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相変わらずの漫語放言!…でも!

2013-03-01 23:16:18 | 日記

お晩です 

今宵投稿するつもりはなかったのですが、先ほど受信したブログ「魚の目」の記事に触発されて、ここに書きたくなりました。

しかしその前に、あの近藤誠先生が、昨年末『医者に殺されない 47の心得ー医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法ー』アスコム¥1,100、を出されました。
僕はこの本の出版を知らなかったのですが、友人から教えられて早速、既に4刷になっているのを読みました。
因みに、買い求めたスーパー系の書店では平積になっていたので、どのくらいの売れ行きなのですかとお聞きしたら、親切な店員さんがPC検索をして
下さったのです。そして、当店では20数冊、系列店では2千数百冊です…。少しビックリしたのでした

本なのですが、痛快ともいえる内容です。これまでの先生が書かれた本とは一味違っているのです。実に気楽に読めて、面白い!のです。
読み進む中で、当然ながら、すべからく自己責任の中で、人生の自由な選択の醍醐味というか、楽しさ、潔さ、つまりその痛快さが味わえます。
例えば、洗顔洗髪の仕方とか、「100歳まで元気に生きる『食』の心得」、同じく「『暮らし』の心得」、「血圧もコレステロールも高い方が長生きする」とか。
刺激的なことばによる「わたしの生き方」「生き方の勧め」が満載です。

そして、不謹慎にも笑ってしまうのですが
後書きに変えて、近藤先生ご自身の「近藤 誠のリビングウイル」が書かれているのです。 

「いっさい延命治療をしないでください。 私は今日まで、自由に生きてきました。 64歳まで、好きなことに打ち込んで、幸せな
人生でした。 そして、自分らしく人生を終えたいと思います。 今、私は意識を失っているか、…… このまま命が尽きても、…。だから、決して
救急車を呼ばないでください。 ……私はこの文章を、冷静な意思のもとに書き、家族の了解を得ています。……」 

買わないまでも、是非とも手に取って見て下さい。少し馬鹿げた話だと思われる部分もあるかもしれませんが。 

先生はこの度、第60回菊池寛賞を受賞されたそうです。この本の帯で知りました。

先生は、非患者中心的・医療権力的・商業主義的・否学問的な医療総体について、世界の標準医療・治療を踏まえ且つ「がんもどき説」といった医学的な
視点を基本にされる中から、批判をされてこられたと思います。(中黒と読点の使い方?前記は医療総体として括りたいので使いましたけど?)

この本の冒頭は「菊池寛賞受賞の弁」です。

「 私はこれまで、同業者がいやがることばかり言ってきました。
  がんは切らずに治る。抗がん剤は効かない。健診は百害あって一利なし。がんは原則として放置したほうがよい。
  そのためでしょう、わたしの医学界での受賞歴といえば「そんなこと言ったらダメで賞」とか「近藤をバッシングしま賞」っといったものばかり
  だったので、、今回、まともな賞をいただいて、とてもうれしく思っています。
  医学界の絶滅危惧種とも言われているので、そんな私を励まそうというお心遣いも、ありがたく受けとめています。

  申し上げておきたいのは、患者さんたちがいたから今日があるということです。
  乳がんと言えば、乳房を全部切り取るのが世間の常識だった時代に、私の話を聞いて、乳房を温存する療法を選んだ患者さんたち。
  その勇気あるパイオニア的行動によって、今「乳房温存療法」が乳がんの標準治療になっています。
  また、がんは治療しないほうが長生きできる、という私の話に納得し、がん放置を決めた、150人以上の患者さんたち。
  そのおかげで「がん放置療法」を確立することができました。 

  この賞は、その患者さんたちにも与えられたものだと考えています」

先生はよく勉強もされているのだと思います。僕がこんなことを言っても無意味なのですが、でも先生のご著書を読ませていただく中で感じたことなのです。
先生の奥様も医師で、そしてお二方の父親も医師というめぐりあわせの中で、そのような先生の方向性と軌跡が奇跡的にあるわけなのですよね。 

先生の患者さん方で作られている患者会「イデアフォー」http://www.ideafour.org/も是非覘いてみてください。
実によく勉強されているグループです。僕も昔、入会していました。妹の乳がんを調べる過程で知りました。そして、近藤先生にも診察日ではなかった
にもかかわらず、慶應の総合受付のナースのご配慮で、先生の研究室で15分の約束が30分近く相談に乗って頂いたことがありました。無論、ロハでした 

