかのぼると、連歌とか和歌という分野がありました。

こちらは五七五ではなく、さらに長い五七五七七が基本になっています。

俳句の場合、誰がどこで、どういう状況で読んだかを聞かないと、なかなかわかりにくいことが多いのですが、こちらは長いのでそんなことはないだろう、と思うのが普通です。

ところが実際にはそうでないことも多く、和歌では使用する言葉が古くなってしまい説明されないとわからないことが多いと同時に、「詞書き(ことばがき)」を知らないとその意味がさっぱりわからないこともありますし、場合によっては、詞書きを読んでも意味がまったくわからないことも(笑)。前提となる「作者についての知識」がないと、わからないことがあるのでした。

和歌の場合、無数の作品が残っていて、玉石混淆(ぎょくせきこんこう)というところ。少しかじった方ならよくお分かりでしょうが、著名な歌集(勅撰和歌集ほか)でも、ピンとこない歌がほとんどです。

庶民の和歌がほとんどないのも気になります。また時代が経過すると、当時の「常識」やら「時代背景」を知らないと、なぜ「秀歌」なのかさえわからないこともあります。

これは、歴史をありのままに知ることの大切さを示しています。どこかの国に見られるように「現在の視点だけ」で歴史を判断することの愚を戒めていますね。

客観性の意味さえわからないようでは、先学を知ることができないのでした。

不遡及(ふそきゅう)の原則、といえばどこの国を指しているか、もうお分かりですね(笑)。

和歌によって、何百年も前の庶民の姿がさっぱり見えなくても、当時の貴族の生活が微かに伝わってくるだけで貴重だとも言えます。もしこれがなければ、過去のことが何も分らなくなってしまっていた、とさえ思われます。

室町時代やもっと古い平安時代の建築も各地に残っていますが、しょせんは金持ち階級だけの名残だろうという声もあります

しかし当時の庶民の建築などまず残っておらず、いま残っている再建も含めた建築物から、かすかではありますが当時の貴族階級の様子が伝わってくることだけでも、貴重だと思うのです。

個人的なことになりますが、文芸書で所有しているのは山家集・記紀・聖書の解説書など、またネット上で公開されている勅撰歌集など40以上を保管しており、その他の膨大な情報(60万行/50MB 以上)とともに、いつでも検索できる状態です。

これがあるから、当ブログが成り立っているとも言えます(笑)。

そうですね

どうしても前提知識が必要な歌舞伎・オペラ・和歌・俳句とちがい、川柳や落語では何の前提も必要なく、誰でも気軽に聞け、しかも中にはいろいろ考えさせられるのもみられ、受け手によって様々な面を見せる多様性が好ましいと思われます。

思いついた「川柳」のサイトをご紹介しておきます。

いつも言っていることですが、ご紹介したからと言って、私がそこを全面的に支持しているというわけではありませんので、ご了解下さい。

 


古典落語「たちぎれ(たちきり)」

2015年11月01日 06時50分46秒 | 笑い

先日2015/10/24放送のテレビBS-TBS落語研究会で

「たちきり」を視聴しました。これは月に1回程度の放送で、すべて東京三宅坂の国立劇場(小劇場)で収録したものです。

この噺「たちきり(たち切れ)」は

もともと上方の話らしく、古く江戸にも伝わりいろいろな人が演じたようです。

桂米朝が、その昔「上方」落語が「どかた」落語と読まれたという笑い話を紹介したことがありましたが、幕末ブームの今ならさしずめ「ひじかた」落語でしょうか。

ただし「どかた」そのものが差別用語となり死語になったため、「そんなものか」程度で終わりそうで、隔世の感があります。

私はこの噺「たちぎれ線香」を

その桂米朝〔1925-2015/03/19〕の落語で、そうとう前に聞いています。多分桂米朝50歳台の頃の音源でしたが、米朝夫人がこの話に惚れ込んで、ついでに米朝に惚れ込んだ、とも聞いています。

CDからmp3音源に落として何回も聞いており、多くの場面で次のセリフさえ出てくるほど、覚えてしまいました。

評論家と称する人たちが

「上方落語の滑稽噺」、「江戸落語の人情噺」、と言いたがりますが、どうもひっかかります。

上方には人形浄瑠璃や歌舞伎でたっぷりと人情噺があり、江戸落語にさえ「物事を知らないよたろうを馬鹿にする滑稽噺も多い」からで、あまりレッテルを貼りすぎるのもどうか、と思うのです。

「日本三大~」、というと覚えやすい一面がありますが、4番目にしたら「うちが入るべきだ」と不満があるもの。あくまでも参考程度と考えるのがよろしいようで。

正確には「~の面での上位3つは」ならいいでしょう。ただしそれさえ毎年変わるものもあれば、10年くらいは続くのもあり、厳密さを尊ぶ人なら注意したいもの。

三大なんとかといえば、

    • 三大松原
    • 三大温泉
    • 三大桜
    • 三景(天橋立・松島・宮島)
    • 三名園
    • 三大祭(祇園祭・天神祭・神田祭)
    • 三大和牛
    • 三大そば
    • 三大うどん(讃岐・稲庭・五島)
    • 三大随筆(枕草子・方丈記・徒然草)
    • 三英傑(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康)
    • 江戸三大飢饉(享保・天明・天保)
    • 三大遊郭(京の島原・江戸の吉原・大坂の新町) 

ほら、レッテルを貼ってますね(笑)。4番目がかわいそうだとは思わないのでしょうか(笑)。

題名も、上方と江戸ではやや異なり

  • 上方落語では、「たちぎれ」「たちぎれ線香
  • 江戸落語では、「たちきり

お茶屋の約束事で「線香の燃え方でおおよその時間を決めていた」と考えられます。

  • 上方の「たちぎれ」のほうは「たちぎれる」という自動詞ですから、線香が自然に燃え尽き、その結果として自然に小糸(小雪)が演奏を中止したので、しきたりに沿ったやむを得ない結果だ、という印象を残します。
  • 一方、江戸の「たちきり」は「たちきる」という目的語をともなう他動詞ですから、自分の意志で小雪(小糸)が三味線の演奏を中止した、自分の意識を強調した題名表現だ、という印象を残します。

噺のサゲ(おち)で小雪(小糸)が弾く三味線の演奏が止まったところを

  • 桂米朝は「お線香が、ちょうど、たちきりました」
  • 林家正蔵は「お線香が、たちきりました」

と同じですが、演目名だけ「たちき(ぎ)れ線香(上方)」と「たちきり(江戸)」と異なるのが、おもしろいですね。

言い替えると「お線香」を主語とするならば

  • サゲ(落ち)では、お線香が燃え尽きて三味線の演奏をさえぎった、とする意味で、上方江戸とも共通していますが
  • 題名では、自然に線香が燃え尽きたので「たち切れ」とする上方と、線香が燃え尽きたため奏者が演奏を「たちきった」ので「たちきり」とする江戸

どちらも正しいのでしょう。

先日聞いたのは、

9代目林家正蔵の「たちきり」で、深夜ですから録画でしたが、いやな予感がしました。つまり「正蔵にはまだ無理だろう」というものでした。

9代目林家正蔵は、林家三平の息子で、真打になった(1988年)あと相当の期間を経て正蔵を継いだ(2005年)のですが、この時でさえ違和感をもった人も多かったでしょう。

林家三平(初代)

(姉)海老名美どり・・・・夫が峰竜太
(当)林家正蔵(9代目 1962- )・・・・旧名:林家こぶ平
(弟)林家三平(2代目 1970- )・・・・旧名: いっ平

そうか

こぶ平(いや正蔵)も、今年(2015年)もう53歳か。あの桂米朝も同じ50歳台で「たちぎれ線香」をやっていたのですから、やっても不思議ではないのですね。

いやな予感もしましたが、なんとか録画を見ました。

登場人物の固有名詞・地名は江戸風に書き換えられていましたが、桂米朝の「たちぎれ線香」そっくりだったのに驚きます。ただしこういう感想も米朝を聞きこなしていたから言えることでした。

