平成太平記

日常の出来事を書く

日本の浪人が見た1893年の朝鮮の風景~

2016年08月07日 17時17分10秒 | Weblog

日本の浪人が見た1893年の朝鮮の風景~

『朝鮮雑記』本間久介著、初の完訳[06/16]


韓半島(朝鮮半島)を舞台に清国と日本が衝突した日清戦争の機運が熟した1894年7月1日、日本では「朝鮮雑記」という本が出た。

作者は如囚居士という筆名を使った本間久介(1869-1919)。

天佑侠という右翼団体会員であると同時に、後にその機関紙、二六新報特派員を歴任した本間は1893年、初めて朝鮮を訪れた。

釜山に滞在してから京城(ソウル)に移り、

南大門近隣の薬屋を拠点に薬売りを装いながら京畿道、

黄海道と京畿道及び忠清道一帯を探った後、

東京に帰ってその旅行記を1894年4月17日付けから6月16日付けまで二六新報に連載した。

朝鮮雑記はまさにこの続物を154編に整理した単行本だった。

彼はどうしてこの時、朝鮮を訪れたのだろうか?

1893年春の東学百姓軍一揆が決定的な契機になったと本間自ら言う。

すなわち、朝鮮が知る必要性から朝鮮を訪れたというのだ。

漢陽大韓国学研究所教授ながら韓国近代史専攻であるチェ・ヒェジュ博士は当時、

朝鮮の事情と風俗全般を日本人の目で眺めたこの朝鮮雑記を通じて

「1868年の明治維新以後、文明開化を成した文明国日本が他者の目で'未開化'の朝鮮を眺めると、'野蛮と文明'の交差点が読めるようになる」と言う。

それでは、そんな症状が朝鮮雑記では具体的にどのように表現されていようか?

チェ博士は朝鮮雑記全編を通じて朝鮮と朝鮮人は「純粋、無事泰平であるとともに不潔、懶怠、腐敗」などの姿で登場すると言う。

本間が「奇妙な風俗」と思ったことの一つが早婚。

早ければ12~13歳にしかならない男の子が、

20歳ほどの女性と結婚する事が朝鮮では決して変な事ではない、と

「幼い男女が何をするのか?朝鮮の人口が毎年減少するわけは、

ここにある」と言う分析を添えている。

また、銅貨である孔方銭の他に通貨がない朝鮮人たちに紙幤を見せたが、その効用性を全く理解できずに、どうのこうの評する姿を"まるで盲人が象を評することと似ている"と比喩している。

本間は朝鮮のお風呂文化を伝えながら、朝鮮の不潔さを強調した。

冬季に黄海道海州に行ってから一ヶ月間もお風呂に入れず、

客舎の大家の案内で訪れた風呂場の風景を朝鮮雑記は地獄に比べた。

風呂場と言う所で会った10人ほどになる朝鮮人を

「みな肉がなくて、この世の人には見えない」と言う描写と共におもしろいことに、

当時の朝鮮の風呂場が「屋上に火を起こして家の下へ熱を抜く」やり方だったと紹介した。

本間は日本がどうすれば朝鮮に対する清国の野心を挫いて優位にたてるか露骨に表現した。

例えば、このためには何より朝鮮に日本人がたくさん進出しなければならない、と主張する。

釜山には清国人より日本人が多いが、

他の地域、例えば京城には日本人が法外に足りない、と指摘しながら

「居留地人民の多寡は何よりその勢力の強弱に影響を及ぼす」と言い

「もし一瞬にして風雲の変異こちら(京城)で起きれば、誰が漢江を挟み韓山を横に残してこの天が与えた形勝を占めるのか」と慷概した。

こんな政治色の濃い言葉の他にも朝鮮雑記はわずか1世紀前、朝鮮の風景をパノラマのように広げてる記述が多い。

日傘の代わりに傘を差して意気揚々の朝鮮人が登場するうえ、

冠も脱がずに争う場面、

寺小屋で子供達が声を出しながら本を読む風景、

塩を宝物のように思う人々、男色と娼妓に関する証言も見える。

この朝鮮雑記がチェ博士によって韓国で初めて完訳された。

ソース:毎日経済(韓国語)[日本浪人が見た1893年朝鮮の風景]


