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すべってころんで大分県!

2012-07-17 02:14:21 | 日記


”口が滑る”とか”筆が滑る”ということばは聞いたことがあります。でも、”すべってころんで大分県”という言葉ははじめて聞きました。この言葉は、県名を憶えたりするときに小学生がつかう常套句の一つらしいのです。じつはある雑誌を読んでいて見つけた言葉なのですが

写真は先日銀座で開かれた、「『共生社会を創る愛の基金』設立記念シンポジウム」第二部「テーマ・累犯障がい者を知っていますか?」の鼎談の場面です。鼎談のテーマは「取り調べの現場に期待するもの」。
第二部の開会のあいさつは、冤罪事件で有名な村木厚子さん(元厚労省局長、現在内閣府政策統括官)。基調講演は作家の山本譲司さん(元民主党衆議院議員、秘書給与問題で実刑判決・433日間入獄、現在福祉関係にも就業)。

鼎談は、村木さんと江川詔子さん(フリージャーナリスト)、周防正行さん(映画監督、冤罪事件を扱った『それでもぼくはやっていない』や『shall we ダンス』)。コーディネーターはNHKの解説委員をされていた小宮英美さん(現在チーフ・ディレクターで福祉関係の著書・ビデオ等多数)。そして閉会のあいさつは、元気いっぱいでエネルギッシュな、元宮城県知事の浅野史郎さん(慶応大学教授、ATL・成人T細胞白血病に罹患)。

ここまで書いてきて眠くなってしまいました。少し呑みすぎかもしれません。今そんなに酔ってはいないのですけど、でももっと早い時間から書き始めればよかった。

この続きは明日にします。せっかく書いたのだからこのまま投稿して、あしたまた続きを書き加えるようにしたいとおもいます。
………


この集会には、村木さんの弁護をされた広中惇一郎弁護士も参加されていました。鼎談の終りに司会者から指名されて発言をされたのです。与えられた短い時間での手短な発言でしたけれど、じつに無駄が少なく中身の濃い発言だったとおもいました。著名人の弁護活動で活躍されている有名な方なので、ぼくもお名前だけは知っていました。小沢一郎さんの主任弁護士でもあるわけです。現役で司法試験に合格され、お譲さんも大学の後輩であり親子(+1名)で弁護士事務所を開かれているんですね。

いわゆる可視化問題についても話されていましたが、弁護士が被疑者と接見する時に禁止されているのも問題であるといわれていました。最高検察庁の総務部長も参加されていて、障害者の(知的障がい)可視化は既に実施されているということを話されたことを引き合いにされて、冤罪事件で無罪を勝ち取られた菅谷さんの話もされていました。菅谷さんの取り調べ段階での録音テープが存在したという話しでした。しかしそうした証拠の一部であるテープを踏まえた上で、最高裁は判断を間違えてしまったという問題も指摘されていました。証拠となるべき資料の扱い方は、弁護側と検察側では同じではないということでしょう。検察は被害者の心情や正義という御旗の公判維持の為に、弁護側は被告の人権と事実解明のために、同じ資料でも検察と弁護では正反対の位置づけになるというわけでしょうか。

第二部を傍聴したわけですけど、いくつか感じたことがありました。ただ、このイベントに興味をもたれた方がいたら、「Ustream」
http://www.ustream.tv/?lang=ja_JP
  でイベントの視聴が可能です。(会員にならないと充分に視聴できません。このサイトで視聴できるイベントは結構多いと思います。例えば16日の代々木講演での反原発集会など。でもユ-チューブは全て無料ですから、アップされていればそちらでで観ればいいわけです)

なんだかまあ、分裂拡散した書き散らし方になってしまっています。ホントに申しわけありませんが、あちこち飛び飛びでも感じたことごとを書かせていただきます。無駄にしてもよい時間がおありの方はよろしくお願いいたします
そのうち、ダテさんが参加して下さることになっています。ダテさ~んよろしくお願いいたします。お待ちしていますよ~

話題はまったく前後しますけど、前回、首相官邸周辺での反原発集会へダテさんと参加したことを書きました。ぼくがそうしたイベントに参加したということについては、どなたからでも「あなたは反原発の立場なのですね…。では、その理由は、なぜですか?また、即時廃止とか段階的廃止とかその辺はどうなのですか? もそもあなたは、原発、原子力、原子核物理学といったことについて理解をしたうえで判断をしているのですか? 日本は再生可能エネルギーだけでやっていけるのですか? 日本の経済的な問題も考えているのですか?………」といったことごとを詰問されても仕方なく、当然でもあるわけです。あのような反原発の集まりに参加したわけですから。

そうすると、ここでぼくはどうしたらいいのか困ってしまうわけです。まあ、今いえることは、すみませんまったくよくわからないのです。でもこれからも少しずつでも、もっとっよく感じたり考えたりしていかなければと思っています、ということくらいなのです。

福島以前のぼくは、思想家の吉本隆明さんの影響下にあって、原子力についても更なる進化を期すべきであると思っていました。全知全能(この使い方はやはりダメみたいです。注)を使って人類は核科学を前進させるべきである。そうする以外に選択肢はないと思っていました。人類の叡智を集めて取り組めば原子力の平和利用と統御は可能なはずであると。しかしまた、吉本さんの盟友でもあった詩人の故鮎川信夫さんは吉本さんとの対論のなかで、「…原子力は人類にとって原罪という位置づけが相応しいのでは…」といった表現をされていました。ぼくはそれを読んで凄い言葉だなあとおもったものでした。そのときに吉本さんはそこでどのようにいわれていたのか、昔のことなので細かいことは後でその本にあたってみます。ただ幾つかの場所で、吉本さんは原子力について発言をされていました。いちばん有名なのは、『「反核」異論 』まとめられている<「反核」運動の思想批判>をはじめとした一連の反核批判の中でだとおもいます。

ここでひと言いえることは、ぼくは吉本さんの(といっても吉本さんの思想について殆ど全く理解できていないのですけど)反反核の思想を成立させている理念は正しいと思っているのです。
その理念というのは、例えば「……時代が最大限に獲得させた<知識>、あるいは感受性は、それが退廃的にみえようと何であろうと、いったん獲得された人間の精神の範囲は逆に戻ることはありえないのです。<知識>は、科学技術よりもある意味でもっと確かなものです。……」
これは更に続きます。そしてこの文章は、昭和54年-1979年-7月14日、今から33年前ある女子大での講演記録です。

続きはこの次にします。

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