ひょっとしたら米朝にも誰かの影響が残っているのかも知れず、落語とはそういう伝統の芸能でした。その意味では、これから自分の味を出すようになる正蔵なのでしょう。

林家正蔵は

生前の桂米朝から直接、あるいは米朝の弟子から間接的に、教わったのでしょうか。

   桂米朝(上方)  林家正蔵(江戸)
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演者 3代目桂米朝   9代目林家正蔵
題名 たちぎれ線香   たちきり
芸妓 小糸(こいと)  小雪(こゆき)
置屋 ミナミ「紀の庄」 柳橋の「わけたまき」
曲名 地歌「雪」    一中節「紙治(かみじ)」 

この噺は

桂米朝(故人)→桂吉朝(故人)→鈴々舎馬桜(ばおう)→9代目林家正蔵

と伝わったともされています。

この9代目林家正蔵の「たちきり」には、

賛否両論あるようで、正蔵には荷が重すぎる、とされます。

たしかに米朝と比較されたら、だれでも「無理」でしょうが、50歳を超えた正蔵が成長を目指して挑戦していると見るならば、誰にも非難する権利があるとはいえ、粋に感じそれもいいかな、と思う次第です。70歳の正蔵の姿を目に浮かべている昨今です。

なによりも、落語なんかに眼も向けなかった人、多くは30~40歳台の人が、これをきっかけに古典落語を聞くようになるならば、正蔵はきっかけを与えた功労者だと言えます。

噺家が若い頃

このネタをやろうとして師匠から止められることがあったと聞いています。それほどの大ネタですが、50歳を過ぎた正蔵が演じるのは、ごく自然なことなのです。

先日ラグビーWCで

日本が3勝をあげたという「奇跡」があり、「にわかラグビーファン」が増えたようですね。もちろんブームが去れば元に戻りますが、その中にも、ルールや得点の仕組みが分ってきて、本当にラグビーが好きになる人も出て来るでしょう。それでいいと思うのです。サッカーや野球でも、みな似たようなきっかけがあるものです。

ある人は若い頃の長嶋の姿を見て野球に目覚めたでしょうし、次の世代ではダルビッシュにきっかけをもらった人もいるでしょうし、現在ではヤクルトの山田の影響をもろに受けた小中学生もいることでしょう。

9代目林家正蔵が、これらと同じ影響を与えているかも知れないのです。

私も1~2年前に

寄席で、林家正蔵の落語を聞きました。

テレビでは言えない楽屋裏の話で笑いを取っているようでしたが、もちろん落語そのものにはまだ不備がありましたし、落語というより漫談に近かったかも知れません。

しかしそういうタレント性がある正蔵が、10分~15分しかない寄席での経験を積みながら、テレビ収録の会で、長時間にわたる古典落語の大ネタに取り組む姿をみて、私は好感をもっていす。

まぁ、お「通(つう)」さんが宮本武蔵から遠ざけられたように、落語の通としては、若手の落語家からは遠ざけられる運命にあるようです。

これが通としての矜恃〔きょうじ〕なのかも知れず、若手の芸人を「まだまだだ」と見下さなければなりせん。

私の見るところ

9代目林家正蔵は少なくとも、6代目三遊亭圓生の弟子である川柳川柳(かわやなぎせんりゅう)よりは、ずっとずっとマシです。


AKB調べ

2015年04月01日 04時26分41秒 | 笑い

既に放送終了したテレビ番組「AKB調べ」〔フジTV系列 2014年10月-2015年3月

ほとんど見たことがありませんが、偶然見たのが「怒らないランキング」でした(笑)。

通常はシャキシャキして利発そうな人間に飛びつき、これを落とすことで視聴率を稼ぐのが番組制作者の常ですが、ネタに困ったのか「怒らないランキング」とは、ひねっていて、なかなかおもしろいですね。

集計結果は次のような順位になっているとのこと。

  1. 古川愛李
  2. 淵上舞
  3. 上枝恵美加(かみえだえみか)
  4. 柏木由紀
  5. 中田ちさと
  6. 森保まどか(もりやす)
  7. 鈴木まりや

AKBメンバーに聞いた意見を集計したらしい・・・・

どういう母集団なのかなど不明点が多く、信頼性があるとは言えませんが、参考程度に受け取る限り、これでいいのかも知れません(笑)。

昔から流行っている「ドッキリカメラ」系の「本当に怒らないか」実験もやっていました。

印象に残ったのは

  • 4位に入った柏木由紀で、後輩が「ドッキリ」で突然後ろから髪の毛をぐるぐるいじくった時、本人は驚いたものの笑顔を絶やさず決して怒らなかったといいます。それはそれで立派なことですね。
  • 内容に関係がありませんが、3位の上枝恵美加は、上から読んでも下から読んでも同じ回文名「」でした。武藤十夢(むとうとむ)など、この手に興味のある方はこちらをどうぞ。

 


桂米朝の想い出

2015年03月26日 08時45分42秒 | 笑い

桂米朝〔1925/11/06-2015/03/19〕が亡くなったことについては

  • 2015/03/20付けの当ブログ記事「桂米朝、逝く」で書きました。
  • 戦後になって、戦前の上方落語家の多くが亡くなり、上方落語は消えてしまった、とされました。戦時中の混乱により、やり手と受け手の両方の事情から、芸の伝承が困難になったということでしょう。
  • 下で引用する話によれば、大阪特有の商売の影響もあったといいます。
  • 上方落語が消えかかっていた時代に、松鶴・米朝・春團治・文枝(かつての桂三枝ではない)などが、いまでは想像できないほど苦労して復興に尽したのであり、そういう事情は、知っておいたほうがいいと思われます。

「寄席」というのは

毎日興行している東京や大阪の席亭のことで、だいたい今では月を3回に分けて10日毎に内容を変え、毎日落語・漫才・奇術などを10分~15分程度の短い周期で繰り返しています。大ネタは聞けない場所でしたが、昔はこういうところでしか落語を聞けなかったものです。

今では、ホール落語というのが当たり前になっていますが、これの元祖はやはり桂米朝だったようです。亡びかけた上方落語を復活させるには、全国を回らなければならず、そういう実力と自信を兼ね備えていたのです。

立川談志〔1936-2011〕の場合も、師匠である柳家小さんと衝突して落語協会を脱退したため都内の寄席へ出演できなくなり、全国でホール落語をしてきました。いいことなら桂米朝〔1925-2015〕のマネも悪くありませんが、談志の根性はそうとう悪かった(笑)。

談志は、米朝よりも遅く生まれ、米朝よりも早く亡くなりました。

桂米朝の声色(こわいろ)もピカイチで表情も豊か、登場人物が多い噺には最適ですし、その上、話がおもしろい。さらに学者肌の米朝のおかげで消えかかっていた話を復活させたのですから、現在の上方落語の隆盛の一番の功労者は桂米朝だ、と断言していいでしょう。

何よりも桂米朝が上方落語の「品の良さ」を日本全国に広めた功績は、筆舌に尽しがたいと言えます。

笑福亭松鶴の落語が大阪の庶民の姿をそのまま表現したからと言って、「上方落語の品性を落とした」わけではありませんが、松鶴の落語のままでは全国に通用しなかった、とは言えるでしょう。落語家には、それぞれに偉大な価値があるのと同様に、その人ならではの「持ち分」もまたある、これを忘れてはいけないようです。

今回は、かなり古い時代、昭和51年(1976年)に発行された角川文庫「古典落語10上方ばなし」からの引用です。

11話が収められたこの本には、当時51歳の桂米朝落語「地獄八景」「皿屋敷」の2本が、活字として収められています。

この本の最後に「解説」として藤井宗哲がまとめているので、これから抜粋してご紹介することにします。

なにしろ40年も前の古い文庫本で、開いてみると、文字が印刷された部分は黄色っぽくなってはいるものの白い部分が多くて読めますが、周辺部分はみごとなワイン色に変色しています。よくぞこんな本を破棄せずに保存したものだと、われながら感心しているところですが、そのおかげで、ここでこうして引用でき、皆様にお伝えすることができるのでした。