本間九介著『朝鮮雑記日本人が見た1894年の李氏朝鮮』 

2016年08月07日 17時04分15秒 | Weblog

朝鮮半島の人々が理不尽に耐えなければならないのは何故か 

本間九介著『朝鮮雑記日本人が見た1894年の李氏朝鮮』 

古美術鑑定家・中島誠之助 

2016.5.28

国家の近代化とは何か

この本は東京経済大学図書館に収蔵されている120年前の朝鮮旅行記の現代語訳である。

監修者はアジア主義研究の第一人者であるポーランド生まれの歴史学者、クリストファー・W・A・スピルマン。

巻末に付録の解説を先に読むことをおすすめする。

二本松藩(現福島県)出身のリポーターが朝鮮半島をくまなく探訪して、日清戦争直前の明治27(1894)年に「二六新報」という当時の日刊紙に連載した紀行文だ。

写真の代わりに筆者による風物スケッチが挿入されている。

有名なイギリスの女性旅行家、イザベラ・バードの「朝鮮紀行」より4年早く刊行された、先駆的紀行文なのだ。

伝えられていることは、単なる旅行記という範疇(はんちゅう)を超えている。

明治の開明期を生きた若き日本人の率直な目が、国家の近代化とは何かを問いただしているのだ。

全編158項目の一つ一つ、どれをとっても興味の尽きることはない。

里謡(りよう)、葬礼、娼妓(しょうぎ)、地方官、市場、寺院、気候、古美術、婚姻など、どれも現代の私たちの日常生活につながるものがある。

もちろん、19世紀末の世界観と価値観にたって書かれていることを理解しなければならないが。

筆者は当時の朝鮮王朝治世のもとで国民である韓人たちが不合理に苦しみ、その揚げ句に無気力なその日暮らしをしているありさまを偽らずに記述している。

根底にあるのは、批判ではなく同情である。

朝鮮半島の人々が理不尽な状況に耐えなければならないのは、どうしてなのか。

筆者はその原因を、腐敗した李王朝とそれを支える清王朝にあるとみている。

文中に豊富に登場する漢詩や熟語の解説も勉強になる。

この本は現代日本に生きる私たちにも暗黙の警告を発しているのではないだろうか。

(祥伝社・1800円+税)

                   ◇

【プロフィル】中島誠之助

 なかじま・せいのすけ 昭和13年生まれ。東京・青山の骨董通りの名付け親。著書に『句集 古希千句』ほか。

 


朝鮮通信使、金仁謙の著書『日東壮遊歌』 悔しい。

2016年08月07日 10時28分13秒 | Weblog

朝鮮通信使、金仁謙の著書『日東壮遊歌』

●1764年1月22日 大阪

100万軒はあると思われる家の全ては「瓦の屋根」だ。凄い。
大阪の富豪の家は「朝鮮の最大の豪邸」の10倍以上の広さで、
銅の屋根で、黄金の内装である。 この贅沢さは異常だ。

 
都市の大きさは約40kmもあり、その全てが繁栄している。信じられない。
中国の伝説に出てくる楽園とは、本当は大阪の事だった。
世界に、このように素晴らしい都市が他にあるとは思えない。
ソウルの繁華街の10000倍の発展だ。

 
北京を見た通訳が通信使にいるが、「北京の繁栄も大阪には負ける」
と言っている。


穢れた愚かな血を持つ、獣のような人間が中国の周の時代に、この土地にやってきた。
そして2000年の間、平和に繁栄し、一つの姓(つまり天皇家)を存続させている。
嘆かわしく、恨めしい。


●1764年1月28日 京都

街の繁栄では大阪には及ばない。
しかし倭王(天皇)が住む都であり、とても贅沢な都市だ。

山の姿は勇壮、川は平野を巡って流れ、肥沃な農地が無限に広がっている。
この豊かな楽園を倭人が所有しているのだ。


悔しい。 「帝」や「天皇」を自称し、子や孫にまで伝えられるのだ。
悔しい。 この犬のような倭人を全て掃討したい。

この土地を朝鮮の領土にして、朝鮮王の徳で礼節の国にしたい。


●1764年2月3日 名古屋

街の繁栄、美しさは大阪と同じだ。 凄い。

自然の美しさ、人口の多さ、土地の豊かさ、家屋の贅沢さ…この旅で最高だ。
中原(中国の中心地)にも無い風景だ。
朝鮮の都も立派だが、名古屋と比べると、とても寂しい。


人々の美しさも最高だ。
特に女性が美しい。 美しすぎる。 あれが人間だろうか?


