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ぼくにとっての“証人喚問”……

2017-03-25 00:31:35 | 日記

               

昨日の記事を読みました。
ぼくも、なんでもいいから、ここに投稿したい気持ちにはなっていたのですが……。

そして、その記事の一部ですが、
「昨日の籠池氏の証人喚問には驚きました。
彼の証言が根も葉もないことなら、首相夫妻は即刻名誉毀損で訴えるべきです。
単に否定しているだけ、ということが全てを物語っていますね」
……まったく同感です。 

昨日のテレビ中継はずっと見ました。きょうはながら見と、やめた見の半々でしたが、疲れた……。
なんでかな~なのですけど、消耗だな~という虚無感とか、ひとごとではないというがらにもない自省性とか……。

そして、そこでぼくが類比的にそうぞうしてしまった、というより思い浮かんでしまった場面は新約聖書に書きとめられているいくつかの場面でした。あのイエス・キリストと弟子たちとの、またその周りにいた人達とのいくつものやり取りの場面でした。そうした場面での理解と無理解、共感と反発、愛情と無関心、真面目と不真面目、関わりと無視といった関係性としてのさまざまな物語が、聖書の記者たちによって証言されている情景があるわけです。

そしてまた、キリストが十字架にかけられるまえに、時の官憲によって逮捕され総督邸に連行されたキリストは、そこでさまざまな形での嘲弄や暴行をうけるわけです。そしてその後、十字架に手足を釘で打ちつけられて絶命してという過程をたどることになるわけです。そして聖書には、その過程でのキリストが言われた数回のことばが書きとめられているわけです。

それはキリストの生涯を総括し象徴するようなことばだと思うのですが、息を引きとるだいぶ前のことばとしてキリストが言われたのは、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」ということばなのだそうです。そしてその後、最期のことばとして「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と、聖書ではそのように証言されているわけです。

なんだか、自分でもわかりもしないことごとを書きました。でも、ぼくがわかっているかどうかではなく、聖書にはそのように書かれていることだけは確かなわけです。そしてぼくが類比的だというように感じたことは、証人喚問のすべてのやり取りが上述した様な聖書の場面でのやり取りとなんだか近似的なように感じられてしまったということなのでした。ただここで誤解をさけたいのは、その証人喚問での敵味方関係的な二者関係という枠組みをは、ここでは外すというか該当しないということです。聖書物語への類比というのは、ぼく自身も含めたひと総体対キリストという共存的・対話的・弁証法的な枠組みになるわけです。なんだかじぶんでも意味不明かもしれません。(スミマセン)

聖書のことばをこの投稿で2回も続けて書いてしまいました。なにを書いても自由ですといっても、キリスト教・宗教に違和感を感じられているかたがいたらすみませんです。ぼくは「迷える子羊」「stray sheep ストレイシープ」なのです。ぼくの一番の願いとしては、じぶんにとってほんとうに「ほんとうのこと」を、感じて(信頼)、理解して(認識)、信じられたら(告白)、という道筋をなんとかして、ということなのですが。もちろんこの、信頼、認識、告白という言葉も、ここでは限定的な意味合いで使わせていただいています。ここでも、“類比性”がキーワードなのですが……。

◆  少し前に、ツイッターをすこしばかりうろついたなかで出会った、気になったツイートのコピペです。

澤田愛子 3月24日 富山医科薬科大学医学部看護学科元教授(生命倫理、死の臨床、精神看護学)

強権を振りかざし民間人を「偽証罪だぞ」と脅し続ける自公の議員へ。もう一度言いたい。国民は今籠池さんとあなた方のどっちに好感を持っていると思うか。ネトウヨなどを除いて前者ですよ。その教育観や思想が嫌いでも、国民はもう捨てるもののない籠池さんの側についてしまった。これやばくない?

国民の多数は昨日の証人喚問を見た。喚問後、自公議員は安倍と昭恵夫人を守る為に一斉に籠池氏をペテン師に貶めこの問題を終わらせようとしている、右派メディアがこれに加勢。が、偽証すれば罰せられる状態で真摯に答えた籠池氏の側に国民は誠意を感じた。聴いてた人は彼が真実を語ったと感じている

中沢けい 3月24日 法政大学文学部日本文学科教授・作家

「行政府の最高責任者である内閣総理大臣の私と」「大阪のけったいなおっさん」どっちを信用するのか?そりゃ、当然「大阪のけったいなおっさん」です。だって内閣総理大臣のように警察を含む行政への指揮権持ってないんですもの。偽証罪で逮捕するぞなんて「大阪のけったいおっさん」は言えません。

中野晃一 3月24日 上智大学国際教養学部教授(政治学)4連続ツイート

数で劣る立憲野党が、足元をすくわれないように細心の注意を払いつつ、慎重かつ着実に政権を追い詰めているのは、実に心強いですね。でも最後は、私たちに立証責任があるのではなくて、政権側に説明責任があることを、皆さんお忘れなく。

議会や国民に対して説明を拒み、証拠を隠し、記録を消して逃げ切れれば、うまくしてやった政権の勝ち、ということになりません。これだけ「法の支配」の観点から歪んでいる国有地の払い下げが行われた時に、説明責任を果たせない政権は、国民やメディア、そして野党が退陣を求めるのが当然です。

議院内閣制は、責任内閣制とも呼ばれますが、それは内閣が議会を通じて国民に対して、説明責任を負うからです。これは裁判ではないですから、「有罪」かどうかではなく「無責任」で充分アウトです。そもそも、野党にもメディアにも捜査権ないですから、有罪の立証は極めて難しいのが当たり前。

野党が慎重にいくことには賛成ですが、捜査当局が動かないからといって(特捜って何してるんでしょうね)国民やメディアまでもが立証責任を負う検察の気分になる必要はありません。「なに国家権力や財産を私物化してるんだよ。おかしいだろ、これ!」でいいのです。説明を、さもなくば退陣を。

内田樹 3月24日 武道家・神戸女学院大学名誉教授(フランス現代思想)

国会中継見逃しましたが、総理夫人は携帯を水没させたそうですね。よくもこんな三文芝居の台本書くなあ。昨日のファックスも官邸の誰かが書いているんでしょうけれど、ここまで来るともう「言い逃れシナリオ」書かされている人たちも「やけくそ」みたいですね。痛ましい


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