なお僧侶にして演芸評論家・料理研究家の藤井宗哲〔1941-2006〕については、こちら1 こちら2 などをご参照下さい。

では、どうぞ。 


 解説 

「落語」と言えば、つい最近、3、4年前まで大方の人が思い浮べ、また問われて返ってくる答が、志ん生、文楽、門生、小さんであり、志ん朝、談志、円楽の若手の名前がためらうことなくあげられ、「てやんでえ」「べらんめえ」に代表される歯切れのいい言葉で描き出される長屋もの、武家もの、廓ものの演題をすらすらっとならべてくれるぐらい、東京もしくは江戸のくらしをテ一々にした作品が落語であると思われていた。因みに京・大阪のくらしをテーマにしたはなしは? はなし家は? と質問しても、東京のそれのようなわけにはいかなかった。

そんな工合だから、上方落語は、東京落語と同等な評価すら多くの人の間で受けていなかったようである。その一例として次の2人の対談は印象深い。

江国「そういえば、米朝さんがはじめて東京で独演会をひらいたときに、えゝと、あれはもう5、6年前のことでしたかね」 

米朝「昭和42年5月やったと思います。紀伊国屋ホールでひらいたじぶんでっしゃろ」 

江国「そうです、あのときに、プロデュースした矢野誠一君が、プレイガイドにポスター置きに行ったら、窓口のお嬢さんが・・・・ 

米朝「『桂米朝土方(どかた)落語会』」(笑)
     (中略)
江国「・・・・とにかく、プレイガイドの窓口嬢といえば、一応は興行の専門家ですよ。その専門家にドカタ落語会と読まれたくらいそれまでは影がうすかった」〔米朝上方熟語選 対談・落語・東と西」(立風書房)〕 

「その理由は・・・・やっぱり言葉の問題が大きく作用していたのでは……」ないか、と言った人が居たが、しかし、私は、いちがいに、それだけのことでなじみが薄かったとは言い切れないものがあるように思われる。 

新幹線に乗れば3時間で京・大阪へ着く。そしてテレビやラジオ等で喜劇や万歳(このことについては後で述べる)の、世にいうお笑い番組、古く近松や西鶴はこの際別にしても、夫婦善哉や山崎豊子等の一連の小説、その他の文学作品からおして、米朝さんのいう、京・大阪・神戸あたりまでを上方と呼ぶとするなら、他の2都はともかく、大阪のみについての、言葉なり、生活感情なりを、われわれはわずかながらでも予備知識として持っていたはずである。そしてまた、それらをなんとなく理解できてきたのではないだろうか。ところが……である。どうして落語のみが(少なくとも)東京の地において、つい最近まで、なじみが浅かったのか、と考えてみると(これはあくまで、私のみの思いつきのようなものかもしれないか)冒頭に書いたように、多くの人が落語と言えば、文楽であり、志ん生であり、誰某である、と、自分達が、直接耳で聴き、目で見、慣れ親しんだ人々の芸しか認めようとしなかったのか。これは東京人の一種保守的な感情・風土がそうさせてきたのではないだろうかと思うのだが・・・・・・。 

先述の米朝さん以外にも、戦前戦後を通じて名人上手と称された何人もの人が東京で演ったという。が、いつも、その演者の名前を見ただけで、東京の人は「『なんだ、聞いたことがないな』って、はじかれて」(前出の対談より)しまったようであったという。もちろんそれだけの理由で、なじみが薄いというのではないが。 

ここ数年来の上方落語は大盛況といってもいいすぎではない。東京を例にとっても、上方落語の師匠たちの演る会はほぼ満員の客数で、少なくとももう土方落語会などと読む人もいなくなったようである。まずは目出たいことである、といわなければなるまい。そして、聴く人々も東京落語にはない上方の味を楽しんでいる。 

先日も、上方ばなしの会で「住吉駕寵」を熱心に聴いていたある若い客が、「あれ、これは『くも駕寵』じゃないか」と、ささやきあっているのをそばで聞いていて、「そうなんですよ」とは、言わなかったが、現在、東京の高座にかけられている、俗にいう江戸落語と呼ばれている数多くの作品に、上方ダネと見間違うものがなんと多いことであるかと気付くであろう。しかし、決して偶然に同じような作品が、高座にかけられているのではない。まごうことなく、上方ばなしである。それを、東京風に焼きなおしたものなのである。 

上方の「貧乏花見」が「長屋の花見」であり、「逢いもどり」が「子はかすがい」「いらち車」が「反対車」、「書割盗人」が「だくだく」、「くやみ丁稚」が「胡椒のくやみ」、東京では有名な「たらちね」「野ざらし」などは「延陽伯」であり「骨つり」と、数え上げればきりがない。 

われわれが、上方落語を聴いていて、東京落語との大きな違いに気付くのは、はなしの途中で鳴る"お囃子"であろう。向うでは〝はめもの″といって、上方ばなしでほ絶対にかかせない重要な役割を果している。このはめものの効果は、・・・・主従は無礼講、その道中の陽気なこと、・・・・」(「野崎参り」)で〝はめもの″が入る。

それは、単にはなしの雰囲気を盛り上るだけではなく、「野崎参り」を例にとれば、参詣の大勢の人の歩くさまを表現し、時にはみごとに場面転換をさせている。同時にお囃子の強弱によって遠近感を如実に出してくれている。と、いや、そればかりではなく、 

江国「あのはめもので、はなしに奥行きが出てきますね。立体感が感じられるばかりでなく色彩まで目に見えるようです」

米朝「雰囲気がただよいますな」(前出の「米朝上方落語選」の対談より)

この〝はめもの〟は、おそらくは歌舞伎からの影響であろう。そしてこれによって、聴き手へ、より一層のイメージを強調するところなどは、上方人特有のサービス精神、親切のあらわれかも知れぬ。 

さきほど、上方落語が東京においてはなじみが薄いと書いた。と同じように、私が知ってからの戦後長い間、本場である上方においての位置も、決して評価されていたのではなかった。では、大阪も東京同様保守的であったか、ということになるが、もっと異ったところで、その価値を認められなかった。と、いった方がよい。 

戦後まもなく、それほど多くもなかった上方落語界の重鎮が相ついで亡くなった頃に、いま第一線で活躍している(その頃は東京でいう前座クラスだった)ある人などは、兄弟弟子と語りあって、「少なくとも、われわれの手で、身体で、人のやらない、めずらしい話を集めて次の世代へ残しておこう」と、発掘作業に時間を取られ、消化する時間が長かったことも一因である。いやそれだけではない。もっと大きな原因は、興行システムにもよるであろう。上方の笑いは、万歳に代表されるくらい、大阪の寄席(というよりも東京でいう小劇場に近い)のプログラムを見ると、万歳の上演本数が圧到的に多く、落語は、わずか2、3本しかプログラムに組まれてはいない。 

経営者にしてみれば「話芸の伝承よりも客の喜ぶもので」芸のよし悪しは別にして、商品としての価値のみを評価していたことにもよるのである。もっとも、経営する側からみれば、あたりまえすぎるぐらいあたりまえな経営方法ではあるが。 

聞くところによれば、このところ、上方落語協会のメンバーが、70人とも80人とも若手が増えてきたという。戦後間もなく先代松鶴、米団治、2代目染丸、先代春団治と相ついで亡くなり、昭和25、6年頃には、ついに「上方落語の灯は消えた」ときえ新聞に書かれたのを読んだことのある私には、現状を見ると信じられないくらいの盛況である。それだけではない。若手のはなし家の東上来演までも、多くの客を集めている。一昔前は落語といえば、〝東京落語″と確固たる世界が構築されており、上方落語は東京寄席の形態からみれば、単に〝色物″的存在でしかなかったことを思うと隔世の思いである。 