今日は久しぶりに、江川紹子さんのツイッターhttps://twitter.com/amneris84を覗いたところ、ご自分の裁判闘争を素晴らしいブログで詳述されていた方が

本日、無罪判決を勝ち取ったことを知り、そしてまた、そのオマケのように上記「魚の目」の記事を読んで、裁判所・検察・警察の問題性について知らされたので、報告
の様なこととしてコピペだけさせて頂きます。
(皆さんお忙しいので、ネットをうろつく暇などはないと思いますので、でも万が一にでもここにアクセスされましたら是非とも、クリックをして下さい。ご存知のことでしたら、できたらご感想を是非!)

上記した江川さんのツイートにある裁判は、「欧州大手金融クレディ・スイス(CS)日本法人「CS証券」の元部長・八田隆被告(49)について、東京地裁(佐藤弘規裁判長)は1日、「脱税の故意が認められない」として無罪(求刑・懲役2年、罰金4000万円)の判決を言い渡した」 読売新聞 http://p.tl/Zvk8 
無罪判決を勝ち取った八田さんのブログ http://p.tl/VU2c
また、江川さんはこの判決をされた佐藤弘規裁判官についても書かれています。

それから、ブログ「魚の目」については、以前にもここで紹介させて頂いたことがありました。その時もこの事件についてでした。
本日配信されたブログのURLはこちらです。 http://p.tl/S8h9 今回の記事は第16回です。前回までの分はブログで読むことができます。

是非共、ブログでお読みください

でも、念のためコピペさせて頂きました。

ー行変えは適当にさせて頂きましたー

< 01年1月6日、筋弛緩剤事件で守大助氏(41歳)が逮捕されたとき、彼の父親の勝男さん(67歳)は宮城県警高速道路交通警察隊の現職警部補だった。
 勝男さんは直ちに1カ月の病気休暇をとり、息子の“救出”に奔走した。仙台で最も冤罪に強いと言われる阿部泰雄弁護士に弁護を依頼。北陵クリニックの関係者を訪ね歩いて事情を聞き、捜査の実質責任者・T警部に「証拠があるなら示してほしい」と迫った。

 警部は「今は無理だが、裁判で」と口を濁し、捜査に対する自信のなさを裏付けるように「弁護人を解任してくれ」と何度も言った。

 勝男さんが突っぱねたら「警察からもらった給料で弁護士費用を払うのはおかしい」と言い出した。
 勝男さんが「そんなら女房を離婚 して慰謝料を払う。そこから弁護士費用を出す」と答えると、それ以上何も言わなくなった。
 勝男さんは長年、交通事故の捜査をしてきた。刑事であれ交通であれ、捜査は証拠に基づいて行われるべきものと信じてきた。
 ところが、息子の事件にはあるべき証拠がなかった。

「父親が息子の無実を信じるのは当たり前です。だけど、そんな親子の情を抜きにして1人の捜査官として、証拠もなしにこんなデタラメな捜査をやっていいのか、許せないという気持ちになった」と勝男さんが当時を振り返る。

 
県警捜査一課は逮捕に踏み切るまでの約1カ月間、医学的な裏付け捜査を何もしなかった。

 点滴直後に容体が急変した大田あゆみちゃん(仮名。当時小学6年)らの病状について、搬送先の 仙台市立病院の医師らから事情も聴いていない。原因究明に不可欠なあゆみちゃんらのカルテを市立病院から受けとったのも、大助氏逮捕から10日後のことだ。
 
クリニックで容体が急変した高齢患者についても同じことが言える。本来なら主治医の院長や内科医からの聴取が不可欠だが、一切行っていない。ハナから原因を筋弛緩剤と決めつけ、他の病変や医療過誤などの可能性を排除してしまったのである。

 勝男さんがさらに問題視するのは、大助氏が北陵クリニックを退職させられた00年12月4日夜の一課の動きだ。Y警部補らは大助氏が証拠隠滅のためクリニックから証拠物を持ち出すところを押さえようと待ち構えていた。
 
そこへ大助氏が筋弛緩剤(マスキュラックス)の空アンプルが 入った「赤い針箱」を紙袋に入れて通用口から出てきた。「何をしてる」と声をかけると、大助氏は建物内に逃げ込み、再び見つけた時はオペ室の更衣室で針箱に手を伸ばしていたのだと彼らは言う。


 しかし、それが本当なら、彼らが最優先でなすべきことは、大助氏を立ち会わせて針箱の中身を確認し、記録すること(実況見分)だったはずだ。勝男さんが言う。

「空アンプル入りの針箱を大助が持ち出そうとしたことを証拠として残すには、まず鑑識課員を呼び、大助に箱を持たせた状態で写真を撮る。次に箱を開けさせ、大助に箱を指ささせて撮影する。それが捜査の基本中の基本です」
 さらにマスキュラックスが19本(公判での検察側主張)あったというのなら、19本全体をまとめて写す。 その後、1本ごとに撮影し、その際には製造ロット番号をきちんと写すよう注意する。

「空アンプルのロット番号を写すのは、交通事故の捜査で証拠保全をするときに車のナンバープレートを写すのと同じくらい大事なことなんです」と勝男さん。

 だが、Y警部補らはそうした証拠保全を一切していない。大助氏を2階の理事長室に伴い、紙袋の中身を調べた後で「不法侵入で逮捕してもおかしくないんだ」と言いながら、そのまま帰宅させた。

 針箱は理事長室の金庫で一晩保管してもらうことにした。これも証拠隠滅工作の現場を押さえた捜査員がやるべきことでは決してない。証拠物を実況見分せずに病院側に預ければ、誰かが中身をすり替えたり、一部を持ち去ったりしても分からなくなるからだ 。

 つまり大助氏の証拠隠滅工作を前提にすると、一課の行動は捜査の常識で説明できないことばかりだった。検察側も後の公判途中でそれに気づいたらしい。そこで次のような屁理屈を捻り出した。

  実は、一課は12月4日夜の段階ではまだ筋弛緩剤事件の捜査を始めていなかった。証拠物を持ち出すところを押さえようという考えもまったくなかった。ただ 病院から多量の薬品が紛失していると聞いたので、大助氏が薬品を持ち出し、第三者に使うのを阻止するために動いていただけだ。

 
翌日の5日になって針箱の中身を調べたら筋弛緩剤の空アンプルが見つかったので嫌疑を強め、本格捜査を始めた。だから4日夜の段階で針箱の証拠保全をきちんとしていなくても何も不自然ではない、と主張し だしたのである。


 だが、これは事実のすり替えである。なぜなら初公判の冒頭陳述で検察自らが「(Y警部補らは大助氏が)証拠物を北陵クリニックから持ち出そうとしているのではないかとの疑いを抱い」たと明確に述べているからだ。

 検察は公判途中でこっそり主張を転換させた。そうしないと大助氏の証拠隠滅工作を裁判所に認定してもらえず、有罪の構図自体が崩れ去ってしまうと思ったからだろう。

 問題の針箱の実況見分は翌5日、県警本部でクリニックの事務長代理と婦長を立会人にして行われた。中から使用済みの針などともにマスキュラックスの空アンプル19本が見つかったとされる。

 
だが、検察側が証拠開示したのは空アンプルの写真だけだ。しかも8本、6本、5本に分け たもので19本全体の写真がない。そのうえ全部ロット番号が見えない角度から撮影されている。これでは本当に19本あったと信じろというほうが無理だ。

 
そもそも凶器の現物を法廷に出さない裁判なんてあり得ない。開示を命じなかった裁判所は検察の証拠隠しに加担したと言われても仕方がない。勝男さんが言う。

「空アンプルについているはずの指紋の開示すらしないんですよ。医師や他の看護婦の指紋があれば正規の手術に使ったものと証明される可能性があります。検察は指紋がついているのは認めたのに、なぜ開示しないのか。こんなデタラメな裁判があっていいんですか」
 
ベテラン捜査官だった勝男さんは事件後も勤めをつづけ、5年後に県警を定年退職した。同僚たちは目で合図した り、陰でガッツポーズをしたりして勝男さんの闘いを励ましてくれたという。


 今は妻の祐子さん(66歳)と一緒に全国各地を歩き、息子の再審開始を訴えつづけている。

 祐子さんは初めての人に会うたびにこんな言葉を記した名刺を渡している。「息子は無実です。本当の春を息子にかえして!」(了)
 
(編集者注・これは週刊現代連載「わき道をゆく」の再録です。「冤罪FILE No.2 2008年.6月号=仙台・北陵クリニック事件 筋弛緩剤のまぼろし 今井恭平著」を参照文献として使わせていただきました)

