前作『国力論-経済ナショナリズムの系譜』の続編とも言うべき本です。経済思想史的側面が強かった前作に比べ、今回は世界経済がグローバリゼーションと呼ばれて久しいにもかかわらず各国の経済政策がよりナショナリスティックな度合いを強めていること、即ち各国がネイションを基礎においた経済・外交政策を展開している中でわが国がそれを見失い、市場に委ねれば何となく望ましい方向に向かうのではないかという幻想に埋没して俗に「失われた10年」と呼ばれる90年代、そしてこの21世紀最初の10年を経過しつつあることをより現実の事象に照らして述べています。
経済活動の目的はあくまで国富、それは単純にお金だけでなく政治力、外交力、文化、国民の能力などを含んでいるのですが、の増大にあり、経済活動を市場に委ねるかあるいは政策による介入を必要とするのかはその目的に寄与するか否かで決定されるのであり、決して「市場か政府か」というような対立関係で捉えるべきものではありません。
本書を通し一貫して述べられている主張は、それらもまた国力を構成する要素である企業経営において、また一個人においても適用可能だと思います。したがってこの本をビジネス書として、また自己啓発の書として読むこともできます。
例えば90年代以降、企業は株主の所有であり株主価値最大化だけが企業活動の目的である、また80年代までの日本型資本主義は戦時体制を引きずった異質なものであり、アメリカ型(と信じられている)資本主義のみが普遍的なモデルであると言われてきました。しかし経済活動はネイションを形作る文化や歴史などから起こるものである以上、資本主義のモデル、ミクロなところでは企業のあり方も多様性をもつと考えるのが自然です。
そうすると我々は多様な企業の中から自分の企業を企業たらしめている要素を把握し、それを企業力と呼ぶなら企業力の増大こそが企業活動の目的になります。企業のあらゆる経営戦略は企業力の増大に寄与する限り様々なパターンが考えられるのであり、例えば「年功序列から成果主義が世界経済の潮流」といったもので判断されるべきものではありません。
より個人のレベルでいえば、それは自分のアイデンティティを見出す作業に似ています。例えば何かの資格を取ったから市場原理のように「見えざる手」によって自己実現が図られるのではなく、家族、友人、国家、歴史、死後の未来までも含めた様々な要素との相互関係によって自己は形作られているのだということを認識する必要があります。自己実現とはそれら要素との関係をよりよいものにするため自律的に行動してはじめてなされるものであり、人の行動はその営みに寄与するかどうかで是非が判断されるのであろうと思います。恐らく道徳や慣習はそのような営みの中から形成されてきたのではないでしょうか。
話がだいぶそれてしまいましたが、本書を読んだ後、改めて前作『国力論-経済ナショナリズムの系譜』を読むと経済思想史に馴染みがなく前作がとっつきにくかった方でもより理解しやすくなるのではないかと思います。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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経済活動の目的はあくまで国富、それは単純にお金だけでなく政治力、外交力、文化、国民の能力などを含んでいるのですが、の増大にあり、経済活動を市場に委ねるかあるいは政策による介入を必要とするのかはその目的に寄与するか否かで決定されるのであり、決して「市場か政府か」というような対立関係で捉えるべきものではありません。
本書を通し一貫して述べられている主張は、それらもまた国力を構成する要素である企業経営において、また一個人においても適用可能だと思います。したがってこの本をビジネス書として、また自己啓発の書として読むこともできます。
例えば90年代以降、企業は株主の所有であり株主価値最大化だけが企業活動の目的である、また80年代までの日本型資本主義は戦時体制を引きずった異質なものであり、アメリカ型(と信じられている)資本主義のみが普遍的なモデルであると言われてきました。しかし経済活動はネイションを形作る文化や歴史などから起こるものである以上、資本主義のモデル、ミクロなところでは企業のあり方も多様性をもつと考えるのが自然です。
そうすると我々は多様な企業の中から自分の企業を企業たらしめている要素を把握し、それを企業力と呼ぶなら企業力の増大こそが企業活動の目的になります。企業のあらゆる経営戦略は企業力の増大に寄与する限り様々なパターンが考えられるのであり、例えば「年功序列から成果主義が世界経済の潮流」といったもので判断されるべきものではありません。
より個人のレベルでいえば、それは自分のアイデンティティを見出す作業に似ています。例えば何かの資格を取ったから市場原理のように「見えざる手」によって自己実現が図られるのではなく、家族、友人、国家、歴史、死後の未来までも含めた様々な要素との相互関係によって自己は形作られているのだということを認識する必要があります。自己実現とはそれら要素との関係をよりよいものにするため自律的に行動してはじめてなされるものであり、人の行動はその営みに寄与するかどうかで是非が判断されるのであろうと思います。恐らく道徳や慣習はそのような営みの中から形成されてきたのではないでしょうか。
話がだいぶそれてしまいましたが、本書を読んだ後、改めて前作『国力論-経済ナショナリズムの系譜』を読むと経済思想史に馴染みがなく前作がとっつきにくかった方でもより理解しやすくなるのではないかと思います。
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