その陰に、本巻に収録されている各演者の「闇屋でもなんでもして、なんとか、次の世代に残そやないか」と語り合った、悲壮なまでの意気込みが今日をもたらしてくれたのである。私は戦後上方落語を思う時に、いつも中国の百丈禅師を思い浮かべる。

道場の裏の木一本もない禿山に毎日あきずに残飯残菜をまき、小鳥を集め、その糞が肥料となり全山を森林と化せた、というそのエピソードを。 

先日も米朝師と会った時にたまたまその話をしながら「いいことですね」と言うと、「なにがよいやらあくびやら」と西鶴流に酒落てはいたが(どうしてどうして、こうした中でも"一個半個の無位の真人"が出て来たことには間違いないのだから)、と思いながら、「ザッパクな言い方かも知れないがまずは僥倖のいたりです」と、答えたのを覚えている。 

藤井宗哲 

:P.287-293 解説「古典落語10上方ばなし」上方落語協会編 角川文庫 昭和51年9月29日3版発行 


引用文では

かつて関東では切符売り場の若い女性が「上方落語(かみがたらくご)」を土方落語(どかたらくご)」と読んだ、という爆笑思い出話が紹介されていますね。

これを聞くと、江戸末期の土方歳三〔ひじかたとしぞう 1835-1869〕を「どかたとしぞう」と読む人を思い出しますが、新撰組ブームがおこってからは少なくなったかも(笑)。

いや既に「土方(どかた)」という差別用語?が死語になっているので、笑う人も存在しないと思われますが・・・・(笑)。

落語そのものについて

かつて立川談志は「落語とは業(ごう)の肯定」と言って、多くの人(主に関東地域で)の賛同を得たようですが、私の見方はまったく異なります。

談志がわざわざ「業(ごう)の肯定」と称して喝采を浴びたという事実から、関東では「人間の業が否定されていた」事情を連想させます。表面的な元気良さを強調するため「業」は否定されていたのでしょう。

しかし、関東以外の地では「人間の業など想定内」だったのに比べると、関東の文化が、いわば世界の歴史で見る時のアメリカ文化と同じように、まだ若く未熟で成長段階にあったから、と言えるでしょうか。

それから興味あるのは「お囃子(おはやし)」のことです。

藤井宗哲は、「はなしの途中で鳴る」のをお囃子としています。たしかに上方落語では、噺の内容によって、途中で三味線を含む鐘太鼓が、賑やかに、あるいは、しんみりと、響いてくることがあります。

しかしこちらによれば、明治期には江戸落語でも出囃子は片しゃぎり〔鐘太鼓のみ〕だったのが、大正期以後になって江戸落語でも「(三味線入りの)出囃子」が取り入れられたようですから、

    • 噺家が出てくる時の出囃子
    • 噺の中で鳴らす「はめもの(はめ物)」

の音楽としての三味線入りのお囃子は、どうやら上方落語から入ってきたものだったようです。

どうやら私は、これの影響もあったのでしょうか。詳しく言えば

    1. 幼少時(非大阪の関西生まれ)、隣に三味線の師匠が住んでいて、近所の人が習いに来ていたらしく、ときおり三味線が響いていた記憶がある。
    2. NHKテレビの番組「シルクロード 絲綢之路(しちゅうのみち)」の関連で五弦琵琶を聞いた。
    3. 長じて上方落語を聞くようになり、出囃子や途中のはめ物で三味線に接した。
    4. その後、大阪で「地歌三味線(じうたしゃみせん)」を1年半ほど習った。
    5. その後、関東に移り住んで、落語の出囃子だけで三味線を聞くようになった。
    6. 旅人として1年に1回程度、石垣島へくるようになり、沖縄の三線音楽にも触れ始めた。
    7. そして池袋で、毎週1回の1年だけでしたが、沖縄の三線(さんしん)を習った。
    8. 今では石垣島に住んでいる。

こんな経歴でしたので、考えたら「普通の人間として」の程度ですが、三弦とは切っても切れないほどの関係があった、と言えますね。

 


そんな私の「寄席の落語観」

  • せいぜい15分と、短すぎるので、大ネタを期待することは無理
  • ただし若手の噺家にとっては絶好の修行の場所であり、ここで失敗したり成功したり、けっこう腕を磨ける場所だ
  • 落語ブームになり、なかなか寄席で座って聞けなくなった
  • 観客に「どしろうと」が多すぎ、大勢できてのぺちゃくちゃおしゃべりはうるさいやら、せんべいなどをポリポリ食べるやら、どうしようもない
  • 聞きたい落語家の出演日とこちらの都合のいい日が、なかなかあわないこと
だからこそ、30分~45分が期待されるテレビやラジオの落語に興味が移ってしまうのですね。録画録音しておけば、いつでも、自分の都合のいいときに視聴できるのですから(笑)。

桂米朝、逝く

2015年03月20日 14時43分16秒 | 笑い

桂米朝〔1925/11/06-2015/03/19〕が死去しました。

これで、私が最も高く評価してきた3人がすべて、この世から去ったのです。

その3人とは

  • 升田幸三〔ますだこうぞう 1918/09/25-1991/04/05〕将棋棋士
  • Bud Powell 〔バド・パウエル 1924/09/27-1966/03/19〕ピアノ演奏家
  • 桂米朝〔かつらべいちょう 1925/11/06-2015/03/19〕落語家

3人に共通していたのは「創造性

  • 升田幸三: とくに序盤でさえ他の誰も気付かない独自の創造性を発揮して将棋の奥深さを伝え、升田幸三賞という名で現在にもその影響を残しております。
  • バド・パウエル: 軽く弾くだけがピアノ演奏ではないと、独自の音色と構想力を見せ、ビバップジャズの創造者の一人となり、50年後の現在にまで影響を与えています。
  • 桂米朝: ゆたかな発想とともに、「学者肌の細部にわたる調査分析力」と「突出した声色や表情による品格あふれる面白さ」の両面をもった他に例がない芸風でした。

ただし世間は、誰に対しても、悪い一面を強調しがちです。

  • 升田幸三: ガラが悪い、毒舌家だ。
  • バド・パウエル: 薬物中毒患者だ。
  • 桂米朝: 単に上方落語の復興に尽力した人で、学校の先生みたいでおもしろくない。 

などと揶揄する人もいましたが、それでいいのです。何かを成し遂げた人には、必ず反発する人がいるものですから。

そこで、私なりに、上の順序に従って、再反論しておきましょう。

  • 升田幸三: たしかにガラが悪かったが、立川談志のようなひねくれた幼稚さがなかった。満州進出の責任者の一人とはいえ、後日東条英機と対立して政界から離れた石原莞爾(いしはらかんじ)に似た明晰な頭脳をもっていた。
  • バド・パウエル: 晩年たしかに薬物依存の影響を連想させる演奏家だったが、裏社会の白人たちによる犠牲者だったとも言え、時代が異なるもののMLBのロッド、ボンズ、マグワイア、ソーサなどの確信犯的な薬物使用「本塁打増産人物」とは大きく異なる。
  • 桂米朝: たしかに古今亭志ん生や笑福亭松鶴、横山やすしのような破滅型の芸人を好む人には好かれないだろうが、それでいいと思う。私の知る限り、6代目三遊亭圓生と桂米朝は、文字通り「名人芸」を見せた。

桂米朝の言葉で好きなものを1つ上げておきます。

笑いは庶民の尊い文化だが、ブームになるとかそんな大層なものやない日本経済新聞

どうですか、立川談志のような低レベルの口調ではないでしょう?