「楊貴妃が最高の美人だ」と言われているが、名古屋の女性と比べれば、
美しさを失うだろう。
(帰路にて)
名古屋の美人が道を歩く我々を見ている。
我々の一員は、名古屋の美人を一人も見逃さないように、
頭を左右に必死に動かしている。


●1764年2月16日 江戸(東京)

左側には家が連なり、右側には海が広がっている。
山は全く見えず、肥沃な土地が無限に広がっている。
楼閣や屋敷の贅沢さ、、人々の賑わい、男女の華やかさ、城壁の美しさ、橋や船…。
全てが大阪や京都より三倍は優っている。

この素晴らしさを文章で表現する事は、私の才能では不可能だ。
女性の美しさと華やかさは名古屋と同じだ。



愛宕山より撮影した幕末期の江戸 フェリーチェ・ベアト   カラー補正画像





名古屋城




朝鮮                   日本



「日東荘遊歌」イルボンは凄いニダ

金仁謙著の「日東荘遊歌」(東洋文庫、定価3100円)を読んだのですが、
1764年当時の日本は明らかに朝鮮よりも進んだ国家でした。


それなのにどうしてチョンは、「日本はウリナラより100年進んだだけニダ」と言い切るのでしょうか。
理解に苦しみます。

(大阪港の感想)


「その昔、桜船で下る王濬(おうしゅん)が益州を称えた詩があるがここに比べてみれば間違いなく見劣りするであろう」
「倭の十一隻の金の桜船が命を受けて迎えに来ていた・・・その豪華絢爛 万古に例を見ない見事さである」

(大阪の感想)

「三神山の金闕銀台とは まことこの地のことであろう」
「人家が塀や軒をつらね その賑わいの程は我が国の錘絽(ソウルの繁華街)の万倍も上である」
「我が国の都城の内は実際には一里に及ばない・・・(大阪は)ほぼ十里と言われる土地は全て利用され・・・」
「北京を見たという訳官が一行に加わっているが かの中原の壮麗さもこの地には及ばないという」

(淀城の水汲み水車の感想)
「その仕組みの巧妙さ見習って作りたいくらいだ」
※歴代の使節がその後も見物したけど、ウリナラでは作れなかったニダ・・・

(京都にて)


「人々の富める様は大阪には及ばないが都の西から東までの距離は三里に及ぶという」
「惜しんで余りあることは この豊かな金城湯池が 倭人の所有するところとなり 帝だ皇だと称し
子々孫々に伝えられていることである この犬にも等しい輩を 皆ことごとく掃討し
四百里六十州を 朝鮮の国土とし 朝鮮王の徳をもって 礼節の国にしたいものだ」

(名古屋の感想)


「山川広闊にして 人口の多さ 田地の肥沃 家々の贅沢なつくり 遠路随一といえる
中原にも見あたらないであろう 朝鮮の三京も大層立派であるが この地に比べれば寂しい限りである」

(江戸の感想)


「楼閣屋敷の贅沢な造り 人々の賑わい 男女の華やかさ 城郭の整然たる様 橋や船にいたるまで
大阪、西京(京都)より三倍は勝って見える」

http://rkrc5w2q.dyndns.org/cache/korea/kaba.2ch.net/korea/kako/1019/10194/1019405900.html



<日本に来て強烈な劣等感を書き残した朝鮮通信使>

朝鮮通信使、金仁謙(Kim In Kyeom)の著書『日東壮遊歌』
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=75970
http://enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=99169
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&nid=1912338

日東壮遊歌以外の朝鮮通信使の記録に見る日本の繁栄の様子
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=69833

