窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

富岡(横浜市金沢区)史跡探訪①

2012年07月02日 | 史跡めぐり


  7月1日、ふと思い立ち、横浜市金沢区富岡の史跡探訪に出かけてきました。ここ京急富岡駅は小学校1年生から大学二年生まで通学に利用したなじみの駅です(今でも家から歩いて20分程度の所です)。また、7歳から16歳まで、富岡の隣の並木という町に住んでいましたが、今回、子供の頃には気づかなかった、富岡の知られざる歴史を肌で感じることができたのは、貴重な経験でした。



  上の地図が、今回歩いた大よそのルートになります(クリックすると地図を表示します)。自宅を出てから帰るまで、占めて2時間半、運動不足の身にはちょうど良い朝の散歩です。



  まず最初は、京急富岡駅からすぐ近くの、旧川合玉堂別邸(二松庵)。ここは、日本画の大家、川合玉堂が、富岡の景観を気に入り、大正6年(1917年)頃に購入した別邸です。玉堂は夏冬の画室として良くここを利用したそうですが、昭和に入ると京浜急行(当時は湘南電気鉄道)の開通や、飛行機の騒音(後にご紹介しますが、この付近には横浜海軍航空隊や日本飛行機がありました)を嫌い、あまり来なくなったのだそうです。時々内部も公開されます。



  京急富岡駅を下り、国道16号線の信号を越えたところに富岡六地蔵尊があります。隣に駐輪場があり、子供の頃よく見慣れたお地蔵さんでした。明治の初め頃、金澤村(現在の金沢区東部)に疫病が大流行しました。ところが、富岡村だけ疫病から護られ患者は皆無だったそうです。これは富岡村の南端に位置していた六地蔵のお陰であるということで、人々の信仰を集めました。昭和21年に現在の富岡東6-24付近に移されています。

 

  国道16号線を杉田方面に歩いていくと、「富岡総合高校前」の信号にきます。そこを右に曲がって坂を少し下った富岡東6-33付近には、井上馨の別邸がありました。現在は小さな公園に隣接した駐車場になっています。その隣には、伊藤博文の仮寓邸があったそうです。明治14、15年頃、明治政府の要人達がここに集まり、不平等条約の改正問題や憲法制定など重要案件を討議していたということです。

  特に、大日本帝国憲法の草案は当初ここ富岡でなされていました。ある時、伊藤博文の仮寓邸に泥棒が入り、憲法草案の入った鞄が盗まれてしまいました。幸い、その重要性に気づかなかった泥棒が鞄を裏の畑に捨てて逃げたため、事は大事に至らずに済みましたが、この件以降、憲法起草は人の立入ができない夏島(横須賀市)で行われるようになりました。それがなければ、大日本帝国憲法は「夏島憲法」ではなく「富岡憲法」として、ここ富岡も歴史に名を刻んでいたことでしょう。



  国道16号線、宮の前信号前。この付近に、旧幕臣で榎本武揚と共に五稜郭で函館戦争を戦い、後に明治政府に出仕して枢密院顧問官となった、大鳥圭介の別邸があったようです。

<つづく>

  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
  ブログをご覧いただいたすべての皆様に感謝を込めて。

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