まぁ、桂米朝と談志を比較すること自体が、桂米朝に失礼な話ですが(大笑)。 

旧満州に縁のある人について

  • まずこの桂米朝が、旧満州生まれであること〔出身地は実家のある姫路とする〕
  • 終戦間際に、古今亭志ん生と三遊亭圓生が満州へ興行に出かけ、戦後何とか帰国し、その後、両者は50歳くらいを過ぎてからようやく売れ始めたこと
をご紹介しておかねばならないと思いました。
今もしも30歳代や40歳代の人で、「自分は不遇だ」と思っている方がいたとしたら、50歳を過ぎてからのこんな立派な人生もあるということを、知っておいて決して損ではない、と思うのです。今のあなたを磨いておくのがよろしいかと!
最後に
  • 桂米朝の葬儀委員長は田中秀武米朝事務所会長、喪主は桂米朝の息子桂米團治。
  • 桂春若の話では、風紀を乱す連中の集まりである上方落語協会(会員200名強)の初代風紀委員長が桂米團治で、2代目が桂春若らしい。

「棚に上げる」とは

2015年03月05日 00時32分37秒 | 笑い

「・・・・ああいう人間はなあ、自分の悪いことを棚に上げて、世間でなに言いふらすやわからん。そんなことがおまえさんの耳に入ったら、あまりいい気のもんやないやろ。わかったんな。ほなあすでもあさってでも市助(いちすけ)の顔見たら、あんじょうしときなはれや」 :P.99 六代目笑福亭松鶴「市助酒(いちすけざけ)」角川文庫 昭和51年9月29日3版発行 


引用した松鶴の落語では

どつき漫才などではまず見られないことを、登場人物にさりげなく語らせます。晩年にいはもうろれつが回らない松鶴でしたが、こんなのは得意でしたね。

談志が「落語は業(ごう)の肯定」としたのは皮相的で、それでは江戸落語のレベルをおとしめるもの。

もっと他に言い方があるはずですが、落語を小馬鹿にしている人を揶揄(やゆ)する表現ならば、レベルの低いうぬぼれ型の談志らしい、と言えます。

しかし、そんな程度のことなら、芝居・浄瑠璃などなどで、誰でもが、とっくの昔からわかっていることなのです。

上の引用文は、

ある商家の旦那が、前を通りかかった市助を邪険に扱った番頭に説教している場面で、「世間は広いため、自分のことを棚に上げて何を言い出すかわからない人がいるので、注意し、余計なことを言わないほうがいい」、という意味でした。

言いたい人には言わせておけばいい、という日本独自の処世術で、そんな一風変った人でさえ社会から抹殺しようとせず、いくら向こうが間違っていると思っても、うっちゃっておけ、とするのが特徴です。

なぜ、これをもち出したか、といえば「棚に上げて」で中国・韓国を連想したからです。

両国では、社会の方針、つまり為政者の方針ですが、これに合致しない国民を、社会から抹殺しようとします。「自分だけが正しい・自分だけが善」という揺るぎない「妙な信仰」があるため、中国人や韓国人が「自分のお粗末さを棚に上げて、何を言い出すか分らない」とは、まさに言い得て妙

この国の人たちが相手国を非難する言葉の中にこそ、非難している本人に一番欠けているものが含まれている、ということが直感でも分るし、冷静に見てももちろん理解できます。

自分の欠点を次から次へ述べられるのは、すべて自分の欠点ですから、自分が一番よく知っている、だからあれほど堂々と自信をもって言えるのでした(笑)。

言論の自由がまったくない中国・韓国では

国家社会の主張に従わない人を徹底的に弾圧・抹殺しようとする傾向が見られ、法律で禁止するなどの措置をとりたがるようです。

北京ではNHKの生放送内で「中国共産党が捏造した、不都合な場面になると、躊躇なく放送を遮断」して国民が視聴できなくしています。

韓国でも為政者に都合の悪いことを禁じる法律がどんどんできて、一見して法治国家のように見えますが、危険な人治国家でした。

これが「危険人物」と言えども、「余計なことを言わずうっちゃっておく」原則がある日本との大きな違いですね。

中国や韓国、その他の宗教を絶対視する国には、漫才のようなものはあっても、落語のような芸能は存在しないだろう、と思われます。

日本では、いわばガス抜きの役割を果す落語のおかげもあり、たまった不満が社会に噴出することが少なくなり、大切な役割を果していると言えるのです。

それはそうですね。国家社会を批判することは、為政者の国家運営に疑義をもたらすわけで、それを認めるか認めないだけのこと。中国での年間暴動数が10万件とか、韓国人がいつもケンカに明け暮れているのと比較すれば、この真意が分ります。

よって、社会を批判することは、一党独裁の中国共産党が建国した中華人民共和国では、厳しく禁じられていて、日本の落語のようなものが発達するはずがないのでした。

韓国でも、韓国の憲法にさえ抵触する「親日法」を平気で施行するほどですから、社会を自由に批判することなど、あり得ないでしょう(大笑)。

参考:中国の相声(そうせい/しょうせい)

落語に、このような役割があるということを初めて知った方もいらっしゃるかもしれませんが、いま静かな落語ブームらしい。私は誰も見向きもしない時代から落語の魅力を理解しておりました

ただし番組収録の時間帯の関係かも知れませんが、NHKの演芸図鑑の観客が女性ばかりなのは、どうも不自然! いかにも「クサイ」NHKの演出、としておきましょう(笑)。


落語家のCM

2015年01月05日 05時09分56秒 | 笑い

当ブログ著者の落語趣味ですが、若い頃から

比較的落語が好きなほうでして、時間に縛られていたためか、それほどしばしばではありませんがホール落語や寄席小屋へでかけたものです。

古くは大阪道頓堀にあった角座(かどざ)での夜遅くからの落語会、東京では狭い池袋演芸場・新宿末広亭・上野鈴本演芸場などがありますが、通い続けないといい落語を聞けないし、行ける時間帯には混雑していて入れないか、ざわついてゆっくり聞けないことも多々ありました。

しかたがないので、

普通ならあり得ないのですが、「落語全集」のようなCD/DVDなどの複数組を買ってきて、MP3化してUSBへ落とし、通勤途上でもう覚えてしまうほど何回も繰り返し聞いたものです。具体的な名前を挙げるなら、もう高齢で落語をやっていない桂米朝や故人では三遊亭圓生など、出囃子が耳にこびりついております。

時代をもっとさかのぼると極端に数が減りますが、この人たちの頃からいい音源(音質)の記録が残っています。「話を聞くだけで景色が頭に浮かぶのが名人芸」とはよく言ったもので、動画よりも音声だけの方にむしろ適しているのでしょうか。

念のために言えば、

高齢の噺家の誰でもが「枯れた立派な芸」をもてる、わけではなさそうです。話の展開方法はもちろんですが、「ある程度の声色を使い分けることができてこそ、音声だけの観賞に耐えられる芸になる」のだと思います。動画では別人物を演じ分けているようでも、音声だけだとこれが不自然になってしまうものなのです。昔の噺家、特に録音を前提とした落語会などでは、これをわきまえていたとみられ、誰でもある程度異なる人物を声で演じ分けていたようです。

笑福亭松鶴は「落語は物まねではありまへん」と言っており一理ありますが、長い噺を同じような声の調子で演じ続けていると、音声だけの場合、今どちらが話しているのかさえ分らなくなります。こういうのは動画向きの噺家であり、いくら高齢といえど一流の芸とは言えません(笑)。

なお個人的な好みですが、

世間では人気があった故古今亭志ん朝〔1938-2001〕は「え~」が耳障りだったし、言語障害ぎみだった6代目笑福亭松鶴〔1918-1986〕には、内容が聞き取りにくい、という噺家としては致命的な欠点をみたものです。親しみをもてる人柄でしたが、これは別問題。

また人物は良さそうでしたが落語に興味をもてなかったのが5代目柳家小さん(1915-2002)で、この人とは30年近く前にJR目白駅近くで早朝にすれ違ったことがあり、今でもはっきりと覚えております。聞いたわけではありませんが、剣道の道場へ出かける時だったのでしょうか。

もっとひどいと感じていたのが故立川談志で、これには嫌悪感さえ覚えました(笑)。談志の死後、礼賛の声ばかりが聞こえてくるので、そうではないと考える「まとも」な観衆もいることを、一応、宣言しておきます(笑)。ただし弟子にはしっかりした噺家も多く、立川談志〔1936-2011/11/21も金正日〔1941-2011/12/17もなき今、もう東京の落語界も朝鮮半島も、分断状態を停止し、統一すべき時代ではないかと思います。とはいえ、そういう好機になると大声を出すのが古い時代の因縁をぶり返す保身意欲満々の連中〔高齢の噺家や北朝鮮の高官〕で、これによってご破算となりますが、まぁ関東落語界統一などは、どうでもいいことですか。

今でも

テレビの落語番組には欠かさず目を通しており、長い経験からテレビで上演される演目は、どこかで聞いているものがほとんどです。

今の私にとっては、瀧川鯉昇(たきがわ・りしょう)春風亭百栄(しゅんぷうてい・ももえ)などが「いい噺家」です。

  • 笑点に出ている人の落語などを聞きたいと思ったことは、一度もありません(笑)。
  • 「落語」に縁のない人ならば、「笑点」で「座布団をとりあってコント競演」するのが落語家だと思っているらしい。

ただしNHKの落語番組を視聴していると、収録時間帯の関係か観客はほとんどが女性で、演出のためと思われる妙に作られた笑い声が伝わってくるのが気がかり。とはいえ寄席での例の「ざわつき」がないので、その点では好ましいとは言えますが・・・・

それでは、思いついた順に落語家のCMを並べてみます。

立川志の輔 まるか食品「ペヤングソースやきそば」 

ア+ヤングソースやきそば → ペヤングソースやきそば

だとのこと。もちろん私は食したことがないので詳しく述べる資格がありませんが・・・・、と言いながら述べていますが(笑)、虫が混入していることが判明し、全数破棄される、あるいは、破棄されたとのこと。

健康被害がなくても全数破棄が正しい、という見方と、健康被害がないのだから全数破棄はやり過ぎではないか、という見方に分かれています。どちらが正しいのでしょうか。

この事件については、次のような話を思い出しました。 

韓国の一流レストランでのエピソードは、いまでも鮮烈に記憶に残っている。その日、日本の友人とソウルに行って、韓国料理専門店で焼肉を注文した。食べていると肉を包むサンチュの葉っぱの中に、米粒ほどの虫が一匹混じっていた。その友人が、こりゃひどいと言って店員を呼んだ。ところがその店員のおばさんの言葉がまったく傑作だった。

「これ? かまわないじゃない!」

と言って、虫をつまんで床へ落とし、足で踏み殺してから一言。

「最近は化学肥料を使わないからこうして虫まで生きられるんだね。野菜についた虫は、そのまま食べたって身体には漢方薬のような効果があるのよ」

冗談ではなく真顔で話すおばさんの言葉を、わたしは恥ずかしくてとうてい彼には通訳することもできず、泣くにも泣けなかった。日本であれば、その焼肉の食材をそっくり取り替えるのがサービスの常識である。:P.68 金文学/金明学「韓国民に告ぐ!」祥伝社文庫

さて皆様はどうお考えですか。

桂歌丸+三遊亭好楽 日本薬師堂「グルコンEX」

わたしは、ぎっくり腰を患った経験が2回ほどありますが、これは運動不足が原因だと明確に分っております。「正座」をしないからでしょうか、まだ膝(ひざ)などの関節を痛めたことはありません。

ただし重力に逆らって2本足で歩行するわれわれ人類としては、ひざにしわよせがくるのもまた当然なので、貴重な医薬品なのでしょう。

三遊亭圓楽 サントリー「グルコサミン&コンドロイチン」

かつて1回だけですが、駅で栄養ドリンクを買って飲んだことがあります。ただし何の健康問題もなく、しかも妙に薬品のような甘さが気持ち悪く感じられ、しかもかなり高価だったので、それっきり飲んだことがありません。

安易に風邪薬や睡眠薬を常用していると、いざというときに効かなくなりますね。サッカーが好きな方ならおわかりでしょうが、ブラジル代表ネイマールのような「偽装の転倒」という名の「狼少年」を演じ続けていると、肝心の時に効かなくなります(笑)。

橘家円蔵(月の家円鏡) エバラ「焼肉のたれ」

焼き肉を食べませんので買ったことがありません。ただし「すき焼きのたれ」はすき焼き以外でも使えて便利。

とはいえ、砂糖・塩・しょう油・ミリン・酒・だし汁が基本でしょうから、便利な「すき焼きのたれ」が冷蔵庫にはあっても、半年くらい生存しているようで、賞味期限・消費期限を無視しているか(笑)。

柳家花緑 須藤石材「霊園」

まだ縁はありません。

笑福亭鶴瓶 伊藤園「むぎ茶」

これは買ったことがあります。購入直後の香りはいいのですが、だんだんと香りが飛んでしまうのは、密閉容器に保存していないからでしょうか。 

三遊亭円丈 キンチョウ「蚊とりマット」

都会に住んでいると蚊の被害がなく、近年まったく使っておりません。ただし自然豊かな地域では貴重な製品なのでしょう。庭の草むしりなどで腰にぶら下げるのを昔、使ったことがあります。

三遊亭圓右 ライオン「エメロン石鹸」

よく覚えておりませんが、使ったことがあるような気がします。 

柳家小さん 永谷園 「あさげ」 

お茶漬けの素や漬け物は、冷蔵庫に入っていると安心。ちょっとおなかが空いたときには、電子レンジで温めたごはんと奈良漬け・浅漬け・千枚漬けさえあれば、充分にうれしい私〔「さえ」と言いながら贅沢に漬け物を並べましたが〕


それにしても深夜や早朝のBS放送を見ていると通販のCMをたれ流しており、こんな時間帯でも見ている人がいるのかな、と疑問に思うことがあります。「今すぐお電話を」とか「放送終了後1時間以内にお電話を」と言っているので、録画している人には何の関係もないのでしょうね(笑)。


柳家小三治が「人間国宝」に

2014年08月05日 08時26分55秒 | 笑い

 

文化審議会の答申によれば

落語家の10代目柳家小三治〔やなぎや こさんじ 1939- 〕らが人間国宝に認定されるらしい。

「こさんじ」とは言っても、ウィキリークスでおなじみの「あさんじ」とは関係がございません(笑)。

落語家の人間国宝としては

    1. 5代目柳家小さん〔長野県生まれ 1915-2002 〕落語家として初
    2. 3代目桂米朝〔中国大連生まれ兵庫県出身 1925- 〕落語家として2人目
    3. 10代目柳家小三治〔東京都生まれ 1939- 〕今回受賞が決まった3人目

が知られています。

 

「柳家三治」とはいえ「柳家三治」という名の落語家はみられません。というのも柳家小三治は、5代目柳家小さんに弟子入りしたので

  • 柳家小さん→柳家小三治(こさんじ)と受け継いだのであり、「柳家三治」の弟子が「柳家三治」になった、というわけではない。
  • 師匠5代目柳家小さんの弟子が3人目の人間国宝になった。つまり師匠と弟子の両方が人間国宝となったわけです。歌舞伎役者では8代目松本幸四郎とその次男2代目中村吉右衛門(鬼平犯科帳など)が親子で人間国宝に認定されていますね〔「ラ・マンチャの男」の長男9代目松本幸四郎(娘が松たか子)ではなく次男だった〕。
  • 人間国宝2人目桂米朝と3人目柳家小三治が出囃子として「鞨鼓(かっこ)」を使っています。実際には桂米朝は「三下がり鞨鼓、柳家小三治は「二上がり鞨鼓」と、調子が異なるにしては、まったく違った印象の曲です。想像ですが、きっと曲の異なる部分を抜粋したのでしょう。


鞨鼓(かっこ)という出囃子について

  • 3代目三遊亭金馬1894-1964)が「本調子鞨鼓」を使っていたと聞いていますが、残念ながら音源を聞いたことがありません。
  • でもこれで、出囃子としての「鞨鼓(かっこ)」に、本調子・二上がり・三下がり、がそろったわけですね。三味線の基本となる調子は、ほかにもありますが、この3つが基本で曲も多いらしい。
  • 先日の再放送でNHK昭和52年9月9日「桂枝雀の軒づけ」をみたのですが、当時枝雀襲名後4年あまりだったせいか、寄席での都合なのかどうかわかりませんが、出囃子が本来の「昼まま」ではなく、師匠桂米朝の「鞨鼓」を使っていたので驚きました。

