10月11日、mass×mass関内フューチャーセンターにおいて、第88回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。
2010年10月13日に第1回を開催したYMSは、今月で丸7年を迎え、8年目のシーズンに入ります。毎月第二水曜日、おかげさまでこれまで一度も絶やすことなく、ちょうど1年後の第100回を目指しております。これからも沢山の方々のお知恵とご縁をお借りしながら、魅力あるセミナーを続けてまいりたいと存じますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
さて、今回の講師は冒険写真家の豊田直之様。コピーライター、漁師、ダイビングインストラクターといった異色の経歴の持ち主、1991年に海の撮影プロダクション会社を設立され、2012年からはNPO法人、海の森・山の森事務局の理事長として環境保全活動に精力的に取り組んでいらっしゃいます。
今回はその環境保全活動がテーマ、「素晴らしきかな大岡川」と題してお話しいただきました。前回に続き、知られざる地元横浜がテーマです。
大岡川とは、横浜市磯子区氷取沢町を源とし、横浜港へと注ぎ込む約12㎞ほどの長さの川です。元々その河口は当社のすぐ近く、南区蒔田町付近にありましたが、1656年の吉田新田干拓、さらに開港後の外国人居留区造営のため内海が埋め立てられたことにより、現在の長さとなりました(詳しくは第52回YMSをご覧ください)。ちなみに僕は大岡川の旧河口付近で生まれ、現在は源流付近に住んでいます。したがって、大岡川は実になじみ深い川でもあります。
掲載できないのが本当に残念ですが、セミナーは丹沢山系を流れる美しい清流の水深5mのところから秋の紅葉を見上げた、息をのむばかりの写真から始まりました。一度はその生命を終えたはずの落ち葉が、清い水の中ではその命の輝きを蘇らせる、そんなエネルギーを感じさせる写真でした。人口900万人を超える神奈川県に、かくも美しい自然が残っていること。まずはそれが新鮮な驚きでした。
それと対比するかのように映し出されたのが、大岡川下流の水中写真。不法投棄された自転車、堆積するヘドロ。しかし、そのような環境の中でもイシガニ、スズキ、ボラなどの生命の営みが確認されました。因みにかつての横浜港ではワタリガニが豊富に獲れたというお話は、前回第87回YMSでご紹介しました。
不法投棄されたごみに含まれるプラスチックは太陽光の影響によって細かい粒子となり、水中を漂います。それを魚が摂取し体内に蓄積、そしてそれを我々が食べているというわけです。世界中で海に流れ込むプラスチックは年間1,300万トンにも及び、その実に7割が河川からなのだそうです。
豊田さんが大岡川の清掃を始めたのは、SUP(スタンドアップパドルボード)と呼ばれる、その名の通りボードの上に立ってパドルで水を漕ぐ競技で大岡川から横浜港に下った際、上流から流れてくるごみの余りの多さに驚いたことがきっかけだそうです。現在、月2回、中区黄金町から日ノ出町付近(桜桟橋付近)と南区井土ヶ谷付近で清掃を行っているそうですが、1日2時間の清掃で収集されるごみは実に104kgs。最も目立つのはタバコの吸い殻で、わずか2時間で7,500本もの吸い殻が集まったこともあるそうです。その他、ボートに満載されたビニル袋に入ったごみ。これらは風で飛んできたというより意図的に投棄されたものと考えられます。
一方、そこから遡ることおよそ10㎞。源流である氷取沢の美しい自然が映し出されました。鎌倉幕府最後の執権である北条高時にここで採取した氷が献上されたことから氷取沢と呼ばれるようになったというこの地ですが、一説にはその前からこの付近には刀鍛冶が多く存在し、故に火取沢と呼ばれていたとも言われています。そこは清らかな湧き水、これがわずか10㎞で、なぜあそこまで汚れるのか?何人も初めは無垢に生まれてくる、我々の人生と重なって見えました。川も人も、それを汚すものは結局のところ人のエゴに他なりません。川面はそこに我々の姿を映し出しているように思えました。
360万都市の横浜に残る清らかな水、豊かな自然が守られた氷取沢には多くの野鳥や昆虫が生息しています。ニホンカワトンボやヘイケボタルが確認されるのは、水が清らかであることの証拠です。そして、クマタカの生息も確認されているそうです。食物連鎖の頂点に立つタカが生息できるということは、ここに小さな生態系が維持されていることの表れでもあります。クロジ(スズメ目ホオジロ科ホオジロ属)という、神奈川県の絶滅危惧種に指定されている鳥も確認されました。
NPO法人、海の森・山の森事務局では、大岡川を起点として全国の川をきれいにするための意識啓発のため、大岡川を神奈川県の地域産業資源として申請、今年9月に認められたそうです。自然保護から始まり、大岡川をかつて水運で栄えた運河の町横浜の歴史と文化を伝える資源として、その活動を広げていきたいとおっしゃっていました。
過去のセミナーレポートはこちら。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした