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ゴッホ展と松岡正剛さん!

2016-12-18 01:16:37 | 日記


一昨晩書いた投稿記事を昨朝がた書き足したりしてみたのですが、今また読み返してみたら、
展覧会にいってきたのにその感想を書いてないのはおかしなことだよね、ということに思い
いたりました。
そこで、一昨晩のことを思い出してみるのですが、アルコールは殆どまわっていなかったはず
なのになぜだか展覧会の感想を書くというよりも、自分にとってのゴッホの想い出を少しば
かり書いてみたということでした。

しかし今、改めて感想としてどうだったのかなと思い出してみるわけです。しかし、絵を思い
だすまえに、とにかく会場が混雑していて見学者の人込みをかき分けつつ人と人のあいだから
絵を眺めたという印象がが強くあるのです。しかし、久しぶりに逢ったゴッホの絵の印象なの
ですが、下記するようになんともお恥ずかしい結果なのです。

まずゴッホ展の本物の絵「収穫」ですが、この部屋にあるにせものよりも一回り以上大きく、
色彩はすこしばかりより鮮やかな色合いだったので一瞬ハッとさせられたのです。ひとつ新た
に発見したのは、絵の中の人物が一人だと思っていたのが実際は4人なのでした。今まで登場
人物をほとんど気にしてなかったわけです。でも、ゴッホがそこで働いているひとたちに思い
をこめなかったはずはないわけです。とにかく、この絵の前に佇んだ時間がいちばん長かった
と思います。最初にこの絵の前に立ったときは、昔思いをうち明けることをしなかった女性に
数十年ぶりに逢うような気持だったのでした。
またもうひとつ気がついたことは、額縁がたぶん木製で、お粗末と言ってもいいような素朴で
荒削りなものなのです。それは無装飾の装飾といえるようなものでもあったので、少しばかり
驚いた点でもありました。この部屋の偽物ももちろん木製の額縁ですが、本物のよりも装飾的
でお上品なかんじがするわけです。しかし、本物の額縁は誰が考えたものなのか知りたいですね。
この絵を初めて鑑賞用に自宅のピアノの上に飾った、新婚の弟の画商でもあったテオだったので
しょうか。

しかし、この展覧会の絵についての全体的な印象なのですが、格別な感想はないのです。この
「収穫」だけではなくゴーギャンの絵についても言えることですが、この部屋の複製画(印刷の
上に筆タッチで加工されている)でも、ぼくにとっては観ることに十分堪ええるということなの
です。まあ、「収穫」の本物をみて新たな発見と色彩の違いなど感じたことはあったのですが、
でも、要するにぼくにとってはわざわざ展覧会にいかなくても、例えば複製画や図書館の画集を
見たりすればそれでいいかなということになりそうなのです。
しかしそうしたことというのはつまり、ぼくの絵画に対する“センスや感性の質”と、また絵と
向き合うじぶんの“人生経験の質”の貧しさのしからしむるところなのだと思うわけです。

こうしたことについて、たとえば美術評論家ではなくても例えば、生物学者の福岡伸一さんは
フェルメールについて一冊の本『フェルメール 光の王国』を書いているし、小林秀雄は『近代絵画』
で沢山の西洋の画家を味わい論じているわけです。作家の伊集院静さんが現在、月刊『文藝春秋』に
「文字に美はありや」という書についてのエッセイを連載しています。このところ毎月読んでは
いるのですが、しかし競輪・麻雀…の愛好家である伊集院静さんのイメージが消えてしまいます。
そして今年の紫綬褒章の受章もむべなるかなという思いがするわけです。
当然のことですけど、ここで彼我の比較を何とやらということでは全くありえず、ただ上記したような
じぶんの“精神世界、観念の貧しさ”はいかんともしがたく、絵画や書の鑑賞ということについてでも
この“魂の質”を自問するというぜんたいてきな課題に改めて直面するということになる次第なのです。が。

今、NHK Eテレで日曜美術館「幕末の異端児 鈴木其一」が放送されていました。この番組は
たまに見たことがありますけど、いい番組なんだなあと、いま改めてそうおもいます。絵画を見て
味わうということについて、以前よりも自覚的になれたと思います。それというのも、こうして
よく考えることもせずに頭のなかにおもいうかぶことを書き流していることのお陰でもあります。
じぶんにとってほんとうに、こうした綴り方教室を書くことは意義があることです。こうした場をつ
くっていただいた tさんにはあらためて感謝する次第です。 

◆松岡正剛さんの9日配信の無料メルマガ「千夜千冊」の記事を読んで、すこし感じたことがあります。
下記の記事がその一部なのですが、そのブログの方にある記事全文の内容はそれなりに興味深いこと
がらなのです。でもぼくがこころをひかれたのは、松岡さんがこのメルマガの配信日の直後くらいに
肺がんの手術を予定していると書かれていたことなのです。

ぼくは松岡さんの本は読んだことが無く、松岡さんについては昔、吉本さんとの対談を読んだくらいの
知識です。でもブログなどを読むなかで、その博覧強記というのか知識の幅広さはすごいなとも思う
のです。と、ぼくが言っても意味がないのですが、そのように世上いわれていると思うのです。
(でも、松岡さんを検索したらすぐにヒットしたのは、ピケティを訳した山形浩生さんの松岡批評でした。
でもそれはこの際どうでもよいことで、ぼくの理解の範囲を99%越えた経済学の問題なのです。
でもとにかく、松岡経済評論否定の批評なので、いろいろな批判があるのだと改めて感じたことでした)

本題ですが、ぼくが松岡さんの手術について一番におもったことは、松岡さんも標準治療を受けられる
のだ!ということなのです。吉本さんの大腸がんや糖尿病の治療については、それなりの治療の道筋を
理解することはできるのですけど、松岡さんもやはりそうなんだという思いをもつなかで、しかし、当然だ
よねとおもいつつも、でもやっぱりそうなんだ、というのがぼくの気持なのです。メルマガの記事を読むと
井上ひさしさんだって目一杯標準治療コースを受けられたみたいだし、お二人ともそれ以外の選択肢は
ないという生命を賭けた最終決断をしたわけです。

きょう、NHKでしたか「ニボルマブ」について特集番組を放送していました。
画期的な薬剤だという方向で取り上げていたように思ったのですが、丁寧に見たわけではないので
よくわかりません。ぼくの手元には月刊文春の2016年5月号の「がんを消す免疫薬も真実」という
立花隆さんとこの薬(免疫チェックポイント阻害剤)を発見し、薬剤の開発まで中心的に関わった研究
チームを主宰する、京大名誉教授・本庶佑さんの対談記事があります。でもここで本庶教授が言われて
いることは、NHKの番組の内容とはだいぶ異なるようにおもうのです。がどうなのでしょうか。

いずれにしても、松岡さんのご回復をお祈りさせていただくのですが。だいぶ前の「千夜一冊」HP
には松岡さんの古希祝いのイベントの様子がアップされていて、200人近くの関係者や著名人で盛大に
おこなわれた様子を拝見することが出来ました。法政大総長の田中優子さん、大澤真幸さん、美輪明宏
さんなど編集工学研究所の所長さんというか学校の校長さんらしく賑やかな古希祝いになっていますね。
趣味の問題なのかまた関係性の問題であるのか、ともかく一番は価値観、方向性の問題なのだと思う
のです。が。

下記のメールの文章の最後に松岡正剛さんのブログのリンクがあります
【当夜案内】(千夜千冊編集部より)
 井上ひさしさんは、
 松岡とも交流が深く、
 「連塾」というイベントでは、
 ゲストとして日本の未来を
 語り合った仲でした。
 娘・井上麻矢さんは、
 松岡が校長を務める
 イシス編集学校の生徒でもあり、
 父・ひさしさんが「松岡さんが
 やっている学校だから身につく
 はずです」と後押ししてくれた
 こともあって受講されていました。
 井上ひさしさんは、突然の病気の
 宣告に劇団「こまつ座」を麻矢さんに
 託すことを決断します。
 経理を見ていた程度だった麻矢さんは、
 いかにして井上ひさしの演劇を
 継承したのか。
 松岡が本書に託したかった思いとともに、
 井上父子に継承された「型」に
 触れてみてください。
 ⇒1625夜
 『夜中の電話』(井上麻矢)はこちら。松岡正剛「千夜一冊」ブログ(URL)