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焼き場に立つ少年

2017-09-26 00:12:58 | 日記

焼き場に立つ少年一 1945年長崎

「佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。
…10才くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶ紐をたす
きにかけて、幼子を背中に背負っています。

…しかし、この少年の様子は、はっきりと違っています。重大な目的を持っ
てこの焼き場にやって来たという強い意志が感じられました。しかも彼は裸
足です。少年は焼き場の渕まで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くし
ています。

…少年は焼き場の渕に、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクを
した男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶ紐を解き始めました。

この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気づいたのです。
男達は幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上
に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それから眩いほどの
炎がさっと舞い上がりました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年
のまだあどけない頬を赤く照らしました。

その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血が滲んでいるのに
気がついたのは。少年があまりにきつく噛みしめている為、唇の血は流れ
ることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。

夕日のような炎が静まると、少年はくるりと踵(きびす)を返し、沈黙のまま
焼き場を去っていきました。背筋が凍るような光景でした」
米軍カメラマン、ジョー・オダネル

「『焼き場に立つ少年』 血にじむ唇 米写真家の被爆地記録」
朝日新聞デジタル

この「焼き場に立つ少年」の写真をめぐる、NHKのドキュメンタリー番組です。
『NHKスペシャル 解かされた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI』
https://www.dailymotion.com/video/xzj0qo
(ユーチューブの動画50分) 

ジョーオダネル『トランクの中の日本―米従軍カメラマンの非公式記録』
小学館 1995年 (Joe O’Donnell ) Amazon

◆夕方行われた安倍首相の記者会見はNHKと民放4局が同時中継。
子供向けアニメをやっていたテレビ東京だけは別枠でした。

実は先ほどまで、安倍首相の出演した民放局のニュース番組を、ながら見を
してしまいました。見たのは、テレビ朝日とTBSだけです。テレ朝は少しみただ
けで、ほとんどはネットをうろついていたのです。首相とMC方とのやり取りが
聞くに堪えなかいほどいい加減なことばの羅列のように思ったからです。

でも、TBSを見ていて、そこまで問い詰めても大丈夫かな、と僕が思ってしまう
ほど首相に対して、いつものMC陣がまともな質問を続けていたのです。
その質問と応答を見ていて、すこし感激してしまいました。余りにもまっとうな
質問(質疑)がつづいたからです。 ただ首相の答えは、聞くに堪えないような
空虚なことばの連続であったことは、テレ朝のときと同じでした。

しかし、テレビ朝日のMC方々の首相への忖度度はかなりレベルの高いものだ
ったと思いました。MC陣の問題というよりも、スタッフの資質、忖度の問題なの
でしょうか?

いや、ことの次第は、更にその上の、スタッフの局内での生き死にを握っている
経営陣・社長の、異能、力量、思想性、慾得とか根性的側面などの人間的弱さと
かが、それらの一部がどこの誰にでもある以上に、強く深く徹底して、あってしま
うということなのでしょうか。 

◆きょうは、日本と世界の動きをマスメデイアをとおして見聞きするなかで、な
んだか重苦しい気もちになってしまいました。いろいろな出来ごとがありすぎて
なんだか落ち込んだ気分になってもいたわけです。でも、テニスは2時間ばか
りあいかわらず楽しませていただいたのですが。 

しかし、以前、ここでつぶやいたことがある、TBS元記者が起こした事件の被害
者「詩織さん」は、検察審査会によって不起訴相当という結果になってしまいま
した。まことに残念で無念ではあるのですが、そこでの結論に至る一連の過程が、
裏世界の出来ごとともいうべき事柄として、明るみに出てきたのだと思うのです。

テレビや新聞を見たり読んだりしているだけでは、「真実は闇の中」ということに
なって、そこでの情報だけでは事実・真実は隠されてしまう結果になっているのだ
と思うのです。つまり、現今のマスコミの報道の自己規制のひどさは目に余るわけ
です。事柄の真実・事実を国民にできる限り正確に伝えるという、名誉ある職業的
使命を自己放棄してしまっている。それほどまでに、堕落してしまったその腐敗ぶ
りは、ほんとうに酷いものだとおもうわけです。……

この世界で生起している事柄の真実・事実を知ろうと思ったら、ネットの世界や書物
(雑誌)の世界や、信頼する人たちの言説をとおして、何がなにしてどのようにという
世界の裏構造・真底・真実の、その近似値を探しあるくことをやらないと駄目なので
はないかとおもいます。情勢論的アプローチとしては、そういうプロセスを辿る以外
に、真実・事実に近づく方法はあり得ないように思うのです。が。

でも、そうした堕落傾向にあるテレビや新聞ではあっても、それは一部の上層部の
権力と金力に平伏するひとたちによる所業であって、多くの優秀な記者の人たちは
ご苦労をされていて、胃が痛む毎日を送られている方々が多いのではないかとも。 

なんだか、あいかわらず、こうして書いていてもつじつまが合わない、思い付きでし
かない文言になっているのだと思います。また、当りまえすぎることをタドタド、グダ
グダと自己規制も危ういところから勝手放題をしてしまっている、というわけでもあり
ます。いつもどおりのご寛容をお願いするしだいです。