今の時代を生きるのにはこういう視点も大切ではないでしょうか
版画家の長島充さんという方
http://blog.goo.ne.jp/mitsuru-nagashima-h24-5
の記事から抜粋させて頂きました。
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江戸時代の臨済禅の名僧、仙涯義梵(せんがい ぎぼん 1750 - 1837 ) のこの狂歌。
「気に入らぬ 風もあろうに 柳かな」
仙涯義梵
風に揺れる柳の木が勢いのいい筆致で描かれた禅画に書かれた狂歌である。
絵を挟んで反対側には「堪忍」と二文字が書かれている。
意味は「吹き付ける風の中には耐え難い風もあるだろうが、柳はいずれの風をもさらりと受け流してやり過ごす」ということ。
日本に渡来した禅宗を含む大乗仏教の基本的な修行に「六波羅密 ろくはらみつ」というものがある。悟りを得た僧侶となるための6種の実践徳目で、この中の一つに「忍辱 にんにく」という修行がある。
それは、あらゆる侮辱、迫害、中傷などに耐え忍んで怒りの心を決しておこさないということだ。
この狂歌を詠むと背景にその精神が込められているように思える。
仙涯はその自由奔放な生き方でよく知られていて、数多くの狂歌を詠んだ。また昨年も禅画の展覧会が開催され、その「ユーモラスでカワイイ禅画」は大人気となった。
だが、その生涯を辿ると若い頃は禅の雲水として悩み苦しみ、とても厳しい修行を続けてきた求道の人でもあった。
かの世界的な禅者である鈴木大拙も「自分は仙涯の弟子である」と常に語っていたということだ。
仙涯は八十八歳で遷化するが、辞世の言葉は「死にとうない」だったという逸話が遺されている。
我々も毎日の仕事や生活の中で、苦しいこと、辛いこと、嫌なことがあってもこの狂歌の柳のようにユラリ、ユラリとなにくわぬ顔で、かわしていける心の余裕を持ちたいものである。