 

人間国宝である桂米朝については、上方の落語家、特に一門の弟子たちが

  • 米朝は人間国宝だから、もしもけがでもされたら刑法261条の器物損壊罪に問われる。
  • 桂米朝重要無形文化財保持者(つまり人間国宝)、弟子の桂ざこば重要参考人

などとネタに使って笑わせていました。


柳家小三治に戻りますが・・・・

  • 他の落語家が落語を演じている最中に「みなさんお目当ては、このあと出てくる小三治なんでしょう?」という問いかけをするほど、人気があった。
  • 池袋演芸場では、柳家小三治が出るとなると立ち見席さえ一杯になるという盛況。

なのですが、正直に私の好みを言えば

  • たしかにゆるりと構えたところが「禅寺の枯山水」を思わせ渋さを演出している。
  • 派手さがまったくなく、安心して聞ける。

という面があるものの、特にこれぞというところもなく、なぜそんなに人気があるのかな、という印象をもっております。

 

柳家小三治の人間国宝受賞を伝えるニュースを2つ引用してみます。 

柳家小三治さんら7氏が人間国宝に 文化審議会答申

文化審議会は18日、落語家の柳家小三治さん(74)、陶芸家の十四代今泉今右衛門さん(51)ら7人を重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定するよう、文部科学相に答申した。

また、文化財の保存に欠かせないものの、後継者不足などで存続が危ぶまれる技術を持つ選定保存技術の保持者6人、保存団体2団体の認定も答申した。

さらに文化審は、神戸ポートタワー(神戸市)や旧犬吠埼霧信号所霧笛舎(千葉県銚子市)など166件の建造物を登録有形文化財とすることを答申した。 :朝日新聞デジタル 2014年7月18日18時09分

 

もうひとつ 

芸は人なり…人間国宝・柳家小三治の評判 「誰も尊敬していません」の厳しい声

・・・・ 落語家連中は「芸は人なりって言われますが、芸と人は別なんですね」と口々に似たり寄ったりの嫌みを言い始めた。その心は、「言っていることと、やっていることがあれだけ違う人は珍しいですから」(中堅真打)。

2010年、小三治が落語協会会長に就任した際、真打昇進に当たり、抜擢人事を決行したが、翌年にはしぼみ、年功序列に戻ってしまった。

「NHK新人演芸コンクールで優勝すれば、抜擢されるという物差しがまかり通っていたため、必死になって優勝した若手がいたんです。落語協会の理事会で、ある理事がその若手を推薦したら、小三治さんは『俺にはあの芸は合わない』と却下したんです」(理事経験者) ・・・・

落語界の下馬評では、「次は桂歌丸」という声が、ここ数年根強かった。落語芸術協会の会長としてリーダーシップを発揮し、人気テレビ番組「笑点」にも出演。実力も知名度も間違いなしとされていたが…。

どの世界でも、下馬評ほど当てにならないものはない。

:zakzak 夕刊フジ 2014.07.19

 

私の勝手な好みから言えば

桂歌丸は人間国宝とはほど遠く、柳家小三治のほうがましだと思うので、あとの方の記事中の「どの世界でも、下馬評ほど当てにならないものはない」を使うなら、「夕刊フジほどあてにならない記事はない」、というところ。

夕刊フジでは、安易に「落語界の下馬評」とか「リーダーシップを発揮」とか「実力も知名度も間違いなしとされていた」など、多分に雑音として聞こえてくる声を集めただけに過ぎない主観的な内容が目立ち、世界を知っている多くの人たちを敵に回しているとも感じました。もちろん私がこの夕刊を駅で購入したということは、かつてありません(笑)。

 

 







「中心主義」いろいろ

2014年07月31日 15時25分36秒 | 笑い

島倉千代子(1938-2013)は1987年の「人生いろいろ」で

人生いろいろ ♪
男もいろいろ ♪

と歌いました。「おちよ」さんの世界でしたね。

そういえば今の相撲界に「千代~」というのが多すぎると思いませんか。相撲部屋のことを詳しく理解しておりませんが、いろいろあったものの、千代の富士〔現在の九重親方〕の元で育った力士につけられた名前が{千代~」なのでしょう。 

じんせい~いろいろ~ ♬
せきとり~いろいろ~ ♬

千代鳳 (ちよおおとり)  東前頭五枚目
千代大龍(ちよたいりゅう) 東前頭八枚目
千代丸 (ちよまる)    西前頭十六枚目
千代皇 (ちよおう) 西十両七枚目
千代の国(ちよのくに) 西十両十一枚目

:2014年07月31日相撲協会

 

千代丸と千代鳳は兄弟らしい。私は先日見た取り組みで、はたかれても、はたかれても、前へ落ちなかった弟の千代鳳を、勝手にひいきにしております(笑)。

そういえば過去の人になりますが、とはいえ健在の人が多いのですが、千代の山・千代の富士・千代大海・千代天山などが思い出されます。


さて今回は

ちゅうしん いろいろ ♪

といきましょうか(笑)。 

みんな好き勝手に、いろいろ主張しておりますが

聞いてみると、

いずれも自国中心・自民族中心

ただしこれらのすべてが悪いというわけでもありません。それはそれでいいのですが、

他の人たちも自分と同じ、自国中心・自民族中心

ではないか、と考える余裕があれば、少し違った展開になろうかと思うのです。

 

ロシアの「ロシア中心思想」や、アメリカの「アメリカ中心思想」に比べて、中国の指導者たちはさらに「中華思想」に色濃く染まっているため、よりいっそう「自閉症的」だ。理由は単純で、なによりもまず中国の国内問題は、他国のそれよりも規模が大きく、非常に不安定だからだ。中国では毎日国内のどこかで最高指導者の決断を必要とする緊急事態が発生している。

それは地震、洪水、民族間抗争による暴動、食料価格の突然の高騰のような急激な経済情勢の変化、そして国内政治(実際のものか想像上のものかは別として)における脅威の発生などだ。

多くの証拠から明らかなのは、中国共産党の指導者たちは政治上の脅威の重大さを、一つの非常に慎重なやり方で判断しているということだ。つまり、彼らは上がってくる報告を、「体制の安定にとって取るに足らない脅威を、どれだけ大げさに表現しているか」という点や、「それが国内の脅威を誇張する、地方の(省)という巨大な政治組織によって発せられたものなのかどうか」という点で判断するのだ。

いずれにせよ、中国共産党のトップはこうした脅威に簡単に関心を奪われてしまうし、さらには彼ら自身が過剰に抑圧した結果として引き起こされる、その後の連鎖的な反応にも対応せざるをえなくなつてしまうのだ。

例えば、2011年の春には、ソーシャルメディアによって引き起こされた北アフリカの反政府運動(チュニジアのジャスミン革命)にならつて、中国でもほんのわずかにデモの呼びかけが行われたが、結果としてこれは大きな社会的混乱を引き起こすことになつた。

この運動は、実際にはわずかなソーシャルメディア上のやり取りの範囲を超えなかったにもかかわらず、中国中心部の重要な地域、特に北京の繁華街である王府井の周辺に、物々しい様子の圧倒的な数の機動隊が、実際には発生していないデモに立ち向かうために現れたのだ。その結果として、その当時にこの周辺にいた何も知らない通行人や旅行中の中国人の家族たちが強制退去させられてしまっている。

また、実際にはデモが確認されなかったにもかかわらず、中国の至る所で著名な人権活動家、法治主義の推進運動家、自由貿易主義の運動を組織する可能性のある人々、そして政治の自由化を求める人々など、いつもの「怪しい人物」たちが次々と逮捕されていったのだ。

この結果、今度はこうした「怪しい人物」を(いつもは失敗するのだが)守ろうとして法律家たちが本格的に行動を起こすことになり、権力側もこれに対抗してこの法律家の多くを逮捕している。さらに加えて、トラブルの発生を防ぐためにありとあらゆる人々にたいして厳しい警告が発せられることになった。:エドワード・ルトワック「自滅する中国」奥山真司(翻訳)芙蓉書房2013年11月15日第4刷発行


アメリカもかつては重度の自閉症だったし

今でもロシアは深刻な自閉症に陥っていますが、現在中国の自閉症ほどひどくはなさそう。まぁどっこいどっこいとも言えますが・・・・

でもロシアのほうがひどいではないかという意見も見られます。一面ではそう言えますが、中国の場合は、「開かれた風を装っているだけで、実は中国共産党の利益のみを考える集団を中心とする独善的な組織の集合体」であるという特色があり、より敵をあざむき易いのでした。

かたち程度に欧米風の法体系を導入しているように思われますが、それはとんでもない外国人の勘違いで、最上位に位置するのは法律ではなく、中国共産党。

この中国共産党の支配下にあるのが裁判所であり、政府であり、地方の行政府。ですから外国がいくら中国の憲法やら法律を研究しても、中国共産党の機能を解明しなければ、ほとんど意味がないと言えます。・・・・まぁ解明する価値があるかどうか分りませんが(笑)。

交代すべき政党が存在しない中国ですから、中国共産党が崩壊すれば、党が建国した中華人民共和国も自然に崩壊。

まずは何よりも、中国共産党の体制にとって利益となるかどうかが最優先の判断基準たるゆえんです。見せかけに過ぎない法律は、最優先基準とはなり得ないのです。これが法体系による民主国家と大きく異なるところ。

民衆の福祉のために、などは、中国ではたわごと。共産党幹部にとって、弾圧体制を維持できるかどうか、これしか念頭にありません。

これが人の話を聞かない独善体質の根源となっております。


とにかく、知識人を逮捕・拘束するという伝統は

毛沢東の頃から一層顕著になっていて、ひとはこれを簡単に「言論の自由がない」といいますが、実際はもっともっとひどい、政府による陰湿な差別行為です。

セクハラ・パワハワなども立派な犯罪だと思いますが、中国では、そんなのは当たり前で、むしろ、それ以前のレベルが低い「生き方に対する差別」が横行しているのでした。公務員であるはずの人たちは中国共産党の支配下にあります。つまり国ではなく共産党の意向に沿わねばなりません。

昨今の日本では、

中国上海にある福喜食品の不衛生な不法行為や、党幹部だった周永康に関する報道が相次いでいます。

一部の人たちは、「中国にも自浄作用が働いた」と好意的に見ていますが、私は、これはとんでもない勘違いだと思っています。

一番あり得ることは、これら企業や人物が、中国共産党の主流派と対立する非主流派に関連していた、ことでしょう。

周永康〔しゅうえいこう〕に関しては、かつて元重慶市党委書記だった薄熙来〔はくきらい:胡錦涛時代の2011年に全公職から追放された〕と共に国家転覆を企てた、という疑惑があることからも、これがわかります。

中国共産党としては

談合癒着でもって維持された組織運営でしたが、党内部の不正を減らさねば持ちこたえられなくなったという「つらい時代」?を迎えました。

しかしあくまでも主流派の基盤を危うくする非主流派重要人物の摘発が目的でしょう。ないよりましとも言えますが、こういう裏舞台を知っておかねば、とんでもない判断を下しそうです。

主流派では許される行為であっても

非主流派の場合、いきなり「国家転覆罪」「クーデター疑惑」「蓄財容疑」「脱税」などの濡れ衣が待っています。

そして恣意的に摘発するこういった共産党主流派の横暴を誰も止めることができないのでした。裁判所などは飾り程度に過ぎず、弁護士なども、何かあればすぐに資格を剥奪されるもので、これと戦い続けなければなりません(笑)。

 

今日の米国に「同盟」とは道徳や価値のような情緒ではなく国益だ。「失望」という声明に喜んで米国が安倍首相の日本を嫌うことを望んだが、その米国防長官が長い間の悩みだった普天間基地の移転問題が解決されるやいなや「強い日米同盟」に言及した理由だ。私たちが重視する韓米同盟も米国の国益の中にある時が安全地帯だ。米国の財政赤字は11月基準で1352億ドル、韓国ウォンで142兆ウォンを超える。米国はこの赤字を埋めるためなら何でもする態勢だ。米国中心主義時代を脅かす中国に対抗しなければならない米国は、依然として安倍首相の日本を必要とするしかない。米国の本音を直視しなければならないのはそのためだ。: パク・スンヒ・ワシントン総局長  2013年12月31日14時07分 [韓国中央日報日本語版] 

こちら韓国紙では、韓国世論に配慮してか隣国の中国中心主義には触れることなくず、ひたすら「米国中心主義を脅かす中国」ととらえ、米国が対抗手段を取っているとします。

中国になびいている韓国の読者からすれば、わかりやすい筋道ですが、やはり中国に甘すぎる論調と言え、その甘さが「甘さ」ではなく「自然なとらえ方」とするのが、韓国特有、あるいは中央日報特有の見方なのでしょう。


もちろん私たち日本人は「日本中心主義」に立ち向かわねばなりません。 

戦時下の最終段階の教育を受けて、国民学校を卒業した私は、日本中心主義的な思想のあり方を見届けたいと思っていたために、日本思想の文献に否定的な眼差しを向けるのが癖になっていた。『愚管抄』を読み、現代語訳の仕事を終えた時も、その根底に流れているものが、天台座主慈円の拠り所である仏教思想などではなく、普遍的な世界としての中国に対して、日本の特殊性に固執しようとするものであり、それが『日本書紀』の神話に通底することを確認し得たと考え、この古典もやはりそうなのかと思った。
:大隈和雄「愚管抄を読む」講談社学術文庫 学術文庫版まえがきより 

 

大切なのは、「日本中心主義」を全面的に否定する立場ではなく、自分の考え方が日本中心主義」ではないかどうか、そしてそれは、他の国の「~中心主義」と比べてどうなのか、を考えること。

日本の薄っぺらい左翼主義者のように「日本を否定することから始める」のではなく、日本の薄汚い右翼主義者のように「日本が世界最高である前提で物事を考える」のでもなく、堂々と世界全体を見渡したいものです。

慈円〔平安末期~鎌倉初期〕が中国におぼれることがなかったのは立派ですが、その著書「愚管抄」がやや日本中心主義に陥っていると思われのは、時代を考えるとやむを得ないところで、それ以上に明晰な頭脳を感じさせる人の一人です。

最後に、その「明晰さ」を示していると私が思っている一節をご紹介します。

  

謹慎中の定家が慈円に2首送り、慈円が2首返した歌

  • 「くだりはつる 世の行く末はならい也 のぼらば峰に月もすみなん」
  • 「はててまた はじまる世とや照らすらん さらばたのもし秋の夜の月(秋の夜の月は、いったん終わってしまって、また新たに始まる世を照らすのであろうか、それなら頼もしく思われる)」 。

慈円のこの2首は、史書愚管抄の歴史観、世界観を実に簡潔に言い切っている点で注目すべきものである。:P.129 堀田善衛「定家明月記私抄(続編)」新潮社 

 

行き詰まった平安貴族政治の末期は、武士という名のヤクザが横行した混乱の時代でしたから、不安をかかえた庶民のなかでも末法思想がはやったのは、当然でしょう。

僧籍にあった慈円でさえ、その政治の仕組みの限界を感じていたに違いありません。それゆえ新しい鎌倉幕府にいささか期待するところがあったはずでしたが、その鋭い目は新幕府の限界さえ感じ取ったらしく、そのうんざり感をみごとな歌として残しました。

さらば頼もし、秋の夜の月

とは、決して風流な花鳥風月の世界ではなく、現実の世界をぐさりと切り取った一首だと思いました。 


それこそ、頼もしい「中心主義」を構築したいものです(笑)。