はらじゅく86のブログ

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

新年会と京都退蔵院の庭園

2017-01-17 00:15:00 | 日記

新年会が無事に終わりました。
美味しいお酒をたくさんのみました。料理もおいしかったし、酒の肴としても最高でした。
参加者ですけど、急な用事や帰省とかインフルエンザなどで4人が残念ながらおやすみでした。
でも、それ以外の参加者で3時間以上も、たのしい時間を過ごすことができました。 
今年もお酒の特別サービスがあり、いろいろなお気遣いもいただいて、あらためてYさんに感謝です。 

 京都妙心寺「退蔵院」(退蔵院さんから写真掲載の許可をいただいてます)写真はすべて退蔵院さんのHPからのいただき物です。
正法山妙心寺は臨済宗妙心寺派の大本山(1337年創建)
「京都の西に位置する妙心寺の山内には40余りの塔頭がありますが、退蔵院はそのうちでも屈指の古刹として知られています。境内には、国宝「瓢鮎図(ひょうねんず)」(模本)や史跡名勝・枯山水庭園「元信の庭」、そして四季折々の景色が美しい池泉回遊式庭園「余香苑(よこうえん)」などがあります」退蔵院HP

ぼくがこのお寺、退蔵院さんのホームページに寄ったのは、副住職さんの対談記事をよんで興味をもったからでした。その記事は去年、東洋経済webに掲載されていたような気がします。そして、HPのなかの写真がとてもきれいだったので、断られてもいいからとりあえずと思い退蔵院さんにメールで問い合わせたところ、どうぞお使いくださいというご親切な返事をいただけた次第でした。実は、ぼくのこの部屋は写真部屋のようになってしまっているのです。子どもの頃の写真から、想い出の海や山の写真などが、大小の100均の写真立てにおさまっているのです。退蔵院さんの庭の雪景色なども、A4サイズで飾らせていただくつもりです。

副住職さんは、「1978年京都市生まれ。2003年東京大学大学院農学生命科学研究科修了。埼玉県新座市・平林寺にて3年半の修行生活を送った後、2006年より退蔵院副住職」とのことです。京都観光おもてなし大使、京都造形芸術大学講師などもされているようです。

いつの日か、生きながらえて、そしてまんがいちにも京都にいく機会があったら、退蔵院さんも訪ねてみたいと思います。むかし、京都や奈良を1ヶ月ちかくウロウロと歩き回ったことがあるのです。その頃は革靴だったので靴底がだめになってしまったという想い出もあります。京大のまえに、たしか京都教育会館とかがあって何日か泊まった憶えもあります。親鸞にかんけいする京都内外の史跡をまわったり、吉野や奈良・大和の寺めぐりをしたのもほんとうに懐かしい想い出です。

 

また、その昔、モラトリアム時代のさいごに、たまたまなぜか長男ばかり4人で京都の時代祭りを見たあと、お寺巡りをしたことがありました。東京から車で行ったのですが、いま考えたらよくぞ事故を起こさなかったものだとゾッとします。まだ免許を取ってから日が浅い頃だったはずです。車に乗ってから皆に言ったことは“はい、首をまわして”だったことだけは憶えているのです。帰路、東名高速のサービスエリアで車中泊をしたような記憶もあるのです。いったい、ああした日々というのはどういうことだったのか、あれからいまに至る数十年、ほんとうになにをして生きてきてしまったのか。
インターネット寺院「彼岸寺」坊主めくりインタビュー、松山大耕さん
退蔵院副住職松山大耕さんのブログ「京都人のひとりごと」
退蔵院HP

七草粥

そして、この記事の最後に、いつもどおりのです……
ぼくのこの家のトイレには、月刊『文藝春秋』が数冊置いてあります。
すこしまえに、昨年9月号の「戦前生まれから日本への遺言」という特集の中で、作曲家の三枝成彰さんの遺言をよみました。そこでぼくは、三枝さんについてまったく誤解したイメージをもっていたことを知りました。三枝さんは下記のような文章、日本への遺言を書かれていたのです。しかし、他者のほんとうの姿、その実像の近似値をしるということはほんとうに気が遠くなるようなむずかしいことのような気がしなくもありません。誤解をすることはほんとうに簡単なことです。独断と偏見はぼくが得意とするところでもあるようです。でも、そうであっては絶対にいけないというおもいは忘れないように、とも思ってはいるのです。じぶんの他者理解の量・質の限界をわきまえる努力。また必ず扉を開けておくこと。閉めてしまったら終わりだから。そして、教条主義にも、……とも。そして……
 (文章の最後の部分です)