鶏を盗んで、町人と 喧嘩をする 朝鮮通信使。
日本の浪人が見た1893年の朝鮮の風景~『朝鮮雑記』本間久介著、初の完訳


日東壮遊歌ーハングルでつづる朝鮮通信使の記録 /金 仁謙
http://www.amazon.co.jp/dp/4582806627

中国の恐ろしさを思い出した韓国、すでに完全な四面楚歌

2016年08月07日 09時52分42秒 | Weblog

中国の恐ろしさを思い出した韓国、すでに完全な四面楚歌

2016/08/07

大韓民国は今や完全な四面楚歌状態だ。

米国の最新鋭地上配備型迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD)」の韓国配備問題や

南シナ海の領有権問題などを通じ、

中国はアジアの盟主になろうとする本性を隠そうともせず、牙をむき始めた。

一方の米国は大統領選挙に向け保護貿易に回帰しつつあり、日本は安倍首相を中心に強国となる昔の夢を再び持ち始めている。

英国の欧州連合(EU)離脱により欧州市場も揺らいでいる。

 3年前に記者は「韓国人にしか分からない三つの価値」という見出しのコラムの中で、

海外の識者が「韓国人は中国と日本がいかに恐ろしい国か分かっていない」と指摘しているのを紹介したことがある。

最近もわれわれは先日ラオスで開催された東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)で、

中国の王毅・外相がTHAAD問題で韓国に対し非常に傲慢(ごうまん)かつ傍若無人な態度を取った様子を目の当たりにした。

われわれは王毅氏の目つきと態度から、500年以上前に朝鮮の王が中国の使者にひざまずいた時の、彼らの嘲笑と嘲弄(ちょうろう)の表情を想像した。

中国は自国の利害が関わる問題では、いつでも帝国として周辺国に君臨する「恐ろしい隣人」であることを改めて示したのだ。

 われわれの4000年の歴史は中国と日本に対する屈従の歴史であり、同時に貧困の歳月でもあった。

ところが第2次大戦後、われわれは中国と日本に捕らわれた状態から一気に開放され、米国の手を取りながら世界に出て民族の歴史上最も豊かな60年をつくり上げた。

中国と日本に束縛されていた時、われわれは悲惨な国だったが、そこから逃れた時に初めて住みよい国になったのだ。

ところが今われわれは再び中国と日本の圧力を肌で感じ始めている。

今忘れてはならないことは、彼らに捕らわれている時はわれわれは死んだも同然となり、そこから逃れた時は豊かになるという歴史的経験だ。

同時にわれわれは中国がいかに恐ろしい国であるかを今やっと思い出した。

 われわれが世界に出られるようにしてくれたのは米国だった。

共産主義と戦う戦争でわれわれを支援してくれたのも米国だ。

しかし韓国は今中国と日本から再び包囲されまいと必死になっているが、そこから助けてくれるはずの米国はもうこれまでの米国ではない。

米国はわれわれだけではなく、米国の善意を利用することに慣れた世界の国々に背を向け始めた。

中国も日本も欧州も自分の利益を守るために必死だが、今や米国もそのような行動を取りつつあるのだ。

100年前の旧韓末、国内で政治が乱れた時に先祖たちは「中国に付くか日本に付くか」を決められなかった。

それから1世紀が過ぎた今、われわれは「中国に付くか米国に付くか」の選択を突き付けられている。

しかも今の状況は当時よりも一層複雑で多面的だ。

中国の戦略は単に軍事面、外交面だけではなく、韓国の息の根を止めるかのように経済面での圧力も強めている。

われわれの手を取ってくれるものと期待していた米国も、

これ以上恩恵を与えてくれるわけではなく、状況に応じて態度を変えようとしている。

つまりわれわれは西から押し寄せてくる中国の覇権主義と、

東で頭をもたげている米国の新たな保護主義の間で進退両難の立場に追い込まれているのだ。

 米国の著名な政治学者ブレジンスキー氏はその著書『戦略的ビジョン(Strategic Vision)』の中で、

米国がアジアから中国に追い出された場合、韓国が生き残るには三つの道があると指摘した。

一つは中国への従属、二つ目は核兵器の保有、三つ目は日本と協力し中国に対抗することだ。

ただし核兵器保有は世界中から止められており、また日本との協力は常に中国を選択してきた歴史を考えてもわれわれには不可能だ。

だとすればわれわれの選択は中国の属国になることしかない。

韓国がTHAADを配備せず、

アジア諸国が中国による南シナ海での力の支配にあいまいな態度を取り続けたとき、

米国はその防衛ラインを日本列島に後退させ、

アジアを中国に差し出すだろうが、

それはつまり韓国を放棄することを同時に意味する。

われわれが米国か中国かという岐路に立たされたとき、

中国を選ぶような素振りを示せば、

その瞬間からわれわれは独立した存在とはなり得ず、中国に隷属する結果がもたらされる。

それがブレジンスキー氏の指摘だ。

目を国内に向けると、状況はさらに悲惨だ。

政界は与野党とも派閥争いに没頭している。

今われわれが外交・安全保障の両面でいかに危険な状況にあるか、またわれわれがいかなる選択をすべきか考えるどころか、議論さえしていない。

大統領府は米中間の対立にできるだけ本心を出さない「あいまい戦術」を今なお取り続けている。

何を隠そうとしているのか、無知故にそうしているのか、自信がないのか、意図してそうしているのか誰にも分からない。

大統領はTHAADに対する内閣の考え方を強調する席で、不正の疑いのある側近の考え方を織り交ぜながら彼らを激励する様子を演出した。

今大統領には国の将来や安全に関わる重大問題を直接国民に問い、共感を築き上げる指導者としての態度が求められている。

ところが大統領は国の一大事に関してはスタッフ会議での指示を通じて下達するだけで、

政治的な動きと関係ない会議や、

日々懸命に暮らしている庶民が集まる市場をうろうろしてばかりいる。

しかし今、この国にはそんな余裕などない。