はらじゅく86のブログ

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ブログを続けさせていただきます。

2016-11-02 23:33:57 | 日記

                                                            
(拡大可)
(「東京スカイツリー天望回廊」から上野・東京ドーム・新宿方面)
はじめてスカイツリーに行ってきました。
用事で近所に行ったついでに、おもいたって登ってみました。

期待していた以上によかったですね。
当然のことですけど、天望回廊(最上階)からの眺望が抜群でした。
ちょうどヘリコプターに乗って都内を飛んでいるような感覚に
ちかいのではないかと思えましたですね。

上に掲載した鳥瞰写真を拡大していただくと、少しは感じて
いただけるのかもしれません。などとというよりも、おそらく皆
さまはもうすでにスカイツリーには登られているのだと思います。 

早朝から車で出かけたのですが、ひさしぶりの車での都内は
懐かしくて、そして楽チン運転!なのでたのしかったのでした。
でも、遅くまでうろついてしまい、いままたアルコールの副作用
とやらで、オネムタイムになってしまいました。

前回の投稿記事についてのtさんのコメントに感謝しています。
読んでいただくと一読明瞭なのですが、ぼくの書いたくどくど
たどたどと不明瞭で意味不明な文言と内容を、明瞭・有意味に
整理していただけたとおもいます。

ちょうど、ぼくがスカイツリーを平面的視点から仰視的な方向性
で感じていたことがらを、そうした視点を包含し総括するように、
天望回廊から俯瞰する視点で、ぼくの視界を以前よりも明瞭に
してくださったのです。

このようなことをここに書かせていただいたのは、ぼくがいつも
書かせて頂いているひとりがてんでいい加減な思いに対して、
t さんのコメントのような新たな視点というか枠組とか構造という
のかよく分りませんけど、とにかく、ぼくのまったくあやふやな
感じ方や思いを打破していただけることは有り難いことなのです。

打破というときつすぎる表現ですけど、ああそうなんだ、そういっ
たことでもあるんですね!とか、チョットでも新しいものの見方、
感じ方を教えていただけることは有り難くて必要なことなので
すね。もちろん、ぼくにとってなのですが。
ですので、下記したことがらとも関係することですが、ぼくの蛇足・
駄文とのお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げる次第です。

そして、今宵一番に書くべきことが、最後になってしまいました。
「ブログを継続することにさせていただきます」
こうしていつもながら勝手気ままに書かせていただけて、しかも
長年のお付き合いをたまわり、ブログを見守っていただける方が
少なくとも3人もいるということは、有り難く感謝このうえないことです。

つきましては、管理人という担当をやらせていただくことにします。
ぼくはPCのいろいろなことについて知識が乏しくて心配なわけ
ですけど、tさんに教えていただくなかでなんとか続けていけたらと
思う次第です。

改めまして、t さん、どうぞよろしくお願いいたします。
また、se-さんも、そしてDさんもよろしくお願いいたします。
そして、万が一、この86のブログに寄られたメンバーの
方がおられましたならば、どうぞよろしくお願いいたします。

できたら、こうした症状()の兆しが現れるまでは続けたいと思うのですが



”高貴な人”?

2016-11-02 00:58:10 | 日記

tさん、いろいろと有り難うございます。
ブログのことについては明日にでも書かせていただきます。 
10月28日に投稿した記事について、頂いたコメントのコメントを
そこに書いたのですが、下欄に移動させていただきます。 

ぼくも”薨去”という言葉はじめて目にしました。
また、高貴といった言葉についても正確な意味などは
分らないことばかりです。それで、言葉の問題については
とにかく、いろいろな辞書をひいてみるということにしています。
高貴という言葉ですけど、ぼくは好きなことばではありません。
どちらかというと、使いたくない言葉ですね。(無意識に使って
いる場合があるかもしれませんけど)

手持ちの辞書で意味をみると、『学研 国語大辞典』には5項目の

説明があり、ぼくが当たった辞書では一番詳しいのです。
そして、日本国語大辞典や広辞苑などをはじめ大方の辞書が、
一番目の意味として「官位・身分が高く気品があって貴いこと、
またその人…(日国大辞典)」とあるのにたいして、この辞書では、
そうした意味が二番目になっているのです。大した違いはないわけ
ですけど、でも何だかすこしほっとして納得してしまうわけです。
ぼくがその高貴という言葉があまり好きではない理由は、上記した
一番目の意味が気にいらないからです。

まあ、辞書の編者に責任があるはずはないわけですけど、編者の

価値観・姿勢が表現されてしまっているように思ったりするのです。
語釈というのは歴史的な背景があってのことだし、そこで編者の
価値観といってもお門違いですよ、と言われてしまうことなのだ
とは思うのです。

(しかしこうして書いていて自分で書いているこ
とがよく分らなくな
ってきました。トンチンカンは毎度のことなのですけど)


でもまた、tさんが言われる「高貴な人という概念があいまいでよく

わかりません」といわれる意味合いは、ぼく流の上述したような価値
意識からしても、tさんと同じかどうか分りませんが、わかりません!
ということになるのですが?
ぼくのその価値意識(理念てきな)というのはは、まったく単純そのもの
でしかないのです。恥ずかしいので言わないほうがいいのですけど。
つまり、その、要するに、”上をつくるから下ができる!”ということでしか
ない、
ということなのです、が。

(いつもどおりの回りくどい言い回ししか出来なくて…乞添削)