それから 少し前にここに書いた、あの内田先生のブログを読ませていただきました。

最新の記事に興味をもたされたので、もしかしてどなたかのお目に触れていただけたらと思いまして、そしてまた、この投稿の表題的な意味合いで?
コピペさせて頂きます

是非共、ブログにアクセスして頂けたらと http://blog.tatsuru.com/

(ここでの行変えは、僕が勝手にしました。以下は、僕がここから読んでもいいかなと思う、勝手なコピペです)

……ツイッターにも少し書いたけれど、現代日本に瀰漫しているナショナリズムは「ナショナリズムとして空疎である」という印象が私にはある。

ナショナリズムというのは、こんなに薄っぺらで、反知性的なものであるはずがない。

18世紀以降の政治史上の事件には「人間とはどこまで愚劣で邪悪になることができるのか」と絶望的な気分にさせられるものだけでなく、
「人間はここまで英雄的になることができるのか」と感動させられるものもあった。そして、後者のほとんどはナショナリズムに駆動されたものである。
そのことはマルクスも認めている。

アメリカの独立戦争も、フランス革命も、多くの人々が祖国と同胞のために、おのれの命も財産も自由も捧げた苛烈な闘争の成果として得られた。
これらの英雄的・非利己的な献身によって近代市民社会は基礎づけられたのである。
そして、私利や自己実現と同じくらいの熱意を以て公益を配慮するような人間をマルクスは「類的存在」と呼んだ。

そのような人間は革命闘争や独立戦争のさなかに「英雄的市民」というかたちにおいて一過的に存在することはあるが、安定的・恒常的に
存在したことはない。
いわば、ある種の幻想的な「消失点」として措定された概念である。
だが、それなしではいかなる革命闘争も実現しない。
そのことをマルクスは知っていた。

近代日本のナショナリストたちのうちにも、遠く「類的存在」を望見した思想家がいたのではないか。
勝海舟から坂本龍馬、中江兆民を経由して幸徳秋水に至る「反骨の系譜」というものが存在するのではないかという仮説に以前言及したことがある。
坂本龍馬がクロポトキンを読んだら、たぶん深い共感を覚えただろうと思う。

私にとって古典的な「左右」の思想区分は、本質的なものには見えない。
本質的な壁は、私利の確保や全能感の獲得のために政治行動をする人間と「類的」な動機に駆動されて政治実践をする人間たちのあいだにある。
私はそう考えている。

そして、政治史が教えてくれるのは、18世紀以来、「類的」という政治的概念がナショナルな政治単位を超えて「受肉」した事例は存在しない
ということである。
アメリカ独立戦争・フランス革命以後のすべての英雄的な「解放闘争」は「民族解放闘争」として行われた(残念ながら、成功した革命の闘士
たちは必ずしも統治者としても類的であり続けたわけではないが)。

そして、民族の枠を超えたスケールの「セミ・グローバルな政治闘争」として私たちはスターリン主義とアメリカ帝国主義というふたつの
頽落形態しか知らない。
近代の政治的経験から私たちが導き出すのは、「ナショナリズムと類的存在を架橋する」細い道以外に、政治的選択肢として可能性の
あるものはなさそうだということである。

そして、その場合、「誰を信じるべきか、誰についてゆくべきか」のぎりぎりの基準は、政策コンテンツの綱領的な整合性や「政治的正しさ」
ではなく、その政治思想家の「生身」だということである。

明治大正の政治思想家たちは、左右を問わず、身体を持っていた。
vulnerable な身体を持っていた。
「人間は壊れる」ということを熟知していた。
その壊れやすい人間を基準にして、政治的プロジェクトの適否を思量していた。

テロリズムというのは、思想の力は身体に担保されているので、身体を物理的に破壊してしまえば、思想も同時に力を失うという信憑
なしには成立しない。
「思想は属人的なものだ」という確信、生身の人間の担保ぬきの政治思想など無力であり無価値であるという確信がテロリズムを可能
にしている。

この確信には危険な半真理が含まれていることを私は認めざるを得ない。
思想は身体に基づいて存在する。
それゆえに、テロリズムの論理を反転させるならば、人間の生身としての脆弱性について深い理解をもつ人間しか、人間的な社会システム
を作り出すことができないということである。

アンチ・テロリズムの思想もまた、「思想は属人的なものだ」という公理に基づくことになる。
私にはそれくらいしかまだわからない。
いずれ機会があれば、中島岳志さんや片山杜秀さんの話をもっと聴いてみたい。

日時: 2013年02月27